2003
12/31
〔Wed〕
00:00:00
◆辛い!

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台所の掃除をしていたら唐辛子の束がでてきました。2−3年前に作ったタカの爪で、食器棚の下の開きにしまって忘れていました。
「大地の子」で息子の無罪を晴らすために北京の人民来診来訪室に直訴に行った陸徳志が野宿をしていると、カラシ湯を配る人がでてきます。唐辛子をヤカンで煮たお湯だそうで、体が温まるとか。
そういうわけで、ストーブの上のヤカンにカラシの束を突っ込んでカラシ湯を作ってみました。
ぐつぐつ煮ているとカプサイシンの刺激なのか、痛くて目も開けていたらないような湯気が立ちこめてきました。
赤いお湯になるのか?と思っていましたが、濃い黒ずんだ黄色のような毒々しい色になり、ちょっと飲んで見ましたが、むせってとても飲めるような代物ではありませんでした。カラシを入れすぎたようです。あるいは、中国では日本のカラシほど刺激の強くないカラシを使っているのかもしれません。
中国人はカラシの味を上手に引き出します。ただ辛いだけではなくカラシの風味や旨みを上手に料理に生かします。
お歳暮でもらったごま油があるので、残りのカラシでラー油でも作ってみようかと思っています。
私は辛いものが大好きなのですが、ロシア嫁は甘党で辛いものが苦手です。一人楽しく辛いものを味わうことも密かな喜びです。
2003
12/30
〔Tue〕
00:00:00
◆牛丼2

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30日です。今年もあとわずかです。この一年はいかがでしたでしょうか?
USAの狂牛病問題で牛丼の将来を案じていましたが、吉野家が牛丼の特盛りをメニューからはずし、2月までにUSAからの牛肉の輸入を再開しないと牛丼をメニューからはずすと宣言。今月は牛丼に縁がある月でたびたび日記でも話題にしていました。
牛丼の存続問題は理解できるが特盛りをなくすというのは理解しがたい部分です。特盛りは松屋にはない吉野家のメニュー(すき家には特盛りがある)。牛肉の量が問題だとしたら牛皿はどうなってしまうのだろう。特盛りや牛丼がなくなったら国民が困ると逆手に取ったやり方をされると、牛丼を盾に自分の意見を押し付けるな!といいたくなります。
普通なら安全な国産牛をとか、ニュージーランドやオーストラリアの牛肉を使いますと言いそうなものですが、何が何でもUSAの牛肉ありきなのかな?サリドマイド、血液製剤などは医薬部門ですが、汚染廃棄物の最終処理場は日本人というのが過去の実績。
年明け早々にブッシュやアーミテージが突然来日し、イラク派兵の催促か?と思いきや、牛丼食って「安全です」とパフォーマンスしたりすれば面白いのですが、外圧に負けて危険な牛肉の輸入再開より、吉野家の圧力に負けて輸入再開の方がまだ国民感情はいいかもしれません。
牛丼を取るか安全をとるか来年に持ち越された大きな問題です。
来年の今頃「昔、牛丼と言う食い物があったな」などと話しているのでしょうか?
昨年の今頃はきな臭くなる中東情勢に一喜一憂していましたが、1年経ってみて戦争そのものは表向きには終結したものの、情勢はさらにきな臭くなってしまったように思います。灯油が安くなったことだけはありがたいですが。
何事もなく健康に新しい年を迎えられることは実にありがたいことですが、それが当たり前のように思えてしまうのは不幸なことかもしれません。
昨年の今頃いた家族が今年はいなかったり、まだいなかった家族が生まれていたりと、1年の間にもいろいろあるものです。
来年の今頃、再来年の今頃どうなっていることでしょう?前向きに想像したいですね。牛丼はきっと生き残ります。
年の瀬に牛丼について熱く語っていながらこんなこと言うのも奥がましいですが、2003年もあと一日、有意義にお過ごしください。
2003
12/29
〔Mon〕
00:00:00
◆ひといき

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昨日、餅つきを手伝ってはつきたての餅をご馳走になって、夜中に胃もたれのむねやけで目が覚めました。寝ぼけまなこで台所に行って太田胃散を飲んだつもりが、抹茶を飲んでしまいました。太田胃散の空き缶を茶筒代わりにしていたので、いつかやらかすのではないかと思ってはいました。
気がついてあらためて太田胃散を飲みましたが、寝ていてゲップが出ると抹茶の香りが顔の周りに漂って心地悪いこと。胃もたれが悪化した感じがしました。
介護関連の工作製品の仕上げ加工を、知り合いの伝を頼って地元の福祉作業所に依頼することになりました。こういうご時世なのでとても喜んでもらえて光栄でした。
日ごろはトマトなどの農産物の箱詰めなどをやっているそうですが、この季節になるとこうした仕事もないそうで、年明けには役員の方々に仕事の依頼を紹介していただける運びになりました。
盆暮れ正月や昼夜の区別なくあわただしかったこの数ヶ月ですが、ようやく地元の役に立つことができそうで肩の荷が一つ下りた気持ちです。
気持ちが楽になったこともあって、ウラジオストクの家族へのクリスマスカードのことを思い出しました。ロシアのクリスマスは1月7日なので、届くまでおよそ14日間を見越して年の瀬に出すのですが、今年は福祉の仕事の方が忙しくてすっかり忘れていました。
メッセージの合間に絵を描くつもりで書きかけてそのままでしたが、下絵だけは作っておいたので色鉛筆で色付けをして送りました。
この一年は忙しさにかまけて無礼が続いたので気にしていますが、そんなこちらの気持ちなど一切気にしていない強い人たちです。
なんでも一生懸命やっていればたまには良いこともあるもので、年末になってエスティマのサスペンションが壊れてしまい、走行距離20万キロを超えた軽トラで飛び回っていたら、見かねた先輩が7月まで車検がついているシビック・シャトルの4WDをプレゼントしてくれました。年明けは荷物を積んで東京に行ったり新潟に行ったり忙しいので、対応年数をとっくに過ぎた軽トラだけでは心細かったのですが大助かりです。
2003
12/28
〔Sun〕
00:00:00

