2004
01/31
〔Sat〕
00:00:00

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ウラジオストクの夜の気温は−18度。例年よりはいくらか暖かいようです。
土曜・日曜には凍結したアムール湾に釣り人が現れ、海に張った氷に穴をあけて魚釣りをしています。その光景は日本の湖沼でのワカサギ釣りとは雰囲気が違うように感じます。
服装や道具などありきたりの物を使って釣りそのものを楽しんでいるのがウラジオストク。日本の場合道具や服装まで気を使わなければならない気がします。
「野外活動」が「アウトドアー」とカタカナになったら今まで日の当たらなかった密かな楽しみが多くの人に知られるようになり、道具の開発が進んで便利になるなどの恩恵もありましたが、「自分流」の創意工夫で楽しむことがやりにくくなった気がします。
さて、アムール湾の氷の下で釣った魚ですが、あんなに汚い海で釣った魚など誰も食べないと多くの市民は申しています。
2004
01/30
〔Fri〕
00:00:00

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幼馴染のお母さんのお葬式に呼ばれて行ってきました。葬儀の最中、後のほうで正座していたのですが、焼香のときに足がしびれて、それでも何とかこらえてやっとこ焼香を終え廊下に出るときに、敷居に足を引っ掛け右足の小指の生爪を剥がしてしまいました。
痛いのなんのって、必死の形相で控え室になっていた隣の家に連れて行ってもらい手当てをしました。結局、小指の爪のはがれた部分を爪きりで切ったのですが、痛かったこと痛かったこと。
小学校のときにこの家に遊びに行って、まったく同じ怪我をしたことがあります。このときは亡くなったそのおばさんが私を家まで背負って連れ帰ってくれたことを思い出しました。
今夜あたり足が痛むだろうと予想していましたが、足より腰の方が痛くなり使い捨てカイロを腰に当てています。天気が良かったので礼服だけで上に羽織るコートを持っていかなかったので冷えたからでしょう。油断は禁物です。
2004
01/29
〔Thu〕
00:00:00

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昨日、幼馴染の母親が亡くなり、今日お通夜に行ってきました。
末期癌を宣告され当人も覚悟していて、生前の葬式に呼ぶ人の名簿まで作っていました。
一昔前なら癌の宣告=死刑宣告のようなもので、気を落として万一のことがあってはと隠し通したものですが、日本人も随分とたくましくなったものです。
以前、ハルビンのスタッフにもし家族が癌で余命いくばくもないとわかったらそのことを教えるかと聞いたところ、「隠し通すだろう」と言っていました。
同じことを今日ウラジオストクの友人に聞いたら「はっきり教えて残りの時間を有効に使ってもらうほうだ親切だと思う」と言っていました。
日本はその中間あたりだろうか?と思いました。
2004
01/28
〔Wed〕
00:00:00
◆インフルエンザ

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インフルエンザになって39度を超える熱を出している友人に電話しました。お互いの祖国の威信をかけて夫婦喧嘩ワールドカップの最中だったのですが、インフルエンザのために休戦し、看病してもらっているようです。
当人の名誉のために、鳥にもらったインフルエンザではなさそうです。
1999年の年末から2000年の2月にかけて殺人インフルエンザが発生したことがあります。ロシアでは多数の死者が出て市内の医師や看護婦たちは地方の診療所などに応援にかり出されました。
出張した先で大雪のために街に閉じ込められ帰れなくなった人もいたそうです。
インフルエンザは毎年流行しそうなタイプを予想してワクチンを作りますが、この年のロシアでは流行を読み違えたそうです。経済混乱期の末期でしたが、経済以外にも社会制度が混乱していて混沌とした時代でした。
今年のウラジオストクではインフルエンザが流行していることは流行しているようですが、社会そのものが安定してきているので対応が後手になるようなこともないそうです。
昨年のSARS(彼らは中国病と呼ぶ)の影響もあって一人一人が敏感になっているようで、予防にも気を使っているようです。
2004
01/27
〔Tue〕
00:00:00

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今年、日本の大学を卒業する中国人留学生からメールが来ました。既に中国に帰っており、これから新しくビジネスを立ち上げるのでよろしくと書いてきました。
「就職」など眼中になく「起業」なのですから恐れ入ります。このバイタリティーも注目すべきですが、こういうことができる柔軟性があの国の強さかもしれません。
何もしないで失敗もしないよりも、失敗しても何かする人の方が重要視されるのは、本来あるべき姿だと思います。
日本の場合一度失敗するとそれでも道は立たれてしまうような厳しさがあるので、腰をあげることもままなりませんが、そういう時代はもう終わりだと感じています。
中国に4年間留学していた弟が卒業近くになって就職のことで担当教官に相談に行ったら「大学を卒業すればみんな失業者だ。心配するな。」と励まされたことがあったそうです。
2004
01/26
〔Mon〕
00:00:00
◆風土病

