2005
01/31
〔Mon〕
00:00:00
◆いいちこ

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ウラジオストクは強烈な寒気団に見舞われていますが、明日にも日本にその寒気が襲って来る模様です。
最近、テレビのコマーシャルでとても気に入っているのがあります。ビリーバンバンの歌をバックにサンクトペテルブルクの運河の夕景が映し出され、その運河のほとりには大分の麦焼酎、下町のナポレオン”いいちこ”がおかれています。
いいちこのコマーシャルはいつも叙情的で美しい光景と菅原進さん(ビリーバンバンの弟さんのほう)の音楽が旅情を掻き立てるので気に入っています。
今流れているコマーシャルはロシア人にも受けています。サンクトペテルブルク出身の女性が「こんなにも美しい街だとは思わなかった」と誇らしく思う映像ともう一つ。
”いいちこ”と聞いてロシア人が思い浮かべるロシア語があります。”恥骨”とか、男性の”キャンタマブクロ”をイイチコと言いますので、サンクトペテルブルクといいちこの組み合わせがとても感動的だそうです。「最高のコマーシャル」と涙を流して喜んでいます。
いいちこのCMプロデューサーの渡辺正臣さんはルーマニア女性と結婚して、娘の渡辺日実(かみ)さんをもうけます。国際的な人物になって欲しいと、娘が19歳のときに母の祖国ルーマニアに留学させます。
半分はルーマニア人の血が入っているとはいえ外国での生活は19歳の娘に厳しく重いものです。自称指揮者の千葉と言う男と恋仲になり、ドナウ川に身を投げます。
このドキュメントは「ドナウよ静かに流れよ」(大崎善生著、文芸春秋社)という本になっています。
19歳の娘の自殺の背景にある父親の浮気問題や、二つの祖国を背負う苦悩、好きな男に殉じる一途さなどわかってきましたし、何より、これがまた旅情を誘う文章でした。
サンクトペテルブルクの運河を眺めるようないいちこのビンは、亡くなった娘さんなのだろうか?映像を通じて娘さんと対話しているのだろうか?などと思いながらみると、世界各地の美しい光景を見せてくれるこのコマーシャルはとても心地よく哀愁を与えてくれます。
少なくもキャンタマブクロを思い浮かべている不謹慎なロシア人にはわからない、深い味わいをいいちこに見る思いがします。
2005
01/30
〔Sun〕
00:00:00
◆ジャガイモ

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サツマイモを「腐ったジャガイモの味がする」と嫌うロシア女性がいるそうです。以前、ウクライナ女性と結婚した男性も同じ事を言っていましたが、こちらでは「甘くておいしい」と食べているので、「腐ったジャガイモってどんな味なんだろう?」と半信半疑でした。
炊飯した米に「味がない」という人たちですから、味覚が異なるのはわかりますが、その後、何件かそんな話を聞いたので、「本当に腐ったジャガイモはサツマイモの味がするのかな?」と思うものの、腐ったジャガイモを食べる気にはなりません。
私はサツマイモでむねやけをおこすので、腹いっぱい食べるようなことができませんが、好きで毎年畑に作ってはイノシシに食べられています。
いつの日にか夢のような食料飢饉が日本を襲撃し、日本中のゴルフ場にサツマイモやジャガイモを植えて、名実共にカントリークラブになる日が来るのを夢見ています。
ロシアのジャガイモはおいしいです。これだけはどこで食べても安心して食べられる代物です。不思議なことにロシアで食べるとおいしく感じるのですが、使われている塩が精製された塩化ナトリウムではなく、荒っぽい岩塩が多いので、この塩の味わいもまた良いのだと思います。
日本のジャガイモについては評判が良く、ダーチャで作る種芋にキタアカリを持っていったことがあります。ジャガイモに関してはロシアのジャガイモの方が野性味があっておいしいと感じるのですが、日本のジャガイモの評判が予想以上に良くて驚かされます。
ロシア人にとってジャガイモは主食のようなものですが、意外にうるさい事を言わないので助かります。
新聞を見たら北京で趙紫陽元総書記の葬儀が厳戒態勢の中で行われた記事が出ていました。趙紫陽元総書記の名誉は回復しないままです。
民主化要求を求める人々が蜂起した第二次天安門事件のときに党の女性幹部が「中国の伝統的専制主義を脅かす行為だ!」と話していた事を思いだしました。まだあの国は伝統的専制主義のままなんでしょう。
2005
01/29
〔Sat〕
00:00:00