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ハルビンスタッフの西郷ドンのお父さんがこの春脳溢血で倒れて、西郷ドンは相変わらず父親の看病でつききりです。
親を完全看護の病院に押し込んで家族は知らん振りと言うことができないのが中国人のメンタリティーのようで、姥捨て山に捨てるように介護老人ホームに親を送り込む日本人は彼らの目にはどう映るのだろう?
それにしても、介護保険を新たに創設して保険料徴収しているのに、どこに使われているのかわからない日本の保険制度も大いに疑問に思います。
全部病院が、と言うのは大間違いで、保険の点数制度は年々厳しくなっています。
介護福祉などの補助金や助成金は多いのですが、これらの多くがナンタラ協会やカンタラ事業団などを通して配布されます。当然そこには専従職員がいますし、その給与もその予算の中から支払われています。
親や家族の介護に追われて仕事もままならない人に配布されるべき保険には厳しい審査が課せられますが、その団体に天下った官僚や理事などに名を連ね寄生する政治家には給与や退職金が当たり前のように支払われます。老後は国に面倒を見てもらおうと言うはらづもりが、結果的に老後も国の面倒を見てやっている日本人かもしれません。
2003
12/27
〔Sat〕
00:00:00
◆SARS出現?

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中国の広州市でSARSらしい患者が出たとテレビで放送していました。既にこの冬のSARS第一号は台湾で出ているようですが、広州市の患者が本土第一号となるのだろうか?
広州市といえばホンダがアコードを現地生産している町です。日本からはホンダの技術者も行っている事でしょうから、それも心配なことです。
中国国内でまことしやかにささやかれている噂では、SARSは広東人の遺伝子に対して発症する生物兵器だとか。確かに広東福建やそれに近い台湾やホンコンなど南のほうで出ています。他の国でもSARS患者のほとんどが中国系ですが、南の人々の方が歴史的に見ても外国に進出しています。それにしても、何で?と思ってしまいます。
中国政府は上海の派閥と、広東派閥の二大勢力の争いなのだそうで、まさに呉越の勢力争いです。本来言語も違う民族ですから簡単に融和などできないことでしょうが、特定の遺伝子にだけ反応するウィルスを開発できる技術力があったとすればたいしたものです。
ハルビン含め黒龍江省など中国から忘れ去られた土地なので、半分冷ややかに、半分ひねくれて「俺たち中国人じゃないからSARSにならない」と笑っています。
氷祭りの季節には南からたくさん観光客が来ますが、ハルビン人がSARSにならないのは民族が違うからだとか。
確かに東北三省は新しいフロンティアだったので、各地から集まった人が混ざり合って混血していれば、雑種強勢で丈夫な体と優秀な頭脳が生まれるはずです。
これからの季節はただでさえ寒さが健康状態に大きな影響をもたらすので、昔からハルビンの人たちは感冒炎などの予防には熱心です。これが幸いしているのでは?
2003
12/26
〔Fri〕
00:00:00
◆間違い電話

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夕方、横山やすしのような喋り方をする見ず知らずの大阪のオッサンから携帯に電話がありました。もちろん間違い電話です。
数分後、また同じオッサンから電話がありました。また間違い電話です。自分で間違い電話をかけておきながら「あんた誰や?」というので、かくかくしかじかうしうしうまうまと話したところ「そら、えろうすまなんだ」と、仕事の御用納めが終わって心斎橋の居酒屋で仲間と飲んでいるところで、友人を電話で呼び出すのに間違えてかけてきたことを説明してくれました。
1年間のお勤めご苦労様良いお年をと丁重にきりました。
2時間後、ろれつの回らない状態で「よお、群馬のにいちゃんか!」と電話があり、「今、大丸の前や!これからカラオケ行くでぇ〜」と報告がありました。なんだ?このオッサンはと思いつつも、「難波のキャバレーにでも行くんですか?」「行くかい!心斎橋のスナックや!」と話をあわせてしまうのが悪い癖です。何でも、心斎橋界隈にはたこ焼きを海老せんべいではさんで食べる「たこせん」なる美味な食べ物があるそうで、帰りに買ってきてくれると言っとりました。
1時間後。
BSの「冬のソナタ」の感動的な場面に胸ときめかしていたら、「群馬の兄ちゃん、間違い電話のお詫びじゃぁ〜!あんたも歌わんかぁ〜」と電話がかかってきて、”二人の大阪”を歌わされてしまった。しかも、携帯電話のスピーカーにカラオケマイクをくっつけているようで、私の声にエコーがかかって背後に流れているのがわかった、のみならず、一緒にデュエットしてくれた女性は誰なんだろう?
馬鹿なことをしてしまったと思いつつも、こんなことしてくる名もなき大阪のオッサンも相当アホな人物ではなかろうか?と感心しております。手ごわい相手でした。
無事家に帰れたのだろうか?たこせんはどうなるのだろう?
2003
12/25
〔Thu〕
00:00:00
◆BSE

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USAで狂牛病がでて牛肉輸入がストップしました。牛丼の将来はどうなるのだろう?と心配する以前に、先週食ってしまったことを心配すべきかも知れません。感染した牛肉など醤油で煮れば大丈夫!と勝手に思い込んでいます。
口蹄疫という伝染病があります。ヒトにはまったく影響ありませんが、牛や豚やヤギなどひずめが二つある動物に感染する病気です。
数年前に台湾で口蹄疫が出て、畜産関係者の台湾渡航に自粛例が出たことがありました。結局、2−3年前には九州方面で口蹄疫が出てしまいました。
クリントン政権のときにUSAで口蹄疫が発生したとき、USAは発生地から半径150kmの家畜は全て屠殺する強権を発動して蔓延を防ぎました。
今回のBSEでブッシュはどんな手段をうてるか注目してみています。ヒトには影響のない口蹄疫でさえそこまで徹底できたのですから、ヒトに影響の大きいBSEならなおさらです。
牛肉はクリスマス時期の需要が多いのですが、この時期にBSEが話題になるのは裏に意図もあるのではないかと思っています。
これで牛丼やハンバーガーの安売りもなくなるのでは?と少々残念に思っていますが、国産牛に良い影響が出てくれることを願っています。
2003
12/24
〔Wed〕
00:00:00
◆変動相場