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鳥のインフルエンザが人間に感染し、タイとベトナムでは死者が出ています。
鳥のインフルエンザは通常人から人への感染はしないそうですが、突然変異を起こしたウィルスが出現し、人から人へ感染するようになると猛威を振るいます。
交通機関の発達で人の往来が激しくなると、地方の風土病だった伝染病も広がる速度が速くなります。
アメリカ大陸の風土病だった梅毒はコロンブス一行によってヨーロッパに持ち帰られて、下半身の交流により世界中に広まるまでわずか49年だったそうです。
10年ほど前、私の高校の先輩が南米出張中に客死しました。てっきり交通事故か何かだと思っていましたが、地元の風土病にやられてあっけなく亡くなってしまったと、今日知りました。人づてに聞いたのでは、マラリアの類ではないかと言われています。
その頃、バングラデシュに行く機会がありまして、念のために東京まで予防接種を受けに行ったことがあります。コレラだったのかマラリアだったのか混合ワクチンだったのか気にしていなかったのですが、帰りの新幹線の中で妙に気分が悪くなりました。
予防接種なるものを受けたのはそれが最後で、以後10年間予防接種の類は一度も受けていません。おかげさまでそんなものの世話にならなくてもきわめて健康です。
2004
01/25
〔Sun〕
00:00:00

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中国でもロシアでも男性が家事をこなせて当たり前のような部分があります。
ハルビンスタッフに何歳くらいで家事などをやらされるようになるのか聞いたことがあります。
中国では夫婦共働きが当たり前なので、男の子でも女の子でも身の回りのことは自分でできなければならないために、いつの間にか身についているそうです。この事情はロシアも変わらないのではないかと思います。
考えてみれば私も同様の環境だったのでいつの間にか炊事洗濯などできるようになっていました。
学生時代、週末になると近郊の実家から母親が来て洗濯や掃除などをしてもらっているお嬢様がいました。ついには母親が同居するような有様でした。
ふさわしい男性と結婚すれば家政婦がやってくれることなので自分がやることではないと、臆面もなくぬけぬけとおっしゃっていましたが、今頃どうしているのだろう?家事が女性の労働だという偏見は持つべきではないと存じていますが、この手の手合いが少なくない昨今の日本に思えます。
2004
01/24
〔Sat〕
00:00:00

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何事もブームと言う社会現象に踊らされると道を見間違います。世の中の流れと違う自分自身の価値観を大切にすることは重要なことだと思います。
一頃スキーがブームの頃は日本各地にスキー場が乱立して、ゴルフ場と並ぶ不良債権の要因を作っていました。「スキーヤーのマナーが悪くなってきたなぁ」と感じて、スキー場にいかずクロスカントリーや山スキーのほうに非難しました。
スノーボードがブームになるとマナーの悪い連中がそちらのほうに行ったのように見受けられたので、昨年は2回だけスキー場に行ってみました。
今年は年末年始も土日も道路が混まなくなったので、いよいよスキーのブームが終わったかと毎週スキー場に行っています。
昭和の末期に温泉ブームが起こり、日本各地で温泉を掘るようになってくると、かけ湯、うたせ湯はまだしもサウナやジャグジーまで備えた温泉が出現して、それが温泉の一つの形態にまでなってしまいました。昔は露天風呂よりも内風呂の方が喜ばれたものですが。
温泉地で生まれ育って生活していますので、温泉の入り方も知らないのか?とあきれたことが常識のようになっているので世の中分からないものです。
温泉もブームから生活の一部になりつつあるので、アミューズメントで行くよりも自分にあった温泉を選ぶ時代でしょう。
20世紀末頃に国際結婚もブームになったように思えます。これはインターネットと言う情報手段が大きな役割をにないました。
情報は選んで検証しなければただの風説に惑わされるようなものです。
出会い系サイトに始まり、ネット恋愛やネット結婚のほころびが次々と現れたのがこの2−3年でしょう。
日中国際カップルが年間1万組できるようですが、昨年あたりから激減しているようです。
日露カップルにいたっては年間100組少々で、思ったほど多くありません。
2004
01/23
〔Fri〕
00:00:00
◆ツポレフ154

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年明けから日本に来ていたウラジオストクの友人は、今日の富山発の飛行機で帰国しました。
富山からウラジオストクに飛ぶ飛行機はヤク40と呼ばれる小型の旅客機で、通常40人のりの飛行機の中を改造して座席数を減らして広くしています。
はたして採算が合うのか謎なのですが、関空便がない季節には関西方面の人が利用することが多いようです。
以前、ウラジオストクーハルビン間を就航していた飛行機はこのヤク40でした。機体の後部が開き階段が現れる飛行機でタラップはいりません。ハルビンからウラジオストクに来る客が増えたために、現在では154人乗りのツポレフ154が就航していますが、機体が大きくなったら飛行時間も大幅に短くなりました。
中ロ国境にまたがっているハンカ湖付近は気流が悪いようです。ハルビンからウラジオストクに向かうとこの湖を過ぎたあたりで着陸のために機体が高度を下げるので、山で気流が変わるのかよく機体が揺れます。小型のヤクから中型旅客機のツポレフに変わったら随分ゆれが少なくなりました。
日本からハルビンに行くときも同じルートを通っていますが、高度が高いのでそれほど揺れを感じません。
ウラジオストクーハルビン間では機内食はおろか飲み物も出ない(一度だけでた)のですが、これで十分な気もします。余計なサービスよりもマイレージサービスを採用して欲しいです。
2004
01/22
〔Thu〕
00:00:00