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日本海が凍結した夢を見ました。ウラジオストクまで2泊3日で行けると言うので、スキーをはいて日本海を横断していました。
なぜか日本からウラジオストクに向けて多数の人がスキーを履いて歩いていくのですが、ロシア側からは誰も来なくて一人もすれ違うことがありません。
おかしいな?何でだろう?Visaが出ないのだろうか?と思いました。
日本海の氷に穴をあけて釣り糸をたらすとなぜかシシャモが釣れて、それも半干しになっていました。近くで釣りをしている人はカニ狙いで、スルメに毛蟹が噛み付いてきます。「そんなばかな?」と眺めていると、その人は吊り上げたカニをラーメンの上に乗せて食べていました。
その人がいなくなるのを待って、カニを釣っていた穴に釣り糸をたらすのですが、シシャモしかつれません。しかも半干しの子持シシャモがスルメに結び付けられてきます。「これは何かある。この海の中で何か異変が起こっている」と察するのですが、原因がわかりません。
別の穴からはウニが這い出てきて、板の上にウニの身を産み付けていました。寿司屋のカウンターに並ぶ板ウニはこうしてできるのか?と海洋科学で解明されていない大発見をしました。
きっとこの海の下で活断層がずれてシシャモが釣れるに違いないと無茶苦茶な発見をするのですが、穴からシシャモが飛びだしてくるので「これは海底で断層がずれて河口にいたシシャモが引き込まれて来たのだ」と慌ててウラジオストクに向けて進みました。
なぜか白夜で日が沈まないために何日歩いているのかもわかりません。地球の磁極が変わったのでコンパスも使い物になりません。
カラスが飛んでいる光景を見たので、カラスの行く方向がウラジオストクだとそちらに向かっていくと、ウラジオストクの街が見えるのですが、氷もそこで途切れていてウラジオストクが常夏のリゾートになっています。
これでは引き返さないと、考えると同時にもうすぐ地震がおきて津波になるはずだと気がつきます。そのまま氷に乗ってたどり着ける。と考えていると、グラグラと揺れて氷に亀裂が入ります。
大きな亀裂に飛び移って津波を待っていると、津波は海面が上昇するものだと思っていたら、東のほうから高い波が氷を砕いてこちらに向かってきます。
サーフィンはやったことがないけれど、サーフィンの要領で氷の上に立っていると、波が市内まで運んでくれます。が、とてつもなくでかい波でビルにぶつかりそうになり、「危ない!」と叫んだ自分の声で目が覚めました。
寝汗でびっしょりになっていました。今年に入ってから夢を見たような記憶はありますが、中身を記憶している夢は最初なので、初夢でしょうか?
少し風邪気味です。
2005
01/28
〔Fri〕
00:00:00

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昨夜、湯治に来ていた老人客が心臓発作を起こし、弟が駆けつけたときは心停止状態で舌をダラーンとたらしていたそうです。救急車が来るまでだめもとで心臓マッサージを繰り返していたら心臓が再び動き出し、意識も戻ったそうです。
心臓に持病がある方らしく、発作がおきたときの薬を持ち歩いているそうですが、胸に貼り付ければそれで効果がある薬なのだそうです。ところが、薬を出そうとしているうちに力尽きてしまったそうです。
救急車で病院に運ばれ、医師に応急処置が早かったから助かったといわれたそうです。夕方自宅に戻った当人からお礼の電話がありました。
命の恩人になる弟はそんなことも知らずに、嫁さんのお母さんの実家に大お婆さんのお通夜に行っており、電話で言うには嫁さんのお父さんと二人で居場所のない肩身の狭さを感じているそうです。「嫁の家族って恐いよね」と申しておりました。
昨年中国に帰った留学生からエアメールが来ました。天津の企業で日本の担当をしているそうです。
日本を離れてはじめて気がついたことで、東京には森林がたくさんあること、超近代的な街と森林が両立していることに今更ながら感心しているそうです。
森林しかない山の中にすんでいる私の目にも同じように映ったことがありました。確かにこれは世界に誇れることではなかろうか?と思います。
残念なことにそれらの森の多くは普通に立ち入ることができなかったり、ホームレスの皆さんのお住まいになっているので、有り難味がわかりにくいものですが、言われてみると本当にたくさんの樹木があのメタリックな町に点在しています。
この国の大都市は砂漠ではなかったんだと改めて実感してしまいました。
彼女が異国の日本で生きていくために常に心がけていた事は「阿Q精神を肯定し、また否定すること」だそうです
魯迅の小説「阿Q正伝」に出て来る男阿Qは良くも悪くも中国気質を象徴する性格の人物で、大言壮語し、楽天的自己中心的に物事を考え、さりとて努力はせず、自分の不幸は全て何がしかに責任転嫁する許しがたき狡猾な男です。
自分自身に流れている阿Q精神を認め、そうならないように心がけて生活していたそうです。しかし、卑屈になる事は不幸を呼ぶことなので、阿Q以上に前向きに物事を考えるように心がけていたそうです。
少子化で子供がぬるま湯に浸かっている昨今の中国では、北夷南蛮が一旗揚げようと乗り込んできています。どんな世の中でも競争はあるものです。親の七光りが通用しない世界で自分を磨く事は価値あることで、磨く事は余計なものを落すことです。
「したたか」と言うと悪く受け止められがちですが、よい意味での「したたか」があっても良いと思います。
私のように田舎に住んでいると都会に出て夢破れて帰ってきた落ち武者をかしこに目にします(私もそうかな?)が、田舎には田舎のずるさもあります。
田舎で生きることにも「したたか」は不可欠です。
2005
01/27
〔Thu〕
00:00:00

