2003
03/31
〔Mon〕
00:00:00
◆スープ

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久しぶりに幕の内弁当を食べたくなったので、昼飯に買ってきて家で食べました。
おかずのシイタケとサトイモの煮物を味わいながら、「やっぱり日本人なんだなあ」と感慨深い思いがしました。
テーブルの下でネコが分け前をほしがるので魚(サケ)の焼き物と鶏のから揚げをくれました。残ったおかずがキンピラゴボウと漬物で、精進料理になってしまいました。
私は食事には味噌汁か吸い物が不可欠なタイプですが、外国では汁物(スープ)が少ないので物足りなく感じてしまいます。
土産もかねてインスタントの味噌汁やスープを良く買って行きます。意外と評判がいいです。
2003
03/30
〔Sun〕
00:00:00

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弟の嫁さんが晩のおかずを買出しに行った帰りに、居眠り運転のクルマに正面衝突され救急車で運ばれたと連絡があって騒然となりました。
妊娠6ヶ月なのでそちらのほうも気がかりですが、夜には弟と一緒に病院から帰ってきました。大事をとって寝かせたのですが、「10時にはK-1が始まるから起こしてね。」と気丈でした。
いつもは二人で出かけるのに、今日に限って弟は自宅で昼寝をしていたので後悔しているようです。
幸いおなかの子供も大丈夫と言われて帰ってきましたが、明日また検査に行くようです。
私にはこの弟が生まれる前に妹がいたのですが、妊娠8ヶ月のときに母の乗ったクルマが側面から突っ込まれ、その影響もあってか早産で生まれて3ヶ月の短い命でした。いやな記憶がよみがえってきました。
春先はただでさえ眠いので、皆様も気をつけてください。
2003
03/29
〔Sat〕
00:00:00
◆航空会社

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昨日、瀋陽の日本領事館で保護された脱北者の日本人妻が関西国際空港に帰ってきました。
瀋陽発大連経由の関空行き中国北方航空に乗ってきたのでしょう。
何で邦人が帰ってくるのに乗り入れのある日本の航空会社の飛行機ではなく中国の民航なんだろう?と思ってしまいました。
春休みで満席だったのだろうか?年度末で予算のやりくりがつかず料金が高いから中国の民航にしたのだろうか?いきなりサービス世界トップレベルの全日空に乗せたらびっくりしてしまうかもしれないから中国の民航なのか?老婆心ながら想像してしまいました。
新潟ーハルビンを就航している中国北方航空は経営難のために南方航空と合併するそうです。料金が高くなるのだろうか?
2003
03/28
〔Fri〕
00:00:00
◆戦争体験

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イラクの戦争を機に、戦争体験のある地区の老人たちが春休みでのんびりしている中高生に、戦争の体験談を聞かせる会を開いたので私も聞きに行ってきました。
戦争を戦地で体験した人と、日本にいて体験した人、外地で移民者として体験した人、子供のときに体験した人、7名のお年寄りに語ってもらいました。
語り部の老人会の中には戦争に兵士として行った人もいるので、無責任に受け売りの「戦争はいけません」ときれい事で済ませない話が聞けました。
なぜ戦争に行くことになったか?戦争に行って何を思ったか?人が死ぬということはどういうことか?人を殺すということはどういうものか?生きて帰ってどう思ったか?
考えることが多い話を聞けました。後は若い人たちがどう解釈して実感してくれるかで、そこから生まれる「平和」や「戦争はおろかだ」と言う言葉なら重みが違うことでしょう。
日頃はわがままでやりたい放題の老人会ですが、今回は見直してしまいました。
2003
03/27
〔Thu〕
00:00:00
◆もずが枯れ木で

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サトーハチローの”もずが枯れ木で”という歌があります。
「もずが枯れ木で鳴いている おいらは藁をたたいてる 綿引き車はおばあさん コットン水車も廻ってる
みんな去年と同じだよ けれども足んねえものがある 兄(あ)んさの薪割る音がねえ バッサリ薪割る音がねえ
兄んさは満州へ行っただよ 鉄砲が涙で光っただ もずよ寒いと鳴くがよい 兄んさはもっと寒いだろう」
小学校一年のとき担任が休んだ日に代理で来た定年退職間際の先生に教わりました。このときは面白い言葉の歌だと無邪気に感じていました。
後に、フォークの神様岡林信康が「この世でもっとも静かな反戦歌」と”もずが枯れ木で”をコンサートで歌い、そういう歌だったんだと改めて認識しました。
このところ歳を重ねた結果なのか、想像力の飛躍かもう少し踏み込んで考えるようになりました。
モズという鳥は奇怪な行動をする鳥で、”モズのはやにえ”で知られるように、カエルやトカゲなどを捕らえて木の枝に刺して干物にする修正があります。ほかにも他の鳥の鳴き声をまねしてみたり、ヨーロッパでは凶鳥として嫌われています。
私の住むあたりでは大雪の年になると今頃の時期にモズの大群が出現して木の芽を食い尽くしてしまいます。モズが夜泣くと死人が出るなんて話も聞いたことがありますので、好かれてはいないようです。
子供心に「満州」「鉄砲」「モズ」で「兄んさ」は死んじゃったんだなと感じたものです。
空爆の被害者、戦死した兵士を平然と放送するテレビを見て、モズのはやにえを思い出しました。
モズは誰なのだろう?フセイン?ブッシュ?マスメディア?それを見ている私たち?
2003
03/26
〔Wed〕
00:00:00
◆里帰り