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中国の通貨「元」の切り上げがたびたび話題になります。日本でも1ドル360円の固定ルートから変動相場に移行して、輸出産業がそのあおりを大きく受けたことがあります。
中国の「元」が実際にはその6倍の力を持っていると言われていたので、前回中国に行ったとき使い残した「元」をとっておきました。早く6倍にならないかなと楽しみにしているのですが、6倍どころか中国「元」の価値はさらに下がり、逆に日に日に「円」が強くなっています。私が持っている中国「元」は1万円相当ですが、それでも「話が違うじゃないか!豊な老後はどうなるんだ!」とむかついています。
普通に日本で暮らしているぶんには為替相場がどう変わろうとあまり関係ないように考えがちですが、実は社会なんてものは「約束事」の微妙な引っ張り合いの中で成り立っている砂上の楼閣のようなもので、貨幣なんてものはその約束事が怪しくなればただの紙切れです。
とっぴな言い方ですが、「愛情」や「友情」は人がらの「信頼」と「誠意」で成り立ち、「約束事」などなくても維持できるものです。「恋」の悩みはあっても「恋」の変動相場なんてないでしょう。
人と人との関係は世情に関わりなく尊いものですので大切にしたいですね。
2003
12/23
〔Tue〕
00:00:00
◆ステレオテレビ

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東条英機が戦争犯罪でGHQに処刑されたのは昭和23年の12月23日です。巣鴨プリズンの場所は現在の池袋サンシャインビルになっています。
ハルビンに行っている代表団からの電話では自分たちの前を走っていた公安(警察)の自動車が凍った道路で滑ってタクシーに激突。タクシーの運転手は大激怒。
でも、公安は権力を持っているから「そんなところを走っているお前が悪い!」とタクシーの運転手を連行していったそうです。
初めて中国に行った人は「何ナノ?これ」、中国慣れした人は「基本だよね。権力の基本だよね」。
大晦日は猪木祭りとK-1とプライドが同時間帯に重なります。ビデオ2台は必要になりますが、リアルタイムで見なければ面白くありません。
と言うわけで、寝室のテレビを居間に移動し、2台のテレビでとりあえず二つ見られるようにしました。
夜、「突入せよ!浅間山荘」とBSの韓国のラブドラマ「冬のソナタ」が同時間帯だったので、早速威力を発揮しました。当初、両方で浅間山荘を映して「ステレオ放送」と喜んでいましたが、10時から冬のソナタが始まり状況は変わってきます。この二つはK-1と猪木祭り以上に内容が異なるために、同時に見ていると何がなんだかわからなくなります。
浅間山荘では機動隊が連合赤軍の銃撃に耐えているのに、片方では美男美女が愛を語らっていて、本来国のあり方としては北の問題を抱える韓国が「浅間山荘」で、こうした世情に関わりなくノーテンキな日本人が好いた惚れたの「冬のソナタ」なのでしょうが。
連合赤軍問題はこのあたりも無縁ではなく、一派が群馬県内の山の中に潜んでいて内ゲバ問題を起こしています。私は当時小学生でしたが、しばらくは登下校に大人が同伴してくれたことや、夜回りをして施錠を呼びかけたり、緊張感のある日々が長く続きました。自分の身の回りに連合赤軍が潜んでいるのでは?と言う恐怖感はいまだに残っています。
浅間山荘突入のときは校長が「歴史に残る事件だから記憶しておくように」と学校のテレビ室に集まって見せてくれました。
テロ問題が注目される中、治安の安泰を保つことの重要性を感じると共に、運命に翻弄されるような恋愛をしたかったなぁと両方の番組見て思いました。
2003
12/22
〔Mon〕
00:00:00
◆自然への理解

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昨日の大雪の様子をデジカメで写してウラジオストクにメールで送ったら、返信に書かれていた言葉は、「ウラジオストクは寒いだけで雪も降ってくれません。」と水不足の深刻さを物語っていました。
外国人から法外な税金を取る政府のドル箱とも言えるホテルには威信をかけてシャワーの水を供給していますが、一般家庭では風呂にまわす水が不足している状態です。
郊外の農村なら家にバーニャ(サウナ)を持っているのも当たり前ですし、水の量と住む人の量はバランスが保たれています。自然の恩恵を超えたほどの人間は住んでいません。こうした事態で都市の脆さが露呈します。
奥方の実家のダーチャ(郊外菜園)の小屋にはバーニャがあり、近くに水が沸いています。父親が生前この水をダーチャに引っ張ってきたそうです。
例年、冬は雪に埋もれて足を運ぶことがないダーチャに、この冬は泊り込んでいるようです。「今度こちらに来たら薪運びをしてくれ」と頼まれています。柴橇でも作って運んでやろうと思っています。50年前ならシベリア抑留日本兵の仕事でしたが。
ダーチャの影響もあるのでしょうが、自然との関わりをよく理解しているのがロシア人です。
「自然を愛し」、「芸術を理解する」日本人はたくさんいるでしょうが、「自然を理解し」、「芸術を愛する」日本人はどのくらいいるのだろう?
些細な誤解のきっかけにこうした概念の違いが根底にあり、時として大きな問題に達することも。
視点を変えて診る意義は大きいです。
2003
12/21
〔Sun〕
00:00:00
◆寒い!

