ベリョーザ運営者日記
 運営者の日々の雑感。ロシアの話題。
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雪女
2009/07/03(金)
 雨降りの影響もあって、暑くはないけれど蒸す一日でした。夜、土砂降りに近い雨降りになり、傘を持たずに出かけたので、十数分の家路を雨の中小走りに戻りましたが、雨が体温を奪うので身震いするほど寒さを感じました。

 以前、山の先輩宅で「凍死」について興味深い話を聞きました。低体温症で意識がおかしくなってくると、寒いも熱いもわからなくなり、着ている服を脱いで雪の中で死ぬケースがあります。
 こういう症状が出ると、ほとんど助からないようです。登山のビバーグの最中にパーティーのメンバーがこうした末期症状をしめした場合、気を違えた仲間を押しとどめようとして二重遭難する例もあるようで、こうした症状が出た場合、残酷でもザイルでも何でも使って縛り上げることが「是」であるという指導が、10年ほど前に出たそうです。

 なかなかそこで冷静に「お前はもう死んでいる」と決断はできないことでしょうが、自分だけでも生きて帰ってくる世界ではこうした冷たい決断も必要です。

 体温が低下し、幻覚に惑わされ「暑い暑い」と服を縫いで凍死した遭難者が、雪女を強姦しようとしてパンツ下ろしたまま死んでいたなんて思われたら不憫です。

 小泉八雲の雪女

 続編

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料理会
2009/07/02(木)
 この7月でカナダに帰国するアンソニー君の送別会をドイツ文学教授宅で行いました。
 教授は不在で面白い話を聞けなかったのは残念ですが、教授夫人の手料理をご馳走になりました。

 私もいろいろ訳ありでドイツ料理を勉強しなければならないので、参考にしようと楽しみにしていましたが、ただ単に「おいしかったです」と食べるほうに夢中になってしまいました。
 よくよく顔ぶれを見ると地元で生まれ育った人は私ともう一人だけで、東京、横浜、大阪などからこちらに住み着いた人ばかり。なるほどモダンなわけだと感心しつつも、何かを吸収しようと食べ物を口に運んでいました。たんぱく質やアミノ酸など吸収したと思うけど・・・

 クリス君の奥さんが作ってきたスモークサーモンのカルパッチョ。
 カルパッチョは本来は牛肉を使うそうですが、私は魚類のほうが好きです。ウラジオストクで煮たような料理をよく食べましたが、上に乗っているハーブがウイキョウの葉っぱでした。

 ご婦人方も勉強しているなとこういう集まりのたびに感じますが、一品持ち寄りの集まりのたびに料理の手がこんできます。
090702a.jpg
 ガルショーク・ズ・グリバーニと言うのがロシアの名称ですが、キノコの壷焼き。教授宅のオハコ料理です。スープはくりーむスープでしたが、もちろんキノコ入りです。

 私もボルシチを入れて作ってみたことがありますが、パイ生地が上手くできずきれいに膨らみませんでした。

 「カナダではこんな素晴らしい料理を食べたことがない」とアンソニー君は感激していました。
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 甲斐さんの奥さんが作ってきたローストビーフ。実際はハズバンドがダッジオーブンで作ったそうですが、このほか自分の畑で取れたサニーレタスやトマトを使ってサラダも持ってきてくれました。

 我が家では鍋焼きうどんに使われているダッジオーブンですが、真面目な使い方をすれば多様な料理ができる優れものです。
 田舎物なので、あの鋳物の鍋を見ると、昔、囲炉裏にかかっていた鉄鍋を思い出し、けんちん汁やうどんを入れてお切り込みを作りたくなってしまいます。
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 アンソニー君と交代で新しく来る英語教師はカナダ在住のインド系英国人という複雑な人物で、「牛肉食べるのだろうか?」などと心配してしまいました。
23:16 | 日記| トラックバック(-) | コメント(-)

コクリコ
2009/07/01(水)
 「まあ、あれだよなぁ、性衝動というのは生物の偉大なるエネルギーだよなぁ。」
 渡辺淳一著の「君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)―与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯」を読んだ先輩がしみじみつぶやいていました。
 若かりし頃マルクスに傾倒し、挫折し、世の中脳みその理論よりスケベ心で動いているときがついた人なので、マルクスよりもフロイトの見解から物事を考えるようになったそうです。