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近々親子三人で里帰りする会員さんと航空券の手配のことで電話で話しました。
奥さんはお土産のことで頭がいっぱいで、ご主人のメールを覗き見して、赤ちゃんの分の手荷物10kgまで認められることを発見して大喜びしているようです。
ご夫婦と赤ちゃんの分で合計50kgまで手荷物OKです。誰が運ぶのかといわれれば、お父さんの仕事でしょう。
遠い血が交じり合った効果か丈夫なお子さんのようです。乳幼児の検診などに行ってもたくましく見えるそうです。
今回の里帰りで中国語の中で過ごさせて黒龍江省の厳しい自然にさらして鍛えるそうです。違う環境を体験させることで感情を刺激することも大切です。言葉は憶え出すと早いので、数年後にはお母さんの通訳をするようになるでしょう。
私はハーフという言い方は好きではないので(足りないという意味合いがあるので)ダブルと呼んでいます。そういえば今日の甲子園で注目を浴びていた東北高校のエースもダブルです。
3−40年前なら「混血」などと呼ばれ揶揄された時代もありました。当時は進駐軍と日本女性との間に生まれた子供がそうした対象になっていて、今とは事情が違いますが、ロック歌手のジョー山中やりりぃや安岡力也などそうした影のようなものを背負ってシャウトしていたように感じました。
今やそんな時代でもありませんし、それが個性でもありメリットになる時代です。
2003
03/25
〔Tue〕
00:00:00
◆人間の盾

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夕方の報道番組を見ていたらイラクに人間の盾として行った人々がまだバグダットに残っていて、日本人も数人含まれているそうです。
開戦してしまった以上当初の目的は失敗したわけですから、そこにとどまる意味はないと思うのですが。
懸念することは流れ弾が当たることよりも追い詰められてイラクが彼らを人質、あるいは彼らを標的にする可能性も十分にありうるわけで、取引の道具にされかねません。
人間の盾が機能するのはお互いに理性が作用しているときの話で、狂気と化してしまっては盾が標的へと変わりかねません。
自己責任で行くことですから、何があろうとそれですめばいいのですが、万一身の上に何事か起これば「自業自得」では済まされないでしょう。外務省も日本に帰るよう説得しているようですが、それに応じないで身の上に何かあってもこのところ風当たりの強い外務省が非難にさらされることは目に見えています。
彼らにすれば自分に居場所を見つけてた気がしてバグダットにい続けることが心地よいのでしょうが、生きて帰って語り継ぐ義務を果たさなければなりません。戦後復興に彼らの必要があることを認識していただきたいと願っています。
命があることと生きていることは違うものなのかもしれませんが、なにか目的がずれているように思えてなりません。きつい言い方をすれば、死に場所を求めてわざわざイラクに行ったのなら失礼だと思います。
自然界で捕食する動物は動こうとしなければ飢え死にですし、危機を察知して引くことをしなければやはり「死」に行き着きます。360度「死の罠」の中で生きているのですから、バランスが崩れればそれでおしまいです。
一途であることは尊いことですが、過ぎたるは及ばざるが如し、行き過ぎればただの愚か者です。
2003
03/24
〔Mon〕
00:00:00
◆アラビア語

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イラク騒動が始まってから連日続いていた北朝鮮報道がすっかり影を潜めてしまいました。
夕方の報道番組でフセイン大統領の声明を放送していましたが、私が見た番組の同時通訳は外国人でした。一方的に声明を読み上げるフセインの言葉を一生懸命日本語に訳していましたが、日本語で適当な言葉を捜すのは大変だったでしょう。日本語の敬語も通常の言葉のごちゃ混ぜになってました。
「アメリカ軍の皆様の軍事的侵略を…」「我々は仲良く団結して…」皆様はねえだろう!一致団結してだろう!と画面を見ながら突っ込みをしていました。
アラビア語は日本語の文法を逆さにした文法なので、たとえば「あなたはいつ中国に行くか?」という質問でしたら「か いく 中国に いつ あなたは」という順になる言語です。同時進行で翻訳するのは難しい言語です。
アラビア語は英語、フランス語、スペイン語、中国語、ロシア語と並んで国連で公用語になっています。国際会議などでは各言語ごとに同時通訳が要るのですが、日本は英語に翻訳された言葉からまた日本語に訳して伝えられています。
旧約聖書によると栄華を誇りおごった人類は神に近づくためにバベルの塔を建設しますが、怒った神様が人類の言語をそれぞれ違うものに変えてしまったために意思の疎通ができなくなり、争いが始まり、バベルの塔建設は途中で頓挫してしまったそうです。
その舞台となった地域で弾丸をまみえています。仏様ならホットケ!といいそうですが、北朝鮮問題が控えているのでそうも行かない。
2003
03/23
〔Sun〕
00:00:00
◆極限の民族

