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養子

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 政権交代したフランスですが閣僚の大半を女性が占める布陣になりました。

 閣僚にはアフリカ系やアジア系の顔ぶれも見られることから、多民族国家としてのフランスを象徴する意図があるのでしょうが、そのアジア系閣僚の一人にフルーフ・ペルランという39歳の女性閣僚がいました。

 幼少の頃に韓国から国際養子でフランスに渡った人物で、里親が韓国名の帳簿を残しておいたために自分が勧告生まれであることや韓国名も残っていたそうですが、年齢から考えても1970年代に国際養子ととして国外に出たんでしょう。

 国際養子縁組など日本ではあまり実感がないと思いますし、せいぜい中国残留孤児くらいしか知ることがないと思いますが、途上国から先進国への養子縁組は良くあることで、韓国は米国などにも多数の養子出国をしています。

 ちょと話題になったことで記憶にあると思いますが、アテネオリンピックのボクシングでメダリストになった韓国系アメリカ人がいました。韓国では「私の息子」と名乗る母親候補が多数出現したことで話題になりました。

 稀に、良い里親に恵まれ才能を開花させる人材も出ていますが、「不幸のばら撒き」と考えざるを得ない家庭などもたたみうけられるのも事実です。

 90年代のロシアなど国際養子縁組供給国で、主にUSAから年配の夫婦が乳飲み子を貰い受けに来る姿を何回も目にしました。

 外に出たものが幸せなのか?残ったものが幸せなのか?半ば気の持ち方もありますが、無責任なバカ親が多くなった昨今の日本ですから、もともと素養の良い日本人の子供を養子に使用なんて国外から里親が来るのだろうか?
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記念切手

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 5月15日で沖縄祖国復帰40年になりました。

 1972年のこの日は良くおぼえています。というのは、沖縄返還記念の記念切手が出たからで、この当時は切手収集ブームでした。

 この年はサッポロオリンピックなど記念切手が多く出た年でしたが、今にして思えば切手が投機対象になっているような時代でした。

 マンガ雑誌の広告に出ている切手の通信販売の価格などを参考にどの切手が値上がりするかなんてことを子供達も考えていました。

 この時代高嶺の花だったのは切手趣味週間の「月と雁」と「見返り美人」で当時の価格で1万円を越える切手になっていました。

 沖縄の切手といえば、返還前は米国の「セント」で価格が表示された切手で、「守礼の門」の切手が5千円前後で取引されていました。

 沖縄返還記念の切手もきっとすごいことになるぞ!と期待していましたが、現在の取り引き価格は30円程度。ブームなんて去ってしまえばこんなもんです。

 確か当日は月曜日だったと思いますが、学校があるので切手を買いに行けない。発売されればすぐに売切れてしまうほどの切手ブームだったので、午後になれば記念切手など残っていない。郵便局に予約して買う方法もありましたが、シート単位で買わなければならないので、1枚2枚の買い方しかできない、子供の手が出せる金額ではなくなってしまいます。

 切手収集家のおっさんが子供達の分もまとめて買ってくれましたが、私もかなり奮発して3枚買った覚えがあります。60円は大金でした。

 沖縄返還40周年の記念切手は出ているんだろうか?久々に記念切手を買ってみようかな?なんて思っています。
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平清盛

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 テレビを見ないので視聴率の低さなどあまり気にしていませんが、低視聴率のNHK大河ドラマの「平清盛」ってどんな人物だったんだろう? 特に関東ではなじみもなく人気がないこともありますが、学校の歴史で教わった歴史でもゴージャスなお公家様生活をして国民をないがしろにし、平家につぶされた源氏が蜂起したような印象を感じましたが、源氏は平家を徹底的に叩いて滅亡させたけど、平家は源氏を滅亡させてはいなかったんですね。頼朝にしても義経にしても「子供」と言うことで関東に流されていて、命まではとっていない。ところが源氏は女も子供も皆殺しにしているんですから、どちらが「非道?」と問われると分かりますね。

 平清盛以前の武士は、江戸時代で言うなら士農工商のエタ非人のような役割で、流血を嫌うお公家様の下で、血を流すような役割を請け負っていた部署。その武士が天下を握るパラダイムチェンジを成し遂げたのが平清盛で、ある意味、戦国時代の下克上や、坂本龍馬はじめ地方の下級武士が国を変えた明治維新ばりの大改革をやらかしたわけです。