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昨日の大雪の後始末で一日大変でした。北風の雪にしては水気を含んだ重い雪で気温が暖かかったことを物語っています。重すぎて除雪が大変でした。
とりあえず今の時期に雪が積もれば根雪になるので、来年の東京方面の水は確保できるのではないかと安心する反面、今年も雪かきの冬が来るのかとため息です。
昼過ぎ、この秋にフィリピンから嫁さんをもらった人から電話があり、嫁さんは英語ができるから通訳してくれと呼び出されました。
この雪と寒さでぶったまげて国に帰りたいと泣いていました。部屋の中では2台の石油ファンヒーターがフル稼働し、私など半そでで過ごせそうな暑さです。ご亭主が熱いからとストーブを止めてしまうのも気に入らないと怒っていました。
埒が明かないので知り合いのフィリピン人の嫁さんに電話して説得してもらいました。
「おたくのように寒いところからもらえばこんな苦労は・・・」と言っていましたが、寒い国では外は寒いが家の中は暖かい生活をしてきているので、日本の家屋の寒さと湿気による体感的な寒さにはとことん根性がない人々です。
2003
12/20
〔Sat〕
00:00:00

--

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昨日からの雪が降り積もってようやく冬らしくなりました。北風に乗ってきた雪にしては重い雪で、雪かき仕事が大変でした。
毎度のことですが、我が家では屋根に雪が積もるとテレビが映らなくなります。BSだけは映りますが、地上波は砂漠の嵐です。「北の国から」を見たかったのですが音声は出るものの画像が荒れていたので、前回録画しておいたビデオで見ました。
せっかくだからビデオと放送をシンクロさせてみようと、寝室からもう一台テレビを持ってきてこちらでビデオの画像だけを再生し、放送から音声だけ出して同調させるのですが、前回の放送とスポンサーが違うのでコマーシャルが終わると画像と音声がずれるので、それにビデオの画像が合うように調整しているうちに次のコマーシャルになってしまいました。
夜中にハルビンに行ったNPO代表から電話がありました。海外でも使えるとテレビで宣伝しているボーダフォンを持って行っています。音質がいいので驚いたら、ホテルの電話から日本テレコムを使ってかけているのだとか。ボーダフォンは?と聞いたら、海外で使う手続きを忘れていたようで、携帯の電源を入れても「圏外」になってしまうとか。海外で使えるようになるカードを電話に入れなければならないのだそうで、「カード」と聞いただけで拒否反応を起こす人なので「余計なものはいらない」と断ってしまったのだそうです。使える機能はカメラ機能だけなので、デジカメ代わりに使うとか。
今回、はじめてハルビンに行ったスタッフは空港に降り立ったときに唖然としたそうです。360度どこを見渡しても雪をかぶった畑が真っ白に広がっているだけで「こんな所で降ろされて大丈夫だろうか?」「本当にここがハルビンなのか?」と、市内に入るまではどこか別の街につれてこられたのではないか?と不安だったそうです。市内に入ってようやく写真で見せてもらった光景が広がり安心したそうです。
2003
12/19
〔Fri〕
20:18:08
◆訪中団

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前日からそのままお江戸に居残り、深夜からハルビンに行くNPOメンバー6名を新潟空港まで送り届けました。
寄贈品の免税扱いのことで、代表と中国領事館との折衝(食事)で夜遅くまで時間がかかったために前夜に出て新潟のホテルに宿泊するか、早朝出発か二転三転していましたが、夜中の1時に東京を出発し、朝6時間に空港に着きました。まだ空港が開く前だったので、ファミレスで時間つぶししました。
車内で、この冬SARSが出るとしたら政治的にシンガポールか台湾からだろうなどと話していたら、ファミレスのTVで「台湾でSARS発生」の報道が流れていました。
黒龍江省の農山村の学校に寄贈する教材やインフルエンザ(SARS)予防のマスクや消毒液など、前日に宅急便で送った荷物を免税扱いにしてもらう品物に免税扱いの手はずをしたり、空港ロビーであわただしく時間を過ごしました。
前夜から寝ていないので一通り落ち着いてから一足先に私は自宅に戻りましたが、途中、高速のSAで2時間ほど寝ました。
一行はこれから年明けにかけて黒龍江省から上海・広東と行脚してくるので、SARS情報が入ったら報告します。
2003
12/18
〔Thu〕
00:00:00

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昨日に続き神楽坂での昼食の話題。
牛めしの「松屋」に行きました。牛丼ではなく牛めしと呼ぶこだわりがいいとか、悪いとかではなく、時間がなかったのすぐ食べられそうで行きました。
食事も終わり出ようかなと思っていたら、隣に座った法政大学の学生らしき青年が出した食券が「トン汁定食の汁なし」。はてな?トン汁の汁なしとは?と好奇心にかられ、お茶のおかわりをして店に残り、具だけが入ったトン汁が出てくることを期待して待っていました。トン汁から汁がなければ「トン」ではないか?などと期待していました。
何のことはない、牛丼の汁がかかっていないだけのことで、トン汁は汁が入っていました。
今は亡きヒマラヤ登山家の先輩が世界最高峰登頂後下山の最中標高8300m付近、高度障害で幻覚を見て「隊長!吉野家があります。でも、金持っていません!」
と無線でベースに連絡してきました。隊長は「ダメダコリャ」と思いつつも逆らわず、「C4まで降りて来い!近くに松屋がある。10円高いが味噌汁付だ!」となだめ、何とか下山させました。
後日、その先輩が言うには、「本当に雪煙の中に吉野家が見えたんだ。牛丼の匂いがした。吉野家の看板のオレンジと松屋の黄色の違いくらいどんな状態でもわかる。」
と本当に見たことを主張していましたが、標高8300mの山の中まで牛丼食べに行くサラリーマンなどいるのだろうか?しかも。そのふもとはヒンドゥー教の地域なのに。
この先輩と牛丼にまつわる話は他にもあり、ヒマラヤ登山のために節制の極みのような生活をしていたので、吉野家に行って注文するのは「ライス」だけ。しまいには出入り禁止になっていました。
そういえば、この先輩が千歳烏山のアパートに引っ越したとき、引っ越し祝いに寿司を買って持っていったら、棚から出してきた小皿が回転寿司の皿でした。「おめえらだってサントリー館に飲みに行けば灰皿やコップ持ってくるだろ!」と言っていましたが、それと回転寿司の皿は次元が違うような気がします。
後に、植村さんと同じ冬のマッキンレーで亡くなりましたが、「横浜すき屋」の牛丼屋を見つけたのだろうか?
2003
12/17
〔Wed〕
00:00:00
◆神楽坂