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夜、世界ウルルン滞在記(TBS)を見ました。
シベリア北部のネネツ族の遊牧民の家族の元でホームステイをしたドキュメントでした。
ネネツ族はモンゴロイド。日本人によく似た顔つきと体つきです。
ネネツ族のホストファミリーはテレビに向かってしゃべるときにはロシア語でしゃべっていましたが、家族同士でしゃべっているときは民族の言葉でしゃべっていました。
氷点下30℃の世界では顔の表情が変えられないとレポーターが言っていましたが、事実です。口をあけると歯に唇が張り付くというのも本当です。
私も96年の1月にモンゴルのウランバートル郊外の遊牧民のゲルに厄介になっていましたが、こちらは標高1500mぐらいあるので−50℃まで下がります。呼吸で息を吐くときは鼻からそっと吐き出さなければなりません。口から前に向けて吐くと目の前に蒸気の雲ができて目が痛くなったりまぶたが凍りつきます。
日本人は小柄だと思われているようで、体格も肉付きも良い私はロシアでもハルビンでもモンゴル人やヤクート人に間違われるのですが、うれしくなります。
どちらの国でも少数民族は怖い存在と思われているようで、それは漢民族やスラブ系民族がいじめているからに他ならないのではないでしょうか?
モンゴル人の民族衣装デールは中国のチャイナドレスの元になった衣装ですが、袖の長さが長く作られています。これは寒いときに手を引っ込めて風にあてないためで、温かいときには袖をまくって使っています。
遊牧民のところでホームステイして何があるのか?といわれれば何もなくて、毎日同じように大地から日が昇って、家畜の世話をして夕方には太陽が大地に沈んでいく繰り返しでした。何もないということがこんなにも有意義なことだったのかと実感しました。「私はここに帰りたかったんだ」と感じました。
あれから二十数回同じ大陸の土を踏んでいますが、まだモンゴルに帰っていません。
テレビを見ていて無性にモンゴルが懐かしくなりました。
2003
03/22
〔Sat〕
00:00:00
◆実感?

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三連休で東京から帰郷している同級生から電話がありました。戦争の影響か思ったほど道路も混雑してなく、楽に帰ってこられたそうです。
実家に帰ってきて朝から晩までテレビの戦争報道に釘付けになっているようです。
電設の技師をしている彼は地下鉄サリン事件のときたまたま仕事で現場となった築地駅近くのビル改装工事に来ていました。
外が騒がしかったので、火事でもあったのかな?と思っていたそうですが、会社から電話があり現場近くに毒ガスがまかれたと聞かされ、そこは危ないから、急遽戻ってくるようにいわれたそうです。道路は混雑を極めていたので、有楽町駅まで歩きながら「もしかしたらこのまま死ぬんだろうか?」と気が気ではなかったといっていました。
歩きながら、万が一のことを考えたり、奥さんと子供に言い残すことなどを思い浮かべたそうです。
「あれよりもっと恐ろしいことが起こっているけど、あまりにも無機的な映像で実感がわかない」と言っています。
2003
03/21
〔Fri〕
00:00:00

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春分の日です。これから先は日照時間が一日の半分以上に伸びます。
太陽の熱が地球に届くまでは時間がかかるので、夏至も過ぎて、日が短くなり始める7・8月に暑さが頂点にたしいます。
緯度の高いハルビンではこれから急激に昼間が長くなります。
仕事が終わる時間になってから日が沈むまでが長いので、住宅地域の公園では中国式の将棋を楽しむお年寄りと、見物人がたむろします。
かつては子供たちがその傍らで遊んでいたものですが、昨今はハルビンでも進学塾通いが増えたそうで、親よりも忙しい時間をすごしているようです。
2003
03/20
〔Thu〕
00:00:00

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ついに戦争が始まりましたね。と、昨日の予告通りになってしまいました。
戦争に対しては実体験がありませんし、無縁のものと思い込んでいますから、テレビの画面を見ていても感覚が伴いません。とりあえず「平和」や「戦争反対」と唱えておけば悪くはあるまいという安易な考えがあります。
パートナーの国ですと戦争に対する考え方や実感も異なるので、個人個人の捕らえ方も違います。いつ自分の家族に出兵がくるかわからない、と、いうより、それが当然という環境で育っています。いかにして兵役を逃れるかが、ちょっと前までの若い男性たちの悩み事でした。
それにしても、ブッシュもフセインも「神が正義を…」などといっていますが、キリスト教もイスラム教も同じ聖書の神様でしょう?
2003
03/19
〔Wed〕
00:00:00