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旧暦の元旦です。
大規模な寒気団が日本を襲っているようで西日本を中心に天気が崩れてくるようです。
毎年のことですが今頃が一番寒さが厳しい時期です。あとは暖かくなるだけです。
春節には里帰りする奥様方が毎年いますが、今年の春節は今のところ里帰りした話を聞きません。
お子様のいる会員さんはこんな寒い時期に里帰りなどとても思いきれないことでしょう。
2世が誕生した会員さんから報告が来ますが、面白いことにハルビンカップルのほうは今のところ男の子ばかりで、女の子が生まれたと言う報告は来ていません。
日本は男の子ができると「後取りができた」とひと安心しますが、中国では男の子が生まれたときの喜び方は日本以上です。奥様方も母親になった喜びと息子を産んだ誇りを得られるそうです。
後数ヵ月後に出産を控えた会員さんもいますが、また男の子かな?と期待しています。
2004
01/21
〔Wed〕
00:00:00
◆セピア

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ウラジオストクの事務所から新しい女性会員2名の写真とデータが添付されてきました。セピアカラーに加工した写真だったので年配の女性かな?と思ったら23歳の女性でした。
早速、デジカメで写した写真を送ってくれと催促しました。
それにしても、セピアカラーも面白いなと思い、PCでデジカメで写した自分の写真を画像処理ソフトでセピア色にして遊んでしまいました。
そういえば奥方の子供の頃の写真を見せてもらったことがあります。モノクロ写真が多いのに驚きました。同世代の日本女性ならカラー写真が当たり前のはずです。
両親が職場のカメラとフィルムで撮影し、職場で自分で現像焼付けしていた職権濫用横流しの産物なので、モノクロ写真でも文句を言えた義理ではないのですが、時代の流れを思うときはモノクロ写真は説得力があります。
2004
01/20
〔Tue〕
00:00:00

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ハルビンはこの冬一番の寒さになっているとかで、この寒波は1日2日遅れで日本にやってきます。明日は大寒なので寒波が到来してもおかしくない季節です。
ホテルのロビーは決して温かくはないのですが、外から戻ってくると異様に暖かく感じます。それが、部屋からロビーに行こうものなら防寒着を着ていないと寒くていられないのですから体感温度と言うのは面白いものです。
冬のハルビンからウラジオストクに行くと最初のうちはウラジオストクの方が暖かく感じます。実際、気温も暖かいです。ところが時間がたつうちに海の近いウラジオストクの寒さが体の奥底まで染み渡ってきます。
ウラジオストクの港は一部凍結しますが、凍った海よりも凍っていない海の風の方が寒さが厳しいのですから湿度は曲者です。
ハルビンでもウラジオストクでも部屋の中は暖かいのですが、気をつけていないとのどをやられます。スチーム暖房と言っても蒸気はパイプの中を通っているので部屋の中は乾燥しがちです。私は夜寝るときなど濡れたタオルをスチームヒーターの上に乗せて寝ていますが、朝起きるとからからに乾いています。
建物の窓は二重窓で、これが想像していた以上に大きな働きをしています。外側の窓と内側の窓の間にある住数センチの空間に飲み物などを置いておくとカチカチに凍ってしまいます。
台所の二重窓は冷凍庫の役割もしていて、切り分けた肉や作りおきした惣菜などをビニール袋に入れて窓の間においておけば冷凍になります。凍ったところで冷蔵庫にしまいこんで保存できます。冬の冷蔵庫の役割は凍結から守ることです。
2004
01/19
〔Mon〕
00:00:00
◆政変?

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昨日は隣の町で町長選の投票日でした。今朝新聞を見ると前町長が落選し40歳の新町長の誕生で、新しい時代に突入しそうです。
ちなみに落選した前町長は故小渕恵三元総理大臣のお兄さんです。
十年ほど昔のことですが知らなかったとはいえ、私はこの前町長に大変失礼なことをしてしまいました。
中之条町の役場の近くに私がよく行く本屋がありまして、夜、本を買いに行くとこの前町長さんとよく顔をあわせていました。そのうち本の情報交換などをするようになって、年配なのに専門書などを読むものですから、知らぬこととはいえ、「おじさんもその歳でも勉強するなんて立派な心がけですね。たいしたもんです。」と生意気なことを言ってしまい、「兄ちゃんどこから来ているんだね?」と聞かれ、隣の村から云々などと話をしていました。
そのうちこのオジサンが町長さんだと知ったのですが、いまさらへらへらするのもおかしなものですから、とりあえず知らん振りして接しようと、知らぬふりを通していました。
小渕総理が誕生しインタビューに前町長が出ていたので本屋によく来るおじさんだと見ていたら、小渕総理のお兄さんでもあったようでびっくりしました。
その後耳にする評判はあまりよいものではありませんでしたが、「とうとう終わったか」と新聞を眺めてしまいました。
2004
01/18
〔Sun〕
00:00:00