 そりゃじぶなっちの権益をずたずたにされたらお公家様の評判だって芳しくないわな。

 このあたり、源氏のほうが利口で、平家を滅ぼしたあと朝廷から距離を置いて関東の鎌倉に幕府を開きました。j結局、北条に乗っ取られてしまいますが・・・

 源氏が作った幕府制度も、この時代の名残が残っていたのは現時の流れを汲む一族でなければ「征夷大将軍」を名乗れなかったことで、足利源氏の足利幕府や、新田源氏の流れを組むといわれた徳川幕府などがその典型で、豊臣は現時の流れではなかったので軍を掌握する征夷大将軍にはなれず、「関白」という朝廷の補佐として国を治めました。

 仏教には珍しく排他的な日蓮宗だって権力をうまく把握していて、朝廷の象徴でもある天照大神と、源氏の守り神の八幡様は認めているんですね。

 権力や権威は手に入れた後が大事で、そこにあぐらをかいてしまったのが平清盛の失敗だと思いますが、上り詰めてからの下り方ほど重要なものはありません。

 思えば今の日本政府など山頂で迷子になっているようなもので、そのうち崖から転げ落ちることでしょう。
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梯剛之

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盲目のピアニスト梯剛之(かけはしたかし)さんのホームコンサートに行って来ました。

 中之条町の真澄さんの自宅でのピアノコンサートですが、梯さんのピアニストとしてのデビューの地でもあります。真澄さんが発掘してきて、中之条でデビューし、世界四大ピアノコンクールのロン・ティボーコンクールで1998年に準優勝。2000年のショパンピアノコンクールではワルシャワ市長省受賞。

 いわゆる世界のトップアーティストですが、真澄さんの自宅のピアノ室で、おなじみの顔ぶれを50人前後集めてのプライベートコンサートという、およそ信じられない演奏会でした。

 私はビデオ撮影の担当で、午前中のリハーサルから立ち会っていました。

 曲目はモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」、シューベルトのピアノソナタ13の「小ソナタ」、ベートーヴェンのピアノソナタ14「月光」。

 マエストロの指の動きの美しさをビデオに収めようと、事前に楽譜を読んで、両手の指の動く範囲を想定して、手持ちで撮影しました。

 午前中の練習の時には随分ナーバスになっていたので心配していましたが、わずかばかりの事前練習でピアノのクセを把握してしまうのだそうです。

 本番で「全然レベルが違う世界の人なんだな」と感心したのは、なんというのか、練習に練習を重ねて演奏を披露する苦しさなど微塵もなく、どこを切り取っても心地よい美しい響きを奏でていました。

 シューベルトってこんなに艶っぽくて色っぽい音楽だったのか、今まで堅苦しいイメージが払拭されました。ベートーベンの「月光」に至っては圧巻で、第一楽章の入り方の柔らかくスムーズな導入から、第三楽章のフォルテッシモの響きの美しさなど壮絶でした。

 真澄さんの家のKAWAIピアノは何回も聞いていますし、弾いてみたこともありますが、こんなに美しく色っぽい音が出るのか!と感心しました。梯さんがウィーンで勉強していたこともあるのか、カワイのピアノと言うよりベーゼンドルファーのような音に聞こえ、これがウィーンの音なんだなと酔いしれました。

 コンサートの後ではお茶を飲みながらいろいろ話をしました。駄洒落好きで話し上手な人で、南米でのコンサートの話題では皆が大笑いしました。

 混浴の温泉で女性が入ってきて「目のやり場に困りました・・・・・・僕は盲目なんですけどね。」と皆を笑わせていました。

 南米の片田舎でコンサートをしたとき、ピアノの調律をするのがその土地の大工さんで、これがまた大雑把な調整をするから、思い切り弾きにくいピアノだったそうですが、「これも経験の一つ」と演奏を楽しんだそうです。

 世界のトップレベルですから「すげぇ~」なんて見世物の領域ではなく、さりげなく、いつの間にか心地よくうっとりさせて、曲の終わりが近づくにつれて「もう終わっちゃう」と寂しさがこみ上げるすばらしい時を楽しんできました。
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寒波