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明日の運営者日記では「ついに戦争が始まりましたね」などと書いているのでしょうか?
USAのイラクへの武力行使も秒読みになってきました。
1999年のコソボ紛争の最中、4月に私はロシアにいました。ユーゴがランブイエ合意の拒否をしたという名目で、国連決議のないNATOの単独空爆が始まったのが3月24日。
短期間で決着と思われたのが長引き6月10日にユーゴ軍がコソボから撤退するまで78日間の空爆が続きました。
民族紛争といっても、セルビア人(セルビア正教)、クロアチア人(カトリック)、ムスリム(スラブ系イスラム教徒)に大きな民族差があるわけでもなく、宗教上のいさかいです。
ユーゴ一帯は民族文化の十字路だっただけに14世紀のオスマントルコの時代からの紛争常連地域、第一次大戦のきっかけもサラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件からでした。強力な支配力を持っていたチトー大統領が死んでパンドラの箱が開けられました。
チトー時代の大ユーゴスラビアの頃、民族間による争いをなくすために異民族同士の結婚を奨励していましたが、結果的に父の民族と母の民族が争う不幸を作ってしまいました。
1999年のコソボ紛争はNATOがカトリック・イスラム教側につき、ロシア正教と同じ同じ東方正教会の流れを汲むセルビアがターゲットになりました。ロシアもセルビアを散々いじめてきたのですが、こういう事態になると少しでも自分に近いほうにつくようです。
ロシアでは店の入り口やタクシーの窓に「犬とアメリカ人入るべからず!!」と張り紙があちこちに見られました。
エリツィン政権の末期の頃でしたが、USAとNATOの横暴を黙ってみているしかないロシアに国民がいらだっていることを感じました。
中国にしても同様で、中国大使館誤爆という事件がありましたが、講義してくすぶるだけしかできない有様でした。
地理的に見ると集合解散を繰り返す中国の歴史ですが、ソビエトのようにやがて時代は民主化をめぐって中国分割へと移行することでしょう。これがUSAなどの外圧によってなされるのか?民衆の手によって行われるのか?興味深いことです。
白か黒かall or nothingの砂漠の宗教の人々と違い、多神教のアジア人はダブルスタンダードでもトリプルスタンダードでもしなやかにこなす能力に長けています。
のらりくらりとかわしながら生き延びそうな気もしますが。
2003
03/18
〔Tue〕
00:00:00
◆悲喜こもごも

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ハルビンスタッフは今日から牡丹江に行っています。
夜、関西方面の会員さんから親子三人で里帰りする計画について電話があり、向こうのご家族も喜ぶだろうとこちらもとても喜んでいます。
深夜、奥さんの在留資格を申請していた会員さんから、在留資格認定証明書が届いたとメールが来ました。
一生懸命取り組んでいるかたがたからの朗報はうれしいものです。
今日は朝から良くない話が来たもので、先負かな?と思ったら大安でした。
10年勤めていた村の「世話役」があったのですが、「そろそろ足抜けさせてくれねぇかい」と年明けから交代要員を探して、ようやく代わりに引き受けてくれる人が見つかり、今月はじめの引継ぎの宴会に金一封包んで「皆さん長らくお世話になりました。」と挨拶してきました。
が、おととい、私の後を引き継いでくれる人がポックリ彼岸の向こうに行ってしまいました。
いやな予感がしていたのですが、今朝、役場から電話がありまして、「そういうわけで、また4−5年骨折ってもらえねえかい?4月になってから亡くなったんなら欠員にできたんだけどねぇ。」
またこの春も子供たちの通学に付き合わなければなりません。
2003
03/17
〔Mon〕
00:00:00
◆備えあっても

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いよいよ中東情勢がきな臭くなってきました。まだストーブが必要なので、ありったけのポリタンクに灯油を買って備蓄しておくことにしました。ありったけといっても5本しかないのですが。
電力不足や石油の価格高騰でこの冬は多少寒い思いをしたかなという感覚もあります。
2月末にウラジオストクに行ったときですが、電力不足のために昼間の間はアパートの電気と暖房が止まっていました。今までは頻繁にあったことですが、このところ安定していただけに珍しいことです。発電は石炭主体なので、中東の石油はあまり関係ないのですが。
以前食事中に数十分の停電になったのですが、彼らは日常茶飯事の停電には慣れているので、引き出しからろうそくを出すと火をつけて、何事もないように食事を続けました。このとき気がついたのですが、彫りの深い顔の人たちは下から明かりが当たると不気味な顔になります。
昨年の夏、私の村でも落雷による停電が何回かありました。夜に停電になると、そのたびに懐中電灯を探してどたばたしていました。昔と違って今は停電も珍しいことなので供えが身につきません。そのたびにあわてます。
結婚式に呼ばれたときに記念にテーブルのローソクをもらってきたりして備えているのですが、いざというときになるとどこにあるのか見つかりません。
今日、たまたま食器棚を片付けていたら、結婚式でもらってきた赤や青のローソクがたくさん出てきました。
せっかくだから彼岸の墓参りに使おうと思っています。
2003
03/16
〔Sun〕
00:00:00
◆ミソカツ