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ハルビンの西郷ドンから新年のグリーティングメールが来ました。何で今頃?と思いますが旧暦の正月の挨拶です。
年々中国のグリーティングカードも華やかになっていますが、今年はアニメーションで猿がにぎやかな音楽に乗って踊りを踊っています。最後には爆竹のおまけつきです。
今年の干支は猿ですが「申年」と書きます。中国では「猴年」と書くようです。
春節の頃は店も休みが多く、作りためておいた餃子を食べて過ごすようです。何よりのご馳走は家族親族が顔をあわせることみたいです。
2004
01/17
〔Sat〕
00:00:00

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中学時代の恩師に「鉄砲うちする教え子に山鳥をもらったから鍋でもスベぇー」と呼び出されたので、手土産に蕎麦を打ってうかがった。
恩師の家に行くと居間におかれた地元の新聞の大一面に、県内の不適格教師7名を再教育と出ていたので「先生はいい時期に定年迎えられて良かったね。」というと、否定せず「そうだよなぁ。バブル経済の頃に安かった給料も高くなって、今考えると恵まれていたよなぁ…、定年後はこうしてできの悪い教え子呼び出しちゃぁ酒飲んでりゃいいんだから、それと比べると今の人たちは大変だぜなぁ!」と感慨にふけっておりました。
中国でもロシアでも学校の教員の待遇は極めて悪く、教員を辞めて工場労働者になるなど当たり前です。が、給与と名誉は別物です。
教員になることは難しくありませんがダメなら追われます。「安泰」などと言う保証はありません。
医師や教師の「師」は人を導く尊い仕事で、ゆえに尊敬されます。
霞食って生きろとはいえませんが、誇りを持つべき仕事で、誇りがあれば道を踏み外さないものです。
新聞によると再教育となった教師7名は見込みがなければ現場復帰できず、「県職員」として雇用されるのだとかで、納税者に言わせれば「冗談じゃねぇぞ!」と腹立たしい思いです。
2004
01/16
〔Fri〕
00:00:00
◆うるう年

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今年がうるう年だと今日はじめて気がつきました。オリンピックの年はうるう年だと覚えてはいるのですが、今では冬季オリンピックは2年ずれていますし、サッカーのワールドカップもありますし、感覚がおかしくなってしまいました。
日本にとって幻となったモスクワオリンピックは24年も前のことでしたが、この時代のアスリートは世代が近いので「不参加」の悔しい思いはいまだに残っています。
わがパートナーはモスクワオリンピックのことなど何一つ憶えていませんが、義姉は党にとって良い子だったので開会式だかなんだかのイベントにモスクワに踊りに行っていました。政府機関にいたおっかさんは西側諸国の多くが参加しなかったことを知っていましたが、それがどうしたことか考えることは許されませんでした。それどころか自分の夫がアフガニスタン侵攻の補給基地にに行っていたのですから絶頂期だったようです。
自衛隊の先遣隊がイラクに向けて出発しました。もはや、反対だの賛成などと外野で騒ぐより、全員無事に任務を全うして元気に帰ってくることを願いたいものです。
2004
01/15
〔Thu〕
00:00:00
◆ピンホールカメラ

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学研から「大人の科学」と言う付録付きの本が出ています。1600円です。この冬の付録はピンホールカメラです。これにすっかりはまっています。
私が小学生の頃「科学」と「学習」という教育雑誌?を学研が出しており、魅力的な付録がついていました。今にして思えばボール紙を主体にしてピンホールカメラやゲルマニウムラジオ、蓄音機などの付録を作っていたんのですからその発想力に驚いてしまいます。
小学校の理科の実験で日光写真はやりましたが、ピンホールカメラはこの学習雑誌で体験しました。付録のピンホールカメラを使って、印画紙にじかに焼き付けるものでしたが、現像ムラが生じたり写りが悪かったりで心霊写真がたくさんできてしまったものです。
進化したなと感じたのは「大人の科学」付録のピンホールカメラは35ミリフィルムが使えることで、まずは36枚撮りのカラーフィルムを入れてどのくらい写るものなのか実験してみています。デジタルカメラの対極にあるような産物ですが、「どう写ったか?」よりも「写っているのだろうか?」とより原始的な興味がわきます。何よりピンボケでも言い訳ができます。
このところ早朝にクロスカントリースキーを履いてピンホールカメラを持って山に散歩に行っていますが、一面雪で真っ白です。
最近目が悪くなったのか乱視が悪化したのかカメラのピントが合わせられなくなってきました。この正月に中盤カメラで写した写真の半分がピントずれしていました。弟の子供を写したものですが、今まで山しか写さなかったので動く子供は難しい被写体でした。
写真館の常連のご老体たちからは「いよいよ老眼が始まったんだ」と冷やかされ、「歯と目がやられたら次は下だぞ!」といじめられています。
2004
01/14
〔Wed〕
00:00:00