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花のお江戸に勉学のために行って来ました。飯田橋の東京理科大で長時間の講義に耐え、何とか生き延びています。あと一日試練は残っています。
昼時、昼食を食べに神楽坂に行ったら、南こうせつそっくりのおばあさんがいました。こんな珍しい顔、天然物では見かけないので、かばんからデジカメを出して電源を入れたら「メモリーカードが入っていません」と表示。せっかくのシャッターチャンスを逃してしまいました。
神楽坂は古い街並みと言っても東京大空襲の時には燃えた町ですが、まじまじと歩いたのは初めてです。芸者さんが出て聞いたら絵になりそうな細い通りなどを目にして、今度異国の人を連れてきてやろうかと思いました。浅草のようにガイジンズレしていなくて粋な感じがしました。
2003
12/16
〔Tue〕
00:00:00
◆間違い電話

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夕方、横山やすしのような喋り方をする見ず知らずの大阪のオッサンから携帯に電話がありました。もちろん間違い電話です。
数分後、また同じオッサンから電話がありました。また間違い電話です。自分で間違い電話をかけておきながら「あんた誰や?」というので、かくかくしかじかうしうしうまうまと話したところ「そら、えろうすまなんだ」と、仕事の御用納めが終わって心斎橋の居酒屋で仲間と飲んでいるところで、友人を電話で呼び出すのに間違えてかけてきたことを説明してくれました。
1年間のお勤めご苦労様良いお年をと丁重にきりました。
2時間後、ろれつの回らない状態で「よお、群馬のにいちゃんか!」と電話があり、「今、大丸の前や!これからカラオケ行くでぇ〜」と報告がありました。なんだ?このオッサンはと思いつつも、「難波のキャバレーにでも行くんですか?」「行くかい!心斎橋のスナックや!」と話をあわせてしまうのが悪い癖です。何でも、心斎橋界隈にはたこ焼きを海老せんべいではさんで食べる「たこせん」なる美味な食べ物があるそうで、帰りに買ってきてくれると言っとりました。
1時間後。
BSの「冬のソナタ」の感動的な場面に胸ときめかしていたら、「群馬の兄ちゃん、間違い電話のお詫びじゃぁ〜!あんたも歌わんかぁ〜」と電話がかかってきて、”二人の大阪”を歌わされてしまった。しかも、携帯電話のスピーカーにカラオケマイクをくっつけているようで、私の声にエコーがかかって背後に流れているのがわかった、のみならず、一緒にデュエットしてくれた女性は誰なんだろう?
馬鹿なことをしてしまったと思いつつも、こんなことしてくる名もなき大阪のオッサンも相当アホな人物ではなかろうか?と感心しております。手ごわい相手でした。
無事家に帰れたのだろうか?たこせんはどうなるのだろう?
2003
12/15
〔Mon〕
00:00:00
◆真面目

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BS2でやっている韓国のメロドラマ「冬のソナタ」をまじまじと見入ってしまっています。
いまどきの日本では作れないストレート一本勝負のラブロマンスで、こういうことを照れないでやれる韓国文化には感動しています。昭和30年代の日活映画か40年代の大映ドラマを見る思いです。
日本なら、ストーリーが先読みできるとか、挿入歌のメロディーにひねりがないとか言われてしまいそうですが、ここまで真正面に演じられてしまうと頭が下がってしまいます。
こういう美しい恋愛をしたかったものですが、ついつい煩悩が浮き出てしまうものすから、難しいですねぇ。
照れないで真面目に恋愛と言うのは国際カップルの基本でありまして、自己陶酔できない性分なものでこれがなかなか辛いものがあります。
「照れ」を「不真面目」と見られてしまうのが外国人の文化の違いなのでしょうか?
真面目に恋愛しましょう!
2003
12/14
〔Sun〕
00:00:00
◆討ち入り

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赤穂浪士討ち入りの日です。吉良上野介は女装して隠れていましたが、地下室からは髭もじゃのフセイン元大統領が発見されました。アメリカも「忠臣蔵」の日にフセインを見つけるとは考えてますな。そういえばビートたけしの講談社討ち入りもこの日だったと思います。
捕まったのは本物のフセインだろうか?このところ世界的世論がUSAに厳しいので、替え玉説が出てきそうです。
これで内乱状態が沈静化できれば良いけれど。
この3日ほどウラジオストクの電話状態が良くなくて、何回かけてもつながりません。回線不具合はもちろんのことまた停電でも頻発しているのだろうか?
昼間の停電でパソコンが使えないことはよくありますが、電話が通じないときはおそらく国際回線の問題だと思います。
水不足は深刻なようで、アパートの蛇口からのお湯はほとんどでない状態だそうです。お湯が出ないとシャワーが使えないので、鍋でお湯を沸かして湯船に入れてお風呂にしたり、タオルで体を拭いたりしているようです。
ハルビンスタッフのお父さんはこの春脳溢血で倒れて入院生活をしていますが、相変わらず寝たきりの状態で年を越しそうです。
中国では高脂肪分の食事で心臓や脳溢血など多発しているので政府が食生活を変える様宣伝し始めたのはごく最近のことです。
本格的に寒くなるので健康には注意しましょう。
2003
12/13
〔Sat〕
00:00:00