 「嗚呼皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)」
 与謝野晶子の稼ぎでフランスへ洋行した鉄幹を追いかけて、シベリア鉄道でフランスへ行った与謝野晶子の歌です。

 私は10年ほど前に図書館でこの本を読みましたが、女房の尻の下に敷かれていたように見えて意外とナルシストだった与謝野鉄幹。女癖の悪さなどは当時の物書きには当たり前のようなもの?
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 明治末期、大正から昭和にかけての作家は女癖の悪いのばかり顔をそろえていますが、今と違って姦通罪なんて法律があった時代に下半身の要求に忠実に行動していたのが売れっ子作家。
 太宰治なんか心中未遂事件や玉川上水の心中本懐で何人も女性を殺していますし、島崎藤村は姪を妊娠させてフランスに逃亡したし、北原白秋なんか姦通罪で逮捕されています。谷崎潤一郎と佐藤春夫の間では妻譲渡問題が起きています。
 女性だって負けていません。「芸術は爆発だ!」の岡本太郎の母の岡本かの子なんか夫と自分の愛人の3人で同居生活していますし、1996年まで生きていた宇野千代なんか東郷青児はじめ幾多の芸術家と結婚や浮名を流しています。

 雛罌粟(コクリコ)とはフランス語でヒナゲシ(coquelicot)のことで、ポピー、アマポーラ、虞美人草なんて呼び方もあります。
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 虞美人草と言う呼び方に着目すると、虞美人草と言えば劉邦に追い詰められた項羽が「四面楚歌」の中で愛する虞美人を切り殺し、その後にはえた赤い花で、虞美人の血の色をたたえていると言われています。
 「君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)」と与謝野夫妻は四面楚歌を感じていたのだろうか?

 夏目漱石の小説虞美人草には帝大出のエリート小野に、気の強い美女の藤尾が「ホホホ私は清姫のように追っ懸けますよ」「蛇になるには、少し年が老け過ぎていますかしら」と詰め寄るシーンが出てきます。この美女、最後はふられてそのショックのあまり憤死してしまうのですが・・・


 さて、パリに行った夫を追いかけて与謝野晶子がウラジオストクからシベリア鉄道に乗ったのが明治年。1912年なので社会主義革命の5年前。
 2年ほど前にウラジオストクに「与謝野晶子記念文学会」が発足し、極東大学の敷地に歌碑が立っています。
 「金の車をきしらせよ。颶風(ぐふう=つむじ風)の羽は東よりいざ、こころよく我を追ヘ。黄泉(よみ=冥土、幽界)の底まで、泣きながら、頼む男を尋ねたる、その昔にもやる劣る。晶子や物に狂うらん、燃ゆる我が火を抱きながら、天がけりゆく、西へ行く、巴里の君へ逢ひに行く。」
11:49 | 日記| トラックバック(-) | コメント(-)


2009/06/30(火)
 蒸し暑い夜というわけではないけれど、へんな夢を見て目が覚めたのが明け方4時ごろ。外は明るくなっていました。
 九州の大雨のニュースが頭にあったのでしょうが、土砂が崩れた崖からインディージョーンズに出てくるような石作りの古代都市の遺跡が出てきて、日本にこんな石の文化あったのか?と疑いつつも、世界遺産になる前に掘り返しちゃえと宝探しをするアホな夢でした。

 もう一度寝ると寝過ごしてしまいそうなので、そのまま起きてパソコンのメールをチェックしたらモスクワに行っている友人からメールが入っていました。
 昨年春にモスクワの企業に就職したのですが、景気悪化で会社を追い出されたらしく、ウラジオストクも似たようなものなので帰るに帰れないと書かれていました。
 一頃英国にロシアの富裕層が住み着いて、それを目当てにロシア人労働者がロンドンにも多数出現していましたが、こうした連中が失業してモスクワに戻ってくると「ロンドン帰り」の落ち武者の看板があるので、彼のようなおのぼりさん失業者にとって大きなライバルになっているようです。

 ステンカラージンが捕らえられる前に見た夢を歌った唱。

ああ夕暮れに夕暮れに
僕は少しだけ夢を見た

僕は少しだけ夢を見た

ああ、そして夢に現れた

僕は少しだけ夢を見た

ああ、そして夢に現れた


僕の夢に現れた

僕の黒毛の馬が

踊りまわって遊んでいた

僕の下で夢中になって


ああ、猛烈な風が

東から吹き付けた

そして、僕の黒い防止を吹き飛ばした

向こう見ずな僕の頭から


大尉は勘のいいひとだった

彼には僕の夢の意味がわかった

「大変だ!消えてしまうぞ!」と彼は言った

「君の向こう見ずな頭が」



01:44 | 日記| トラックバック(-) | コメント(-)