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ハルビンにいるNPO代表団から帰国の飛行機が満席で予約ができないと報告が来ました。車椅子の人も向こうに行っているので新潟空港に迎えに行く予定が組めません。
せっかくだからそのままハルビンに残ってついでに中国国籍に切り替えて、余生を満喫してきてくださいとからかいました。
もうすぐ旧正月の春節なので、日本から中国に向かう便が満席になるのはわかりますが、中国からこちらに来る便が満席とは解せない話です。
どうやら最近は年末年始を中国に里帰りして、今頃の時期に日本に帰るご夫人方が多いようです。春節に里帰りしても店は休みでどこへ行くにも混雑しているので、それなら夫と一緒に年末に里帰りしてから、自分はハルビンに残ってのんびり過ごしてから日本に帰ってくるのが、春節前のこの時期みたいです。
ハルビン日本の間を週4便往復しているにしても150人少々で満席です。私なら陸路ロシアに入り船か飛行機で戻ってきますが、なかなかそうした冒険もできないでしょう。
日本と中国の生涯をもつ人たちの交流を目指したNPOですが、黒龍江省のお偉いさんが、障害を持つ人たちの雇用やバリアフリーに取り組んでくれると約束してくれてこのNPOが大きな成果を挙げたようです。
2004
01/13
〔Tue〕
00:00:00

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明け方、カメラをぶら下げてクロスカントリーのスキーを履いて山を歩いてきました。昨年は禁猟区だったのですが今年は解禁になったようで、イノシシ撃ちの猟師がうろうろしていたので間違われないうちに降りてきました。
山岳会の溜まり場に行ってきたら先輩がインフルエンザで顔もむくんで朦朧としていました。私を含めてこの冬は何人かインフルエンザの餌食なったのですが、みんなそれぞれに痛むところが違うようです。私は肺が焼けるように痛かったのですが。
コーカサスのエルブルース山に行くから計画立てろといわれいているのですが、グルジアの政情を考えると危なくてそれどころではない思いがします。
この正月休みに会の重鎮が富士山で風に飛ばされて大怪我をする事件があったばかりです。富士山のような単独峰は風が吹くと手がつけられません。技術的には難しくもない山ですが、あの強風は脅威です。私も17年前の12月に行ったときに強風で体が浮き上がりもう一息の恐ろしさを体験しました。
カムチャッカには富士山のような円錐形の美しい山がいくつかあります。ソビエト崩壊の恩恵で、ロシアになってからクリュチェフという4750mの山に登ったことがあります。学生時代領事館にこの山に登るのでビザ申請して認められなかった経験があります。それがいとも簡単に一人で行けるようになったのですから時代が変わったと思いました。
ヒマラヤと比べると標高も低いのでなめていたこともありますが、極北の風は流れ方が違います。風の途切れるタイミング、強風が襲うときのタイミング、リズムや風の匂いが違います。雪のつき方やクレバスの入り方なども今まで経験したことがないタイプで、やっとの思いで降りてきました。
夜から私の村は吹雪になり天気が荒れだしました。大学で講釈をしていた叔父は今年度で定年になり遊びほうけていますが、スキーで複雑骨折をして病院に担ぎ込まれたようです。
2004
01/12
〔Mon〕
00:00:00
◆どんど焼き

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早朝からどんど焼きに行ってきました。年々ここで燃やす達磨や正月飾りが少なくなってきており、あと何年続けられるだろうかと眺めていました。
厄年の男女が菓子や酒を来客に振舞っていましたが、子供の頃は厄年の人たちはおじさんおばさんに思えたものです。今、自分より若い世代です。
昨日寒風の中作業をしたためかコタツで寝ていて寝違えたのか、右肩が痛くて腕も上げられないような状態でした。どんど焼きが一通り落ち着いたころあいを見計らって近くの共同風呂に温泉につかりに行きました。
観光客が入っていていろいろ話をしましたが、神経痛やリウマチに効くと謳っている温泉地に住んでいながら「肩が痛くて」とは言えず。おかげさまで毎日健康に過ごしておりますとしかいえません。
風呂から出てきたらフィリピーナのおかみさんが子供を連れて温泉に入りに来ていました。日本の冬は寒いので暇なときは一日3−4回風呂に入りに来ているようで、湯冷めをしないのがいいそうです。
最初は恥ずかしくて共同湯に入ることができなくてご亭主のお母さんや近所の人が気を使ったものですが、いまやもう地元のオバサンです。
この人の偉いところは他人の子供でもマナーに反していればしっかり叱れることで、地元のお母さんたちにも一目置かれています。
他人の子供でも叱れる。昨今の成人式の醜態を見て日本が忘れたことを突きつけられた思いです。
2004
01/11
〔Sun〕
00:00:00
◆111