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夕方、車をぶつけられてしまいました。ぶつけられたと言うよりかすったと言う方が正解かもしれません。
家から数百メートルの場所ですが、国道のゆるい右カーブで対向車のワゴンがかなりの速度でこちらに向かっていました。
「なんかずいぶん右に寄ってきたな?」と思いましたが、昨今の風潮がそうですし、今までエセ左翼にかき回されてきただけに右傾向化は自然の摂理、憲法改正も時代の必然かなどと考えているまもなく、センターラインを突破してこちらに突っ込んできました。
ミラーとミラーが接触し、本体にまで及びませんでしたが危ないところでした。
こちらのミラーは外側が傷ついただけですが、向こうはミラーがすっ飛んでいました。東京の若い衆ですが、居眠り運転だったようです。怪我がなくて幸いです。
実はこの場所が事故の名所のひとつで、先月も同じように新潟方面から来た、い眠り運転の自動車が川に飛び込んでいます。昨年の夏にはトレーラーが歩道をなぎ倒して川に飛び込んでいます。どちらも幸いなことに怪我はありませんでしたが、私の知るだけでも今までに8人亡くなっています。
事故といえば、10年ほど前ですがちょうどここで事故直後の現場に通りがかったので、救急車を呼んだりけが人の手助けをしました。
ハンドルがグニャリと曲がり意識を失った運転手がシートでぐったりしていました。中にいる運転手を助け出そうとしたところドアがゆがんで動かない状態でした。近くの家の花壇にあった建設ブロックを借りてきて、運転席のサイドガラスを割ったのですが、このとき勢いあまって建設ブロックが半分に割れてしまい、割れたかたまりが車内に飛び込んで、中でぐったりしている運転手の顔面にぶつかり顔面血だるまになってしまいました。(ちなみに、運転席の窓ガラスを壊さなくても、助手席と後部座席のドアが開いたのでこちらからけが人を搬出しました。)
大変なことをしてしまった!と周囲を見渡し誰も見ていなかったから、さりげなく車内に飛び込んだブロックのかたまりを自動車の下に隠し、けが人を車内から引っ張り出すドサクサに川のほうに放り投げて、自分の自動車からタオルなどを持ってきて、救急車が来るまで甲斐甲斐しく手当てをしました。結果的には傷口を広げたような思いもしましたが、それはさておいて爽やかに救急車を見送りました。
私の尽力もあってか、幸い命は助かり後日お礼の電話をもらいました。
2003
12/12
〔Fri〕
00:00:00

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犬猫病院からネコの健康検査と予防接種の通知が来たので連れて行きました。
鬼のいぬまにではありませんがこういうことはロシア嫁抜きにやらないと大変なことになります。病院に行けばいろいろな種類の犬や猫がいるし、「世界のワンちゃん」などのポスターが張られているものですから嬉しくなって「今度は犬が欲しい」などと始まること請け合いです。
待合室で待っていると犬を連れたオバサン達が並んでいましたが、犬の美容室に連れて来ているようでした。まあ、それがそろいもそろってブルドックかチャウチャウのような顔したこわもてのオバ様たちで、犬の方が利発そうな顔しています。
こちらは病み上がりでまだ鼻水が止まらない状態でしたので、ティッシュボックス持ち込んでくしゃみをしながらネコを抱いて順番待ちをしていましたら、ババアどもがひそひそ話で「どっちが医者に見てもらうんだろうね」と失礼なことを喋っているのが耳に入りました。
ババアどもが連れて来たシェットランドシープドックが待合室を飛び回っていて、かわいいから足でじゃらして遊んでいましたら、興奮して私の足に噛み付きました。
これがロシアなら人を噛んだ犬は即刻刑場送り、ハルビンなら罪のあるなし関係なしに鍋の中なのですが、そこは無責任な日本です。「ダメでしょう!変なものに噛み付いちゃ!」と腹が立つこと腹が立つこと。
ふくらはぎ二箇所に出血していたのでネコの診察の合間に消毒してもらって絆創膏を張ってもらいました。予防接種している犬だから狂犬病など大丈夫だよと獣医師は言いますが、使った消毒液やアルコール綿など犬猫に使うものと同じでした。効能は同じかもしれませんが。人間の尊厳を著しく傷つけられた思いです。
2003
12/11
〔Thu〕
00:00:00

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インフルエンザと思しき風邪は前日より少しは体調が良くなってきましたが、いまだに体温は高いし悪寒が走ります。
病気知らずが自慢だっただけに体調を崩すと精神的に不安になってしまいます。それにしても回復力が落ちたのは歳のせいなのだろうか?
村の保育園と幼稚園では水疱瘡とおたふくかぜが流行っているとかで、幼稚園は休みになっています。私はこの手の病気は一通りやったので感染することはありませんが、海の向こうから来る奥様達はどうなのだろう?
昨今の日本では飲み薬でハシカの抗体を作って予防してしまうとかで、そういえば子供のハシカは聞かなくなりました。大人になってから感染すると症状が重いので、子供のうちの通過儀礼のような病気です。子供の病気と笑っていられません。
私の友人は昨年の秋に49歳にして水疱瘡になって一ヶ月ほど入院していましたが、退院してからもずいぶん長いこと通院をしていました。孫が保育園から水疱瘡をもって来たのだそうです。
2003
12/10
〔Wed〕
20:26:07
◆インフルエンザ