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 冬に逆戻りしたような寒い一日でした。草津方面では雪が降ったようです。

 温泉の共同浴場で近所の人と桜の話になりましたが、今年は寒かったので、桜と梅が同時に咲きましたが、満開になることもなくすぐに桜が散ってしまった変な年です。今、八重桜が良い時期ですが、やはり色がいまひとつ鮮明ではありません。

 大雪で、開花期がおかしくなることはたびたびありますが、冬が寒い年は意外と良い色が出るものです。

 1992年だったと思いますが、異様な寒波が日本を覆い米が大凶作の年がありましたが、あの年も変な春でした。稲の苗を作るために籾をまいても発芽しなくて、まるで植物が芽を出すことを拒んでいるような感さえありました。

 稲と言う植物は恐ろしいもので、凶作の年には各地で同時に身を着けない現象が起きます。あの大凶作の年は日本全国のみならず、朝鮮半島や中国でも米が不作でした。

 国民の主食の米を管理する食糧庁が機能していないことが分かりましたが、これ幸いにタイ米の輸入が始まり、国民は”再び米が食えなくなるのでは?”と不安になり、買占めや米泥棒さえ出ました。

 3月になれば九州の早場米が出ることを知っている農家は”本気でそう思っているのか?”と呆れてみたいましたが、今にして思えば米農家にとっては最後のバブル到来だったんですね。

 米を管理しているはずの国がまったく役に立たないどころか、備蓄米を使うこともなく、古米にしていました。もし今年米不足になれば、何も決定できない政府ですから二の舞になること請け合いですが、馬鹿なマスコミが大騒ぎして風評を撒き散らすんでしょうね。
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ライフル

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 猟師を生業としている知人にライフルについていろいろ話を聞きました。この人が使っている大型ライフルは弾丸の飛ぶ距離がおよそ6000M。象などの超大型獣などに使うライフルだそうです。

 通常のライフルは航続距離4000M有効射程距離は300M前後で、有効射程距離とは弾丸が殺傷できる威力を保てる距離なんだそうです。

 鳥などを撃つ場合は散弾銃と言う弾丸が飛び散る銃を使いますが、鳥インフルエンザが流行ったころ、山に鳥を撃ちに行ったら山の中にニワトリがチョコチョコ歩き回っていて面食らったことがあるそうです。

 チャボだったそうですが、おそらく一般家庭で買っていたチャボを、鳥インフルエンザの風評で、山にもってきて捨てたのだろうと言う話でしたが、夜になると目が聞かなくなるニワトリですから、程なく野生動物の餌食になってしまったことでしょう。
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大統領就任

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 鳴り物入りでプーチンが大統領に就任しましたが、派手なイベントでした。その反面、抗議デモが相次いだようですが、波乱のスタートと言えるのだろうか?

 今日のロシアの国力は石油と天然ガスなどのエネルギーの利権を握っていることですが、エネルギー問題で世界が揺らいだ時代がありました。昭和40年代後半のオイルショックです。その以前でも太平洋戦争だって、日本への原油供給を規制した事から事態が深刻化する結果になったのですが、エネルギーとして「石油」が主役に躍り出たのは第二次大戦以降でしょう。中東で油田がはじめて見つかったのが1938年です。

 ロシアでよく言われるのはこのオイルショックのときに石油生産を増産したのが経済政策の失敗で、これがソビエトを弱体化させたらしい説。もちろんそのターゲットは日本で、原油高になろうが自前の資源が少ない日本は高い石油を買わざるをえないと原油生産を増産して日と設けたくらんだようですが、日本が省エネ改革をして原油が余る結果になってしまったようです。

 今回の原油高はおもに中国に需要が買いざさえしているのでしょうが、省エネどころか消費がますばかりですからまだしばらく続くことでしょうね。

 プーチンが狡猾だったのは、ロシアの石油の利権を乗っ取ったことで、これを背景に原油価格のキャスティングボードを握ったことで、原油価格決定がいつの間にか中東よりロシアの意向が大きくなりました。

 プーチンが乗っ取った大手石油産業のガスプロム。今度の社長はメドベージェフだそうです。

 ルールを守るより作る側に回らねばと勉強にもなりますが、声の大きな人が自分に都合よく世の中を作り安い時代なんですね。
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