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強い風が吹き寒く冷え込む一日でした。
私の村の成人式は日曜にやるので、午前中、成人式の会場に会場をのぞいてきました。新成人には同級生の子供もいたりと、親の方が世代的にはるかに近いのですから気が滅入ってきます。
午後、明日のどんど焼きの準備をしました。達磨や注連飾りを燃やすやぐらを組んでいたのですが、あまりにも寒いので焚き火をしながら会場つくりをしました。製材所が木っ端を寄贈してくれたのですが、三分の一は今日の焚き火で使ってしまいました。
どんど焼きを見に来た温泉の泊り客に振舞う振舞い酒も、寒いことを理由に準備の連中であらかた飲んでしまいました。
毎年、厄年の者たちが酒か菓子等を持ってくるのでことかくことはないのですが、厄年が自分より年下の世代になったことを思うと、「歳をとったんだなあ」と落ち込むばかりでした。いつの間にかこうした行事や飾りつけなどができるようになっていて、若い世代に教えていることがさらに落ち込ませてくれました。
作業もひと段落して焚き火にあたっていたら、ウラジオストクから帰ってきた会員さんから電話が来ました。クリスマスや彼女の誕生日を一緒に過ごせて良い方向に進んでいるようでホット一安心しました。
夜、もうすぐウラジオストクに行く会員さんから電話があり、仕事が大詰めに入ってこの一週間が大変だと報告がありました。女性にメールを書く暇もないほど忙しい数日になるようで、何より風邪をひかぬようがんばってと激励し、ウラジオストクに「遠くから応援してやってください」とメールを打ちました。
2004
01/10
〔Sat〕
00:00:00
◆里帰り

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夜、会員さんから新年の挨拶の電話がありました。この夏、奥様とお子さんはハルビン郊外の実家に長期里帰りしていたのですが、奥さんの実家では親戚や近所の人たちが子供をかわいがってくれたので、お子さんがすっかり「小皇帝」になってしまったようです。
日本では子供をみんなで育てると言う意識が少なくなってきて、これが昨今の少年問題に大きな影を落としていますが、日本では消えつつある習慣がまだ中国には残っています。
日本と中国ではビデオなどの映像方式が違うので、お子さんの映像などをどうやって向こうで見てもらえるか苦心されているようです。中国ではビデオテープよりV−CDが主流で、パソコンで映像をCD−Rに焼き付けることも可能ですが、これも映像の方式が違うので見られないことがあります。DVDなど、もっと地域ごとに細分化されてしまったので、国際カップルには大きな問題です。
昼間、長崎の女性と結婚した知人と会いました。今年の年末年始は長崎の奥様の実家に行っていたそうですが、江戸時代は日本屈指の国際都市だったゆえに中国文化の影響が漂う長崎の街やイベントに「外国に行ったような気分だった」と感じたそうです。
私も長崎には4回ほど行ったことがありますが、ハルビンよりも中国的かもしれません。
長崎は暖かかっただろうと問うと、外は暖かかったけど家の中は寒かったと言っておりました。やはりこちらは寒冷地です。
2004
01/09
〔Fri〕
00:00:00

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午後、役場での交通指導員の出初に行ってきました。昨年、私の尽力と関係なく村内の死亡事故はゼロだったとかで駐在さんも喜んでいました。この季節、雪の峠でスキー客の交通事故が多発しますが、積雪の道路では走行速度も遅いので大きな事故にはなりにくいので、事故の件数のわりには死者はもちろん、けが人も少ないようです。
わがパートナーの父親は交通事故で死んでいます。しかも、内乱の戦地に物資を運搬途中の公務の事故で、日本なら「戦死」扱いになっていたかもしれません。
自衛隊もイラクに行くようでマスコミがにぎわっていますが、行く行かないどころの論争ではなく誰が行くかでおびやかされる国もあります。
もうすぐ成人の日。今年もオトナになりきれない名ばかりの成人の暴挙が取りざたされるのだろうか?と思うと、徴兵制も必要では?と思うときがあります。
2004
01/08
〔Thu〕
00:00:00
◆暑い寒い

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私の村では使えないが、海外でも使えるボーダフォンを持って会員さんがウラジオストクに行き電話をかけてくれました。
国際電話特有のワンテンポ遅れて声が届く違和感もなく快適ですが、時折、声がこもって少々聞き取りにくい部分もありました。
寒さはどうですか?と聞いたら「-11℃程度です」。これはこの時期にすれば暖かいほうです。
その電話のすぐ後に上海のボーダフォンから電話が入りました。音の状態は上海の方が良かったです。「上海は寒くていられないよ!」ハルビンから渡った直後は暖かく感じられたのが、もう、体が慣れてきたので寒さを感じるようです。
そういえば、昨年夏の異常気象。ヨーロッパでは熱波でたくさんの死者を出し、インドでは寒さ(6−7度)でたくさんの死者を出しました。
以前、アフリカを寒波が襲ったとき、日本からストーブを送りましたが、今までストーブを必要としなかった人々だったので使い方がわからなくて有効に活用できないなんてこともありました。
一昨年、我が家で買った石油ストーブはメイドインインドネシアでした。工場で作っている作業員は、何を作っているのか解っていたのだろうか?と思いました。
2004
01/07
〔Wed〕
00:00:00
◆クリスマス