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この冬はタチの悪いインフルエンザが流行しそうな気配だとか。毎年流行しそうなインフルエンザを先取りして予防のワクチンを作るそうですが、今年は予想に反したインフルエンザが流行しそうな気配でワクチンがまに合わないとか。
4年前の冬に中国北部からロシアにかけて殺人インフルエンザが流行し、お年寄りや子供に犠牲者が出ました。知り合いのロシア人医師などは奥地の農山村に予防や治療に派遣されていました。
96年から97年にかけてだったと思いますが、日本でも殺人インフルエンザが流行し、お年寄りを中心に毎日のように死者が出たことがありました。流行に縁のない私もことインフルエンザにあたってしまい、約一週間悶絶しました。
休みを取ってカメラ機材かついで一人で冬山に登っていて、なんともだるくて咳が止まらずおかしいと思って早々に下山して来たのですが、翌朝から熱は下がらない、肺は鉄板のようにヒリヒリしてすぐに病院に駆け込みました。一人でこのまま家で過ごすのも不安なので、猫を連れて実家に逃げ込みました。それ以降風やインフルエンザとは縁がなかったのですが、今年はちょっと様子が違います。
先週のはじめごろから体調がおかしかったのですが、7日の日曜から具合が悪化して、今日など寝たり起きたりの状態でした。呼吸すると胸がヒリヒリするのでストーブの上でお湯を沸かして部屋の中の湿度を上げています。流行の先端を行ったかもしれません。
のどが渇くのでお茶を飲んでいますが、そのせいか眠れません。
昨夜、留学生達の相談役をしている関西方面の友人から電話があり、ハバロフスクからの留学生が、風邪気味だからとロシアから持ってきた風邪薬を飲んで寝ると連絡があったまま丸一日音沙汰がないので心配になり、スープや温かい料理を持って彼女の部屋を訪ねたら、チャイムの音で目が覚めてようやく起きてきたそうです。
ロシアの風邪薬は強烈な睡眠薬なので危険です。ただでさえクマの冬篭りのようによく寝る人たちなのですから、この期に及んでまだ寝るのか?と言いたくなりますが、睡眠は最高の治療だとか。
奥方様の幼馴染は11歳のときに風邪薬を飲んで寝たまま二度と目を覚まさず今は墓の中で眠っています。風邪は根性で治す人なので、足にウォッカを塗って寝るだけで治ります。私のような文明人にはまねができません。
2003
12/09
〔Tue〕
00:00:00
◆訪中団

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前日からそのままお江戸に居残り、深夜からハルビンに行くNPOメンバー6名を新潟空港まで送り届けました。
寄贈品の免税扱いのことで、代表と中国領事館との折衝(食事)で夜遅くまで時間がかかったために前夜に出て新潟のホテルに宿泊するか、早朝出発か二転三転していましたが、夜中の1時に東京を出発し、朝6時間に空港に着きました。まだ空港が開く前だったので、ファミレスで時間つぶししました。
車内で、この冬SARSが出るとしたら政治的にシンガポールか台湾からだろうなどと話していたら、ファミレスのTVで「台湾でSARS発生」の報道が流れていました。
黒龍江省の農山村の学校に寄贈する教材やインフルエンザ(SARS)予防のマスクや消毒液など、前日に宅急便で送った荷物を免税扱いにしてもらう品物に免税扱いの手はずをしたり、空港ロビーであわただしく時間を過ごしました。
前夜から寝ていないので一通り落ち着いてから一足先に私は自宅に戻りましたが、途中、高速のSAで2時間ほど寝ました。
一行はこれから年明けにかけて黒龍江省から上海・広東と行脚してくるので、SARS情報が入ったら報告します。
2003
12/08
〔Mon〕
00:00:00

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知人のお父さんは戦後8年ほどソビエトに抑留されていました。西はモスクワまで連れて行かれたそうです。
この抑留生活で厳しい寒さにさらされたために毛根が凍り付いてしまい後にはげてしまったのだとか。
このお父さんのお兄さんは南方で終戦を向かえフィリピンのモンテンルパの収容所に入れられました。このとき暑いフィリピンの強い日差しを浴びたために毛根が焦げてしまい後にはげてしまったとか。
知人は生まれてからずっと50年近くこの村に住んでいますが、寒波も熱波もないのに毛根がやられてはげています。
日本人はあまり帽子をかぶる習慣がないので髪の毛が目立ちますが、特に冬の大陸は帽子なしでは過ごせないので目立たなくてすみます。
今まで見てきてウラジオストクでもハルビンでも髪の濃い薄いと言うことには無頓着で、日本人が必要以上に気にしすぎているようにも思えます。
年齢相応の風貌を持つことはこれはこれで重要なことです。
2003
12/07
〔Sun〕
00:00:00
◆クリスマスパーティー

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このところコタツで寝てばかりいたものですから風邪気味で、朝から鼻水がひどくティッシュボックスを持って歩く状態でした。そろそろパスポートの有効期限の残りも少なくなってきたので書き替えを考えていたので、週明けにでもやろうかと思っていたもので、背広を着て写真を撮りに行ってきました。出来上がってきた写真を見たら鼻水のおかげで赤鼻のトナカイさんになっており、しかも熱があったせいか顔も赤ら顔でむくんでいました。このまま頬かむりすればメークなしで安木節が踊れそうですこの写真で10年は刹那過ぎるので風邪が良くなったらもう一度写真を取り直すことにしました。
電気店に修理に出していた石油ファンヒーターを受け取りに行ったら、関西の友人から携帯に電話が入り、CIS圏出身の在日の人たちのクリスマスパーティーの実況報告でした。電話の向こうから子供の声やロシア語らしき話し声が聞こえました。クリスマスパーティーに限らず年に何回か集まって料理を持ち寄ってパーティーを開いているようです。
こちらでも来週クリスマスパーティーがありますが、私は福祉関係の講習会があって行けません。
11月19日の日記にも書いた不釣合いな日露カップルですが、クリスマスまで持つどころか、週末には女性が帰国してしまったそうです。
2003
12/06
〔Sat〕
00:00:00

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年明けにウラジオストクに行く会員さんがこちらまで出向いてくださって、これからの交際の進め方などを相談しました。お相手の女性もこの土日を利用して郊外に住む家族の元に交際の報告に行っています。
これ以上寒くならない時期の訪問なので、防寒対策さえしっかりしていれば、もっともロシア的な姿を見ることができるでしょう。郊外に行けば雪原に沈む夕日を見ることができます。是非この美しい自然の産物を味わってきて欲しいです。決して頭上に上らない冬の太陽は山肌をかすめるように時を刻み、一日の長さが違うような感覚にとらわれます。
日が昇って日が沈むただそれだけのことがとてつもなく偉大な思いになって、自らの小さなことが切なくなり、なぜか心が浄化される思いを堪能してもらいたいです。
自然の偉大さときたらストーブの中で火が燃えているぬくもりさえ「ありがたい」と頭が下がる思いになり、そこで生きている人々がすごい人々に思えてしまいます。
2003
12/05
〔Fri〕
00:00:00
◆授かりもの