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東京に留学している北京出身の学生からのメールで、日本に来て2年目にして初めて「しょうが焼き定食」の意味がわかったと報告がありました。
生姜を焼いて食べるものだとばかり思っていたのだそうで、「あんなものを食べておいしいのだろうか?」と思っていたそうです。
あまり笑えないのは、私も同じことを考えていたことがありました。ただの焼肉定食じゃないか!と知ったのは高校生の頃でした。
学生時代、岐阜県出身の友人に「ミソカツ」なる食い物を教わりまして、どんな料理なのかは知らなかったのですが、そいつが言うには「この世にこんなうまいものはない!」と自慢するものですから、一度試してみようと腹にしまっていました。
簡単に言えば味噌ダレで食べるとんかつだったのですが、こちらは一方的に味噌をカツにして食べるものだと思い込んでいましたから馬鹿なことをやらかしました。
聞くは一生の恥、聞かぬは一時の優越感を信条としておりますので、勘違いするととんでもない方向に進んでしまいます。
休みで里帰りしたときに実家の味噌樽から味噌を一つかみ持ってきて、パン粉で衣を着けて揚げてみようと試みたのですが、自家製の味噌なので水分が多くて形になりません。そこで、スーパーで市販の味噌を買ってきて衣を着けて揚げてみたのですが、今度は塩辛くて食えたものではありませんでした。
「焼き味噌」などといって、味噌をシソの葉などで包んで囲炉裏で焼いて食べる料理がこの辺にもあったことから、味噌をカツにして食うことに違和感はありませんでした。
いろいろ考えた結果、名古屋方面では麦麹の赤味噌を使っていることに注目し、赤味噌を買ってきて再挑戦しましたが、「こんなもんのどこがうまいんだ?」と首をかしげる代物でした。
後に登山で岐阜県側に下りたときに話に聞いたミソカツを食べてみたのですが、私がとんでもない勘違いをしていたことにそのとき気がつきました。
2003
03/15
〔Sat〕
00:00:00
◆場の空気

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昨日は近所でいやな葬式がありました。近所の34歳の次男坊が病気のために亡くなりました。病院でX線の技師をしていたそうですが、病院で働いていても病気になるのですね。これからの若い人の訃報はなんともやりきれない思いがします。
結婚して村外に住んでいたこともあって、地元からは代表者が葬式に参列しただけでした。
新聞の「お悔やみ」欄にも村外の住所で出ていたので、地元では意外と知られていませんでした。
一夜明けて今朝、挨拶に伺ったのですが、間が悪いというのか、場の空気が読めない人がいるものです。
その家の主の友人が八丈島に旅行に行ってきて、シマアジの干物だか、トビウオのクサヤだか、なにやら魚の土産と一升瓶を持ってやって来ました。
ちょうど、玄関でわれわれがおいとまの挨拶していたときでしたが、その家で不幸があったことを知らなかったようで、うれしそうに土産の袋を掲げながら入ってきました。
「面白れえ旅行だったぞぉ〜」と話し始め、われわれの顔を見て「なんだ、おめえらシケタツラしやがって葬式みてぇじゃねえか!それにここん家線香くせえぞ!…あ、そろそろ彼岸だったっけ?いやぁ、あんまり面白れえ旅行だから忘れてたい!」
こう問いかけられてもどう答えてよいものやら?この場の空気を読めよ!といいたかったが、日本人は困ったときには微笑むしか術ありません。
一同まったく声が出ない有様でしたが、「今、干物焼いてやるから、帰宅祝いに一杯やるべえ!台所かりるぞ!」と勝手知ったる他人の家で、唖然としているわれわれをよそに台所の方に上がり込んで行きました。
「なんだぁ〜」と甲高い声がしたのは数秒後のことで、台所に行く途中の居間にはたった今しがた私たちが線香をあげてきた祭壇がありました。
「馬鹿が、ようやく気がついたか。悪いやつじゃねえんだけどな。」主があきれ返ったようにぼやいておりました。
一応、「どうかお気を落とさないように。」と定型句を述べて退散してきましたが、無理に笑いをこらえた後遺症でしょうか、今日は腹筋が痛いです。
2003
03/14
〔Fri〕
00:00:00

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春休みで帰国している留学生にデジカメもたせて、川を超えて北朝鮮の写真を写してくるように頼んであるのですが、以前と比べて中朝両国の警備が異様に厳しいようで気軽に川を越えられる雰囲気ではないそうです。
できれば川を渡って中国に入ってくる脱北者の写真もほしかったのですが、警戒が厳しくてそれも見当たらなかったそうです。
吉林省の図們江など国境検問近くに楼門があり、入場料を支払うと上に上れ、望遠鏡も設置されていて北朝鮮側を見られるようになっているそうです。国境が観光地になっています。
以前、韓国に行ったときにバスツアーで国境の板門店に行ったことがありますが、観光バスで来ている人たちがずいぶんいました。
四方を海に囲まれているので国境ということをあまり意識しなくてすむ日本ですが、自分が陸路国境を越えてみたときに、子供の頃に小川未明の「野ばら」と言う小説を読んだときの空虚な感覚が蘇ったものです。
大国と隣接する小国の国境で警備に当たる両国の兵士が、いつの間にか親しくなり将棋をしながら時を過ごすのですが、やがて両国に戦争が始まり、小国の兵士は戦地に赴いていきます。やがて戦争は大国の勝利で幕を閉めますが、小国の兵士は帰ってこない。風の便りでは戦死したとか。大国の老兵はむなしいものを感じ職を辞して家族の元に帰っていくというストーリーでした。
2003
03/13
〔Thu〕
00:00:00
◆むねやけ