自然農法?
2009/06/29(月)
 「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの講演会に行ってきた先輩に話を聞きに行ってきました。
 20代30代の若い農業後継者が多数公演にきていたそうで、「日本の農業もまんざらすてたもんじゃない。若い連中に期待できる思いがした。」と喜んでいました。

 いまや免罪符のようになってしまった有機農法に対しての自然農法で、農作物を観察しながら必要最低限の手助けはするが、余計な手間はかけない農法。「誰かさんの畑のようだ」とからかわれましたが、私も時代の先端を行っています。私の場合、面倒だから余計なことはしないだけで、しっかり農作物と会話して必要最低限のことは気が向いたら手助けしているので、時折思いがけない収穫がもたらされる理念なき結果的自然農法!

 だいたい、自然に対して人間が頭で考えることにろくなことはありません。有機農法にしたって錦の御旗になってから次第に胡散臭くなってきて、宗教ぽくなってしまった感があります。
 健康が云々、アトピーが云々、自分たちが安全に食生活すらことには熱心ですが、生産する側が食っていけるかどうかなんてことは蚊帳の外。
 私の地元に有機農法で入植してきた若い農家も、借金抱えたままどこぞにドロンしてしまった噂も聞いています。
 年金暮らしの余裕で農業ならまだしも、経済的に成り立たなければ、きれいごとより質より量のジレンマ。

 有機農法や自然農法への関心が高まってきた90年代初頭、私は農政の仕事をしていました。根がひねくれているので役所の考えと正反対のことにシンパシーを持つ性格です。線引き、カテゴリーわけが難しい有機農法は役所にとって管理が難しい。役人の考えることにろくなことはないので、役所が嫌がるということは良い事だ。こういう思考ですから左遷街道まっしぐらでした。

 福島正信の「わら一本の革命」。今にして思えば自然農法のさきがけですが、話題になった本でした。福島正信氏はアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を受賞した農民ですが、本を読んでみて感じたのは、理念ばかりで具体的な農法はさっぱりわからん。それもそのはずで余計な頭を使わず、作物を観察することからはじまるので、手順からはじまる工業的農法とは別次元。
 考えないで感じることからはじまるのだなと解釈しました。

 その頃、農業のシンポジウムに仙台に行く機会があり、やはり、若い世代が有機農法について持論を交わしていましたが、有機農法賛美の流れの中、秋田の出版社の無明舎を主催するあんばいこう氏が「無農薬だ、有機農法だとこんなところ傷をなめあいしても、食って行けなければただの負け犬の遠吠え。消費者は生産者のことなど気にもしていないのだから、きれいごとを唱えていれば何とかなると思う甘えはすてろ!」と釘を刺し、さすがだ!と感心しました。賛美者の大方は農産物で生計を立てている人ではなかったので、どこか説得力に欠けると思っていましたが、あんばいこう氏はそこだったのか!と感心するポイントをついていました。

 このシンポジウムで福島正信氏の弟子を名乗る農民に会いましたが、野良着に地下タビのいでたち、名刺にまで理念を書き込んでいる理論武装したおじさんで、この時点ですでに「自然」から遠のいた存在に思えました。土作りが云々、土壌の微生物が云々、厩肥と堆肥の違いは云々とご高説を賜り、そんながんじがらめの思考で自然農法が成り立つのか疑問に思いました。今頃どうしているのだろう?
090629a.jpg
 農作物を意のままにしようとしてしっぺ返しを食らっているのが現代で、考えてみれば教育だ躾だと出てきた芽を闇雲に摘み取っているのですから、思考力もなければ病害虫に弱くもなるし実もつけなくなる。

 あえてロシアと名前は挙げませんが、扱いにくいことこの上ない結構プリミティブな某国の奥様など自然農法の精神で育むのが一番で、真っ直ぐなキュウリにしようなどと思い上がって枠にはめて締め付ければとんでもないことになります。かといって野放しにすると人類が立ち入れないジャングルになってしまうので、「どっちかな?」と迷ったようなときに手助けしてやる程度で良い森ができる、長い目で見る林業のようなもの。
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