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ロシアはクリスマス、昨日あたりからみんな心既に心あらずの状態でした。
奥方様ご一家は朝から家族総出で教会にミサに行くとかで、いそいそしていました。
私の村には日本でも珍しいロシア正教の協会がありますが、信者が集まってミサをしていました。
ロシアでは食事前にお祈りをする姿を見たことがありませんが、私の村の信者はしっかりと守っています。
ロシア人留学生と電話で話をしました。日本でロシア人が住むのに条件がそろっているのは札幌か新潟ではないかと言っていました。地域ごとの交流があることもありますが、ロシア語の書籍など入手しやすいそうです。
東京のナウカのように著名な専門店はなくも穴場があるそうで、古本屋でロシアでは入手困難な本も手に入れられたそうです。
クリスマスはどうするの?と聞いたら「論文作成です」でした。
2004
01/06
〔Tue〕
00:00:00
◆ボーダフォン

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昨日洗濯してしまった携帯電話、気分を切り替えてドコモからボーダフォンに替えることにしました。
世界95カ国で使えると言うボーダフォンはハルビンや上海やウラジオストクでそのまま使えることがわかったので、その威力を実感できました。
早速下界に出てドコモを解約しボーダフォンを仕入れて家に戻ってきました。上海にいる代表団に電話をしてやろうと思ったら、「圏外」。おかしいな?と充電をして見ても「圏外」。家の中の場所をあちこち変えて見ましたが使えません。
サービスセンターに電話をしてみたら、私の住むあたりはサービス提供外だとかで、予定は在るそうですがいつになったらできるか未定のままだそうです。何で外国に持っていっても使える電話が私の村では使えないのか?ここは96番目の国か?ハルビン郊外の方正県からでも通じた電話が何で私の村では…一応日本なのに悔しいのなんのって。
「日本国内だけの電話でしたら使えますので、後でショップに行って機種を変えてください」と爽やかに言われてしまった。
2004
01/05
〔Mon〕
00:00:00
◆毎度のことですが

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ウラジオストクのオフィスではウィルス入りのグリーティングメールをあけてしまい、再インストールで一日が終わったようです。
夜、今年最初の洗濯。まだ洗濯物が入りそうだったので、ついでに着ていたジャンバーを放り込みました。
事の重大さに気がついたのは1時間ほど後のことで、洗濯物を干していたらジャンバーの中に携帯電話が入っていました。
昨年夏にも携帯電話を洗ってしまい、その翌月には紛失。半年で3回目です。
それ以前もズボンのうす路のポケットに入れたまま座ってつぶしてしまったり、山の中に置き忘れてきたり、胸ポケットから落として自動車に踏まれたり、毎年トラブル続きだったので厄落としに一度解約して新しい番号に変えてもらってからは順調でしたが、またやってしまいました。天寿を全うした携帯電話が一台もありません。
2004
01/04
〔Sun〕
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◆デジカメ

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デジタルカメラを使うようになって4年目になります。もとよりパソコン画面だけで見るつもりだったので画質など5−60万画素もあれば十分と考えていました。プリントアウトして使うなら普通の銀板写真の方がはるかに画質が優れていますし、楽しみもあります。
デジタルカメラは便利な道具と割り切って使っていましたが、不要な写真は消去できると言う気軽さからか余分に写してしまいます。後でパソコン画面を見ながら不要な画面を消すのも一仕事です。
ハルビンの西郷ドンがデジタルカメラを使うようになったのも3年前、事務所に来てくれた女性会員の写真などをすぐに送ってくれるので便利です。
ハルビンへの土産はいつも「スマートメディアを買ってきてください」でしたが、西郷ドンがデジカメは不用な画面をメモリーカードから消去すればよいことを知ったのは昨年のことでした。大発見をした彼はびっくり仰天で「デジカメの裏技」とこちらに教えてくれました。教えられてこちらも「そんなことも知らなかったのか!」ともっとびっくりしました。
最近はスナップ写真もデジタルカメラからプリントアウトすることが多くなり、画質もないがしろにできなくなってきました。私の持っているデジカメでは400万画素まで写せるはずですが、貧乏性なものですからメモリーがもったいなくていまだに最高画質で写したことがありません。
128Mのメモリーを入れていたのですが、メモリーの残りが120Mを切ると不安になってしまうので、昨年、思い切って256Mのメモリーを入れました。が、こんどは250Mを切るとメモリー残量が不安になるものですから、撮影枚数が以前より減りました。
最近はデジタル一眼レフなども出回ってきて興味シンシンですが、手に入れたところでメモリー残量が恐くて使えなくなること請け合いです。
2004
01/03
〔Sat〕
00:00:00