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下の弟の嫁さんのおばあちゃんが亡くなりました。半年前から具合が悪く入退院を繰り返していたのでいよいよかと思っていましたが、そちらではなく嫁さんの母親のお母さんだそうです。昨年末こちらに来てくれて元気でしたが、急なことでした。
ひ孫にあたる一歳半の甥はわけもわからずはしゃいでいるようですが、天敵がいるようです。はとこの女の子で甥よりは3歳年上のおねえちゃんですが、みんなの注目が甥に行くのがご不満のようで、取っ組み合いの喧嘩をしている模様です。
ウラジオストクスタッフのお母さんが糖尿病で、「特効薬を送る」と言ったら「キャンディーやチョコレートなどの甘いものを送る気でしょう!」と言われてしまいました。
行動をよまれているという焦りを感じつつも、「番茶と言う日本のお茶に含まれるポリサッカライドと言う成分が血糖値を下げる効能があるんだ!」と番茶を買ってきました。
私の場合、冬はストーブにヤカンをかけているのでドクダミ茶や柿の葉茶など夏や秋に収穫したお茶の元を煮出して飲んでいますが、これが効くのか体調はいいです。トイレが近くなるのが難点ですが、日本にいる分には苦になりません。
冬のロシアでお茶がぶ飲みはトイレの事を考えると心配になってしまいます。
それでも、健康のためになれば。
2005
01/26
〔Wed〕
00:00:00
◆雪焼け

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朝7時ちょっと前に太陽が昇ってくるので、朝日の昇る様子を楽しんでいます。昨日は朝の吹きこし(雪)でかすんでいて、光の屈折なのかいつもよりどんより大きく見えましたが、今日は輪郭がはっきりした状態で昇りました。
日本より一時間時間が進んでいるウラジオストクではまだ暗いうちに出勤している季節ですが、それでも日がのびてきたのでお天道様の下で働ける時間が増えてきています。
ロシア人は日本人から比べると暗いところに向いた目をしていると感じることが良くあります。およそロシアの事務所など日本人では目が悪くなるような暗い明かりのもとで仕事をしていますし、家の中の明かりも暗く感じます。ローソクの明かりの下での食事などロマンチックですが、見えないと不便なものです。
暗いところでの生活に慣れているからと言ってしまえばそれまでですが、逆に強い光線下では目をいためやすいようです。コーカソイド人種がサングラスを愛用するのはただ単にファッションではなく、強い直射日光に目をやられやすいためでもあります。
私たちにはなんでもない夏の日差しで、「目が痛い」と夜にうなっているのですから、強い日差しに目がやられやすいのだなと思ったことがあります。
これから日差しが強くなり、地面の雪の照り返しで「雪目」と呼ばれる目のやけどになりやすい季節です。
配り物を持って地元の農家を訪ねたら、家の前でお婆さんが凍み豆腐を仕込んでいました。
綿入れの服を着てフェルトで作った前掛けを体に巻きつけたその姿たるや、カイラス巡礼のチベット仏教徒のようで、一瞬言葉を失いました。
妙に雪焼けして黒い顔もそのしわも迫力があり、日本人とチベット人は同じ血が流れているの違いないと考えてしまいました。
この何年か暖冬だったので凍み豆腐は作らなかったそうですが、今年は例年通りの寒さなので、久しぶりに豆腐を作って凍み豆腐を作っているそうです。
今日は北海道で−32度を記録したそうで、こちらも寒い一日でした。
2005
01/25
〔Tue〕
00:00:00
◆糖尿病