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妊娠中の奥様を抱える会員さんと電話で話しました。
病院に検診に連れて行くと言葉の問題がありますので、はたして正確に伝わっているのかどうか気がかりだそうです。また、子育てにしても身の回りに経験者がいないもので、出産の準備のことなど本を買ってきて二人で勉強しているそうです。
「毎日二人で勉強しているおかげで詳しくなりましたよ」と自身ありそうでした。
「少子化対策」云々と旗振りだけはそれなりにやっている日本政府ですが、検診のための病院費用や出産費用は保険がきかない(妊娠は病気ではありません)ために実費徴収です。もちろん出産後に還付金はありますが、それまでの出費もバカになりません。
国際カップルの場合、夫同伴で産婦人科に検診に行くのがほとんどなので、仕事の休みなども大きな問題です。こうした手間隙が家庭作りに大きな意味を持つのですが、男性にかかる負担は大きなものです。
二つの国の架け橋になる子供たちで平和の象徴なのですから、本当に尊い授かりものです。
子供を作るまでの過程はだれしも研究熱心ですが、そこから先はもっともっと勉強が必要なのですね。
2003
12/04
〔Thu〕
00:00:00

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胃のあんばいが悪いので病院に行ったら友人の奥さんに会いました。年齢は私よりも一歳下なのですが、健康検査をしたら血中コレステロールが異様に高いとかで治療中だそうです。
マラソンを趣味としている女性で、フルマラソンを3時間前後で走りきる猛者ですが、こういう健康のかたまりのタフガイでもコレステロールが高くなるものなんだなと感心してしまいました。
毎朝早朝に何キロか走っているようですが、寝起きで走ったりしたら頭の血管がぶちきれるぞ!と笑っていましたが、奥さんと子供たちが走っている間、不精な父親は朝食の準備をしているそうです。
当人は健康に良いと信じて走っていたのが、必ずしもそうではないと否定されたようでショックだったようです。
私など不規則怠惰な生活して体調がおかしいのですから自信を持って納得できますが、健康のために努力して不健康になっては腹が立つことでしょう。
2003
12/03
〔Wed〕
00:00:00

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ウラジオストクに電話をしたらお姉さん一家は中国に行ったとか。中国と言ってもロシアとの国境に近いスイフンヘイという経済特区で、国境貿易の町です。
冬物衣服や生活用品などを買いに行ったようです。
スイフンヘイは1945年8月9日にソ連軍の第一弾がソ満国境を越えて侵攻してきた町です。
ハルビンーウラジオストクを陸路で往来したときにこの虐殺ルートを通りました。
ウラジオストクで売られている中国製の物資の多くはスイフンヘイ経由で入ってきますが、スイフンヘイで売られている商品が決して安いとは思えません。ハルビン市内の方が安価で良質な品物がそろっていますので、良いものを求めるときにはハルビンにまで出て来るようです。
中国は省を超えるごとに関税がかかりますが、ひどいところでは市町村が独自の通過関税を設けているところがあります。中国製品は安いと言われていますが、実際に現地に行ってみると日本で買った方が安いと思えるものはたくさんあります。外貨稼ぎのために国内で高く売るのは日本も通ってきた道です。
EUで国境の概念が変わったヨーロッパでは物品税の高いドイツなどはオランダやフランスなど近隣の国に生活用品を買いに行くようです。逆に労働賃金の高いドイツにはこうした近隣の国から通勤してくる人もいるようです。
島国の日本にいると国境の実感が良くわかりませんが、陸路で多国に接する国では身近で遠い境界線です。
2003
12/02
〔Tue〕
00:00:00

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一切年長の友人に会ったら遠近両用メガネをしていたので、まさか老眼?とたずねたら、その老眼でした。
普段からメガネをしている人ですが、度が合わなくなって眼鏡屋に行ったところ「老眼が始まっていますね」といわれ愕然としたそうです。
「この1−2年疲れが回復しなくなったし、いよいよ老体に向かっているのかな?お互い孫がいてもおかしくない年齢になったんだから気をつけようぜ!」
と、落ち込んでいました。そういえば私もこのところ疲労が回復しなくなってきていますし、いよいよ気をつけなければならないなと思っています。
が、何しろ、こちらは嫁さんは若いし、おかげさまで老け込んでもいられません。ボロボロだよ。
2003
12/01
〔Mon〕
00:00:00

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中学生の時、12月は借金返済で金が出るから「デッセンバー」で11月は年末の資金をどうするか悩むので「ノーベンバー」と教わりました。
あわただしい師走が始まりました。
ただでさえあわただしく込み合う季節なのに、この季節になるとあちこちで道路工事が始まります。そのための渋滞による時間損失は莫大だと思います。
3−4年前に我が家の近くの国道に光ファイバーケーブルを埋め込む大規模な工事が行われましたが、今、また光ファイバーケーブルを追加して埋め込んでいます。こんなに近くに光ファイバーケーブルが敷設されているのに、いつまでたってもインターネットまで延びてきません。
年末から春先にかけて土木系の工事が多いのは役所などの予算の関係もありますが、冬季に出稼ぎにでる農家の人々の仕事つくりと言う意味合いも大きかったと聞いています。
今年は冷害凶作で冬季に外に働きに行く農家の人も多いようですが、年々その数は減っていると聞いています。
ハルビン郊外の農村では冬の出稼ぎが少なくありませんが、SARSの影響もあって今年は歯止めがかかっているようです。それ以上に仕事そのものも減っているようです。
プロ野球選手のシーズンオフではありませんが、無雪期に精一杯働いて、冬は細々暮らしながら体を休めるのが良いようですが、そうも行っていられないご時世が中国にも訪れています。