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メインPCの修復作業で結局まる二日費やしてしまいました。まだ治っていませんが、何とかめどがたちました。
オウム事件の教祖の裁判はまだ続いているようです。あの教団の施設からみたらホテル並みの留置所にいるのでしょうし、三度の飯の心配もいらないのですからうらやましい身分です。
中国ならもう死刑になっているでしょうし、それを逃れられても、タクラマカンの砂漠のど真ん中で強制労働でしょう。
ハルビン会話クラブのよもやまコーナーに日本で最後に斬首刑になった高橋お伝のことを紹介しましたが、昨日、出版社から問い合わせがきました。私のHPに高橋お伝の写真が掲載してありますが、彼女の写真があることを知った編集者が、どこに行けば見られるのか問い合わせてきました。
私の場合、たまたま私の祖父が買っておいた本に出ていた写真を掲載しましたが、村内の太助ドライブインというところには全紙に引き伸ばした写真が飾られています。
一応、そのことを紹介した責任もあるので、まだ飾ってあったもの髪に行ってきました。しっかり飾られていました。
せっかくだからと、まんじゅうを買ってきて食後のお茶菓子にしましたが、甘いものをたくさん食べるといつものごとく、むねやけがして苦しんでおります。
2003
03/12
〔Wed〕
00:00:00
◆ソフット

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ハルビンオフィスには日本語Widowsのパソコンがあります。
中国物のソフトをインストールしたら具合がおかしくなったそうです。
私も以前ハルビンの路上でシートを敷いてCDを売っていたオバチャンから中国語版のゲームソフトを買ってきたことがありますが、こちらのPCでは作動しないため次回ハルビンに行ったときにハルビンオフィスにおいてきました。李小姐のおもちゃになっているそうです。
先月ロシアに外付けCDーRWを持っていったのですが、こちらもロシア語ウィンドウズではドライバーがうまく作動せず難航しました。
2003
03/11
〔Tue〕
00:00:00
◆中東情勢

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クウェート侵攻が発端となった前回の湾岸戦争直後の93年末、青年の船で日本に来たメイスーンというヨルダンの女性の案内を手伝ったことがあります。
アラブ諸国の情報などおおかたの人が持ち合わせていなかったのですが、たまたま私が学生時代にバイトで某アラブ国の大使館のモスク修繕工事に関わったことがあって、ムスリム以外は触れてはいけない場所なので、工事のおじさんたちと一緒にイスラム教の洗礼を受けたことがあり(その帰りにおじさんたちとモツ煮食って清めの一杯をやった)、そこそこの礼法は知っているだろうと白羽の矢が立ちました。
後に凶弾に倒れた当時のヨルダン国王もフセインという名前でしたが、湾岸戦争のときヨルダンは中立を保ち、イラクへの入り口となっていました。あの戦争のときはイラク・イスラエルの間でやり取りされたミサイルが頭上を越えて飛び交っていたのですから、心中穏やかではなかったでしょう。
ちなみに、メイスーンは東方正教会のキリスト教徒でしたが、この交流がきっかけになってアラブのことやイスラムのことなど勉強するきっかけになりました。
当時私はテレビを持っていませんでしたが、後にテレビとビデオを買って真っ先に買った映画ソフトがアラブの独立に関係ある「アラビアのロレンス」でした。
何がきっかけになるのか、これもまた不思議な縁の一旦でしょうか?この時自分の英語力に至らなさを痛感し、再び勉強するきっかけになりましたし、日本ではほとんど触れることもないアラビア語についてかじり始めたことがきっかけで、他の言語に対する違和感も薄れていきました。
中東情勢はいつもきな臭いので慣れっこですが、彼女と家族は?という視点で考えるとなんとも不安な気分になります。今は結婚してフランス在住らしいのですが、彼女のお兄さんはアンマンに残っています。
国家や国旗には実感がなくとも、人の顔が浮かんでくると心中穏やかではありません。
2003
03/10
〔Mon〕
00:00:00

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春休みで遼寧省に帰っている留学生からメールが来ました。
春休み中は地元の中高生に英語を教えているそうです。
日本に来て一年で痛感したことは中国についてもっと知らなければならないということだそうで、中国の歴史や文化についてこの休みにもう一度勉強しなおしているそうです。
彼女は普通の中国人より孔子や老子、韓非子などかなり精通しているほうですが、「知っていて当然」と自分に厳しく戒めているそうで、この休み期間中に図書館に通って勉強するそうです。両親や友人には日本に留学してなんで中国のことを勉強しなければならないの?と問われているようです。
今まで外の知識を知ろうと躍起になっていたのが、日本に来て問われたのは中国に関することばかり。自分達にはあたりまえだ、常識だと思っていたことを改めて問われると答えに窮する事が多々あったそうです。
灯台下暗しといいますが、自分のことになると気がつかないものです。改めて外からの視線で見てみる日本もなかなかよいものです。
2003
03/09
〔Sun〕
00:00:00
◆空っ風