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日本の正月の長期休暇もあと一日。この一年の皆様の仕事がつつがなく始まることを祈っております。
ハルビンの西郷ドンも今夜戻ってきたようで、例年通りの仕事が始まることでしょう。
ウラジオストクも今日から仕事を始めています。
昼過ぎ、小学生の卓球に付き合いました。私が卓球をするわけでなく、事故がないように付き添っているだけですが、一緒に付き添いに着てくれた80代のおじいさんがベーゴマの技を披露してくれました。
暇つぶしにベーゴマを借りてやってみたのですが、ぜんぜん回せません。昔はいとも簡単に回せたはずですが、情けないほど下手になっていました。無理した後遺症か、夕方から左肩が張って、きっと明日の朝には持ち上がらなくなっていることでしょう。
この爺さん、よくこの歳になってベーゴマなどできるものだ?と感心してしまいました。「鍛え方が違うんだよ」と笑っていましたが、そうかもしれません。
2004
01/02
〔Fri〕
00:00:00

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ハルビンでは元日一日だけ休んで後は通常勤務の職場が多いようで、元日でも普通に仕事をしている会社も珍しくありません。西郷ドンは今年の新年を牡丹江の親戚の家で迎えたようです。お父さんの看病と言う重荷を背負っているので毎日大変ですが、遠方から親戚が来てくれて「休み」をもらえたそうです。
今月末には旧正月の春節が始まります。中国ではこちらで本格的な新年を味わいます。
ウラジオストクの事務所は大晦日と元日と2日休んで3日からは通常に戻っています。来週からロシア正教のクリスマスになるのでこちらの方がメインです。
ウラジオストクのお母さんのアパートは元日の晩に突如暖房の配給が止まってしまい寒い新年の夜を過ごしたようです。老朽化した配管が問題だったようです。
正月くらいのんびり過ごせば?と思いますが、普段のんびり過ごしているのですからうらやましい部分もあります。
深夜、たまたまチャンネルを回したらダウンタウンの番組で、日本シリーズの予想をはずした浜田がウラジオストクの裏番に裏拳で殴られてくると言う罰ゲームをやっていました。
宿泊していたのはヒュンダイホテルで、食事に行ったレストランは海の公園近くのイタリアンレストランでした。このレストラン、以前は大衆的な食堂でしたが、いつの間にかイタリアレストランになっていて、まだ行ったことがありませんが、番組を見ていると高級なレストランになっているようです。うっかり行かなくてよかった。
2004
01/01
〔Thu〕
00:00:00
◆年明け早々

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新年明けましておめでとうございます。
年明け早々おめでたいと言うのか、頭の痛い事件が勃発しております。
現在上海に行っているNPOの代表団の青年と上海事務所の女性スタッフが恋に落ちてしまい、「どうしよう?結婚させてやった方がいいのだろうか?」と頭を痛めている代表から昼夜問わず頻繁に電話がかかって来ます。
勤勉で優秀な女性なので、上海を仕切ってもらうためにも日本に連れて来るのはもったいない。「大丈夫!あいつを上海常駐にしちゃえばいい!」
一緒に上海に行っている青年の母親もこの女性スタッフを気に入ってしまい、こんな心根の良い娘さんを今の日本で見つけるのは大変なこと、ぜひとも息子の嫁にと自分が日本女性の末席を汚していることも忘れて大喜びの状態。
「それなら結婚させちゃえばいいじゃない!今ならちょうど10月10日に2世が生まれるから計算しやすくていいじゃない!やらせちゃえ!」と代表に言うと、電話の向こうの母親に「○○さん。今晩やらせれば10月10日にはおばあちゃんになれるよ!」、「嫌だ!それだけは嫌だ!まだおばあちゃんになりたくない!」と声が聞こえました。
おめでたムードの上海で、頭を痛めているのは彼女の両親のこと。彼女の出身地の地域含めて「日本人との結婚なんてとんでもない!」という状態らしいのです。
彼女の両親は文化大革命世代なので、日本に対して悪いことばかり教育されていますし、彼女の出身地は日本軍が入り込んでいない地域だけに聞きかじりの知識しかありません。
不思議なもので、戦前日本軍や日本人が侵略したといわれる土地ではおおむね日本人を快く受け入れてくれるのに、日本が入り込まなかった土地ほど日本人に対して否定的です。
独裁者が独裁者の地位を確立するには「敵」の存在が不可欠で、外に不満の目を向けるのは常套手段。実態を知らなければプロパガンダに踊らされてしまうのですね。
今後このカップルがどうなるか気がかりですが、しがらみにがんじがらめになって情けない中年おじさんと違い、これから先をどうにでも作っていける強さがあります。若さの暴走に期待したいです。