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1月25日はロシアの学生の日。特にこれといったイベントはないそうですが、最近は「試験が良くできますように」と学生たちが教会にお参りに来る日だと言われています。
極東大学では道路を隔てて古い教会がありますし、極東技術大学などはキャンバス内に教会があります。
ウラジオストクオフィスから薬を持って来て欲しいとの以来があり、何の薬かと思いきや血糖値を計る機械の電解液でした。
あの体格および、食生活をかんがみればいつ糖尿病になってもおかしくないと思っていましたが、とうとうなってしまったのか!と問うと、「私ではなくお母さんが使っているんだ」と弁解していました。
私など非情に危ない糖尿病予備軍のタイプだと思うのですが、健康検査では幸いまったく異常がありません。節制している人でもなるときにはなるそうです。
糖尿病大国日本では糖尿病に関する情報があふれていますが、ロシアでは私たちが思うほどこの病気について良く知られていません。
ソビエト時代にはなかった贅沢病などといわれているようですが、なかったのではなく、気がつかなかっただけのことでしょう。
2005
01/24
〔Mon〕
00:00:00

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夕方、ホームセンターに灯油を買いに行ったらサンクトペテルブルグから来た奥さんに会いました。下の子供を連れて歩いていましたが、5歳になる子供に語りかける言葉はロシア語でした。
労せずして二つの異なる言語を使い分けることができるのが、国際カップルの子供の良いところですが、実際に分けて使えるようになるのは小学校入学近くなってからのようです。
彼女に最初のお子さんが生まれたときには「日本人の子供はまん丸でかわいい」と語っていましたが、私にはロシア人の子供の方が目はパッチリしていてほっぺたがふっくらしてまん丸のように思えたので、おかしな事を言うなと思ったものです。
実は一番まん丸なのは日本人のお父さんです。
ロシア女性はワガママで好き嫌いが多いから食べ物を残す。それを見た夫たちは「もったいない」と残した分を食べるので、結果的にロシア女性と結婚した日本男性は太る!が我々の持論で、それ以前に太っていたかどうかなど問題ではなく、とにかく太るのは彼女らのせいだ。と主張しています。
一頃子供教育を巡って夫側の両親と対立して大変だったと聞いていましたが、日本式で育てたら自立できない子供になると、ロシア流の子育てを実践しているようです。子供が男の子ばかりなので、自立も大切なことです。
日本式の自立教育と言うと”獅子は子供を千尋の谷に落す!と、スパルタ教育の「巨人の星」を思い浮かべてしまいますが、ロシアの子育てを見ているとむしろ正反対で親と子供がいつも一緒にいるものです。もちろん治安の悪さもあるのでしょうが、日本人よりよほど手をかけて子供を育てているように見受けられます。
夫婦共働きが当たり前なので、仕事に行くときは子供預けては当たり前ですが、それを補うくらい家庭では手間隙かけているように思えました。
人前でも平然と叱りますし、諭しています。さりとて、親が「これが正しい」と押し付けるような光景はあまり見かけていません。
「自分で決めたことでしょう!」ロシアの親が子供に言う常套句。
彼女の緑色の目には、日本人は子供を学校や会社の枠の中に入れることで安心しているだけと映っているようで、「私たちは国が亡くなる経験をしました。どんな時代でもどんな世界に行っても生き残れることもを育てるのが教育でしょう。」と、言われたことがありました。
以前、バイオリン教室をしている知り合いのところに子供を通わせている熱心な中国人妻の話を伺ったことがありましたが、やはりその女性も音楽で一芸を持っていればどんな世の中でも生き残っていけると考えているようですし、こうした特技が異なる国の血が混ざる偏見を越えてくれると信じているようです。
2005
01/23
〔Sun〕
00:00:00