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昼間、太田市に行ってきました。空っ風という県内特有の強い北風が吹きまくっていました。
この空っ風はボラ現象と呼ばれる風の一種で、フェーン現象とは反対の性格を持つ風なのだそうです。
フェーン現象は南の暖かい風が山にあたってそこで雲を生み雨を降らせて、乾燥した温かい風だけが山を越えて時として山火事を起こす気象現象ですが、ボラ現象は雪雲が山にあたって雪を降らせ、冷たい風だけが吹き荒れることで、里のほうで空っ風が吹くときは私の住む村あたりでは雪が降っています。
私の村では風は強くありませんが、峠を越えて苗場に行くと強烈な吹雪になっています。この風だけが私の村の上空を越えて下界に降りて空っ風になっています。
フェーン(ギリシャ語)現象もボラ(ラテン語らしい)現象もヨーロッパアルプスに吹く風を示した言葉らしいです。日本では空っ風が一般的になっていてボラ現象という言葉は知られていませんが、東京方面ではサカナのボラが大発生しているようです。関係ありませんが。
2003
03/08
〔Sat〕
00:00:00
◆女性の日

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3月8日は旧共産圏諸国では「女性の日」という祝日です。
ハルビンでは家族の女性に日頃の慰労の意をこめて贈り物をするそうです。
広場などではこの日を祝福するイベントが開かれます。
社会主義には表向きは女性を男性の隷属から開放するという大義名分を抱えていたので「女性解放」を錦の御旗にしていました。
しかしながら、それらの国々に行って目の当たりにしてみると、一生懸命働いているのは女性ばかりで、男性の影は薄くなってしまった感もあります。
離婚率が高いのが社会主義国家の特徴ですが、亭主がだらけて働かないで飲む打つ買うに走るというのが特徴的な理由です。
女性の日はあっても男性の日は知られていません。日本でも父の日と母の日の差が大きいように、旗頭を向ければ女性のほうが強いのでしょうね。
ちなみに、ロシアでは2月22日の軍隊の記念日の一つが「男性の日」になりました。
これらの国々では、日本女性のように保護された社会環境ではなく、対等の責任を背負わされているので、女性だからという言い訳や甘えも通用しません。それ故に、的をはずしたフェミニズムは軽蔑されることがあります。
女性解放といえばモンゴル国では戦前に日本から持ち込んだ「鉄道唱歌」のメロディーが「女性解放の歌」になっています。
2003
03/07
〔Fri〕
00:00:00
◆日本語

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先週ロシアから荷物を預かってきた大学院留学生と電話で話をする機会がありました。しっかりとした日本語を喋るのでびっくりしました。彼のことを支援しているナニワのおっちゃんが「いま時の若い日本人よりよっぽど正確な日本語喋りまっせ!」と賞賛していましたが、確かにその通りでした。正確な日本語以外、大阪弁も喋れるとか。
ハルビンスタッフの西郷ドンの日本語はあまり上手に見えないのですが、彼の日本語は中国人特有の妖しげな発音がなく、はっきりした発音をします。ただ、奇妙な言い回しをするので理解しにくいことは言えています。
あのキャラクターなので利発そうに見えないのですが、日本語の読解力も高いものがあります。
李小姐も一生懸命日本語を勉強しているようですが、日本語の発音は上手に出来ていません。酔っ払ってろれつが回らないような日本語を喋ります。
母音が五つしかなく発音が簡単といわれている日本語ですが、外国人にとっては自分の国にはない発音もあるので決して簡単ではないでしょう。
実は私もしっかりした発音ができているとは思っていないので、外国人と日本語を喋るときには特に聞き取りやすいようにと気を使って喋っています。
2003
03/06
〔Thu〕
00:00:00
◆通信速度

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インターネット時代になり、同じ時間帯にパソコンの前にいればリアルタイムでメール交換できるご時世です。
今朝、ハルビンスタッフがメールでこちらに送った「中文哈尓浜日記」の原稿が届いたのが、なぜか夕方になってからでした。はたして、どこで道草食っていたのだろうか?
アドレス間違えのメールでよくあることですが、2−3日たってから戻ってくることがあります。これって、いったいどこで時間をつぶしているのでしょうか?高速回線の昨今、電線のカーブで曲がりきれず外に飛び出したなんてことは・・・あるわけないか。
ウラジオストクから女性会員の書類と写真がメールで送られてきました。まだ出揃っていませんので発表はしませんが、これから何回かに分けて送られてくるでしょう。
ADSLが完備されたハルビンと違いウラジオストクはまだ普通の電話回線なので、通信速度が著しく遅いありさまです。対、半年前まではハルビンのほうがもっと遅かったのですが、ADSL一発で大逆転しました。
昼間、NTTの工事の人と話をしたのですが、遠からずこのあたりも光ファイバーになるだろうとの事。他にも現在人工衛星通信を計画しているそうです。H2型ロケットの失敗がなければもう実現していたのだとか。
通信速度が速くなってくれるのはありがたいですが、PCの電源を入れてから立ち上がるまでもっと早くなってくれないものだろうか?
2003
03/05
〔Wed〕
00:00:00

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ロシアでは集めた女性会員の資料や写真をまとめたり、面接をして考え方などの確認をしたりと忙しいようで、データが送られてくるのは今週末になるだろうとの事。
ロシア極東ではひところと比べて日本人も影が薄くなってきています。これはハルビンでも同様で、もはや日本人という肩書きはたいした意味合いを持たなくなっています。余計な先入観を捨てて、お互いのパーソナリティーが重要視されるようになることはうれしいことです。
経験者の目線で見ると、相手の国籍や人種など第三者に対する紹介の道具でしかなく、要はいかにお互いが楽しく気楽に過ごせるかということしかありません。
もちろん中国人もロシア人も国民性とも言える素養を持っていますが、自分の持つ素養や家庭計画にふさわしい相手と結ばれることが何よりの幸せだと思います。
どうしてもはじめに結婚ありき、結婚で完結と考えがちな日本人ですが、助走から始まる長いマラソンのようなものなので、気持ちが通じ合う相手でなければ長くは続きません。
家庭作りなど、マニュアルなどありませんし大まかな計画と行き当たりばったりの臨機応変な対応で成り立っているようなものですが、これはこれで楽しいものです。
学校のテストならまだしも、大人の世の中など「正解が一つ」などとという問題そのものが稀有で、いくつもある正解の中からよりよいと思われる選択の繰り返しです。
社会主義時代は自分達が考えることを規制された時代でしたが、逆に見れば、考えないことで生き残ることができました。世の中変わって考えない者が取り残される時代になっています。考えても実践しなければそれも同じ事です。十数年送れてその波が日本海を越えてやってきたような昨今です。
All or nothing と、その周囲のことには目も向けず原理主義的に世の中の答えが導き出せれば苦労はしません。そういえばブッシュはファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)でしたな。
2003
03/04
〔Tue〕
00:00:00

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昼間から吹雪で風がやんだら雪が積もり始めました。春めいてきたのに、冬に戻ったようです。
スーパーに食材を買いに行ったらフィリピーナの奥さんに会いました。
昨日は幼稚園に行っている娘さんの雛人形を片付けるので大変だったとか。3月3日過ぎて雛人形を飾っていると嫁に行き遅れるという日本の伝承ですが、「うちは婿取りだから3日過ぎて飾っていてもいいんじゃないのかな?」と申しておりました。こいのぼりも立てたいから男の子も作りたいとか。
日本に来た当初は雪を見たことがなかったので、どんなに素晴らしいものだろう?と思っていたそうですが、今日のような吹雪になると「だまされたと思った。」と嫌気がさすそうです。
2003
03/03
〔Mon〕
00:00:00
◆ニンニク

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日本の焼き餃子にはニンニクがつきものですが、中国の餃子にはニンニクが入っていないものが多いです。
中国でニンニクの風味の効いた料理と言うのはあまりお目にかかったことがありません。
南方のほうではニンニクなどまず使わないそうで、あの臭いを嫌がる人たちも多いと聞いています。ニンニクを使うにしてもスワンミョウというニンニクの芽の部分で、地下茎のほうはあまり使われないようです。
寒い北の地方ではニンニクを使うようですが、それにしても見かける機会が少ないことを今思い出しています。
日本の焼き餃子を中国人が食べると「しつこい」と感じるようです。蒸し餃子を黒い酢と場合によってはそれに砂糖を入れてタレをつけて食べる人々なので、ラー油をつけて食べる日本とは習慣が違います。
ラーメン同様餃子も日本で独自の進化をしました。
2003
03/02
〔Sun〕
00:00:00
◆春一番

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朝から強い風が吹いていたので、春一番が来たのかな?などと思っていましたら、雪が混ざって降ってきました。春一番とは強い南風のことだとか。
栃木県では突風で家が倒壊し、けが人も出た模様です。
この時期になると黄沙の混ざった赤い雪が降ることがあります。これが降ると春のしるしですが、昔は黄色っぽかったのに年々赤強くなっていくような気がします。
森林の乱伐で表土が剥き出しになった中国大陸の様子が分かる思いです。
世界の工場になりつつある中国ですが、大気に混ざったこの細かな土が良い影響をもたらすとは思えません。特に精密な作りになってきている昨今の工作機にとって致命的になるでしょう。
森林の復活を目指して植林にいそしんでいるようですが、日本人の技術協力あってこそです。
2003
03/01
〔Sat〕
00:00:00

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ロシアでは女性会員の写真をスキャナーで読み込みの作業にかかったようです。来週中には紹介できる環境を作りたいと思っています。
ハルビンとロシアのウラジオストクの女性たちの一番の違いは家族に対する考え方のように思えます。ハルビン女性が夫の親や親戚まで家族として考えているのに対して、ロシア女性は夫と子供までが家族。親の面倒ということにも意外とドライです。もちろん個人差が多様にあることは言うまでもありません。
ハルビン女性が物事を明確に主張するのに対して、ロシア女性は曖昧な部分が多いのですが、日本人的な曖昧とは違うので、気になるときがあります。
一番明らかに違う部分はハルビン女性が気に入った男性に対して積極的に世話を焼くのに対して、ロシア女性はそういったそぶりを見せようとしないところでしょう。
要求される男性のタイプも異なりますが、どちらも男性がおっとりしている土地柄なので、大らかな人柄が好まれることは共通です。