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船の模型つくりを趣味にしている知人に面白い話を聞きました。
旅客機の出入り口は機体の左側についています。なぜこちら側についているかと言うと、船舶決まりごとの名残なのだそうです。
バイキングの船は右側に舵があったので、舵を護岸にぶつけてこわさないように左舷(左側面)を護岸に接岸するのが決まりだったそうで、左舷の事を港に接岸することからポートサイドと呼び、右舷は舵を意味する「ステー」から、スターボードと呼ぶそうです。
昔、マンガ雑誌を読んでいて、サーフィンのシーンでぶつかりそうになったサーファー同士が「スタボー!」と叫んでいるシーンがあったのですが、意味がわかりませんでした。まさかロシアの「スタボーイ(いっしょに)」ってことかな?などと考えていました。
右へ行けと言う意味なんでしょうね。
海の上にはセンターラインはありませんが、右側交通なのだそうで、正面から船が来ればお互いが舵を右に切って、相手を左側に見るようにすれ違うのだそうです。
海軍関係者や船乗り関係者が多く住むウラジオストクの人々なら「誰だって知っていることよ」でしょうが、海洋国家日本でも海と縁遠い場所に生まれ育っていると大発見です。
船に掲げている旗の色でいつ出航するのかもわかるのだそうです。
さらに、護岸に接岸する左舷掲げるランプは青いランプで、右舷には赤いランプを点灯するのが世界の決まりごとになっているのだそうです。
何回もウラジオストクの港で船を眺めていましたが、こんな事を気にした事はありませんでした。確かに、右と左で色の違う明かりがついている事を目にしたおぼえはあるのですが、どうせありあわせのライトをつけたから色が違うのだろう程度にしか考えていませんでした。
「船橋」と言う字を見てヘルスセンターを思い浮かべるようでは古いそうで、確かに相当古いと思いますが、「船橋(せんきょう)」と読んで、ブリッジを意味するのだそうです。
今でこそGPSで衛星からの情報で自分の居場所を確認しながら航行できますが、昔は六分儀という角度計で天体を観測して自分の位置を割り出したそうで、これは海の男の基本中の基本なのだそうです。
こういう事を語らせると熱くなる元太平洋艦隊将校がウラジオストクにいますが、今度行ったときにはいろいろ教わってこようかと思います。
海事の決まりは道路交通法などよりもはるかに国際的に共通していて、そうでなければ国際港など事故続出です。
2005
01/22
〔Sat〕
00:00:00
◆グアム

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夫婦でグアム旅行に行ってきた草津に住む弟が一人で土産を持ってやってきました。さんざんだったようです。
到着早々コンビニで買ったサンドウィッチに中り腹をこわし、妊娠中の嫁さんはつわりがひどくなってしまい、海にも入れない有様。先月フランスに行った時はなんでもなかったのに、一ヶ月で随分違います。
歯車が狂ってくると何もかも気に入らなくなってくるようで、見るもの聞くもの食べるもの全てが気に入らない。カップヌードルを買いに行けば一個3ドル。「なんだこりゃ?」と怒り心頭。
グアムに行ったらカジノに行ってみたいと話していましたが、馬鹿馬鹿しいから日本に帰ってパチンコに行こうになってしまったそうです。
3日目になると嫁さんぶち切れ状態で、歩きながら看板蹴飛ばしたり、植木をぶん殴ったりのイライラ状態で、そこに現地人らしき土産売りが声をかけてきたら突如爆発し、「あたしゃフランス語が専門なんだよ!田舎臭い英語で話しかけるんじゃないわよ!」と、フランス語で怒鳴りつける始末。
鬼畜米英との戦闘で散った日本兵の幾多の英霊が乗り移ったがごとく、「アメリカなんか大嫌い!二度とこんなところに来たくない!」と大変な状態だったようです。
つわりがどんなに苦しいものかは男にわかることではありませんが、半分は男にも責任がありますので弟も黙って面倒見ていたようです。5年も一緒にいてこんな恐い人だと初めて知ったと語っていました。外国に行けばそれだけでストレスになるので、成田離婚する新婚が出るのもうなずけるそうです。
奥様は帰国するなり高崎のご実家でご静養です。
やはり、機嫌が悪くなると日本人の嫁さんも恐いです。
夜、近くの小料理屋さんにラーメンを食べに行ったら地元の奥様方が集まって一杯飲みながら怪気炎を発していました。中学のPTAの仲良しの集まりなのだそうで、みんな顔見知りの人たちでした。
メニューにカクテルがあって、食べるものも豊富で奥様方お気に入りの店になるのもわかります。
驚いたのは友人の奥さんで、十数年前に岩手県の陸前高田から嫁いできたときには「この村でやっていけるのだろうか?」と思うほどか弱く感じたものですが、今や地元の奥方を束ねるあねさんに成長していました。
土曜なので深夜にNHKの”美しき日々”があるので、時間を気にしながら話しているのはPTAとはかけ離れた夫の悪口。そのボロクソに悪口言っている夫に迎えに来てもらうのでしょうが、こうしたガス抜きも必要です。
2005
01/21
〔Fri〕
00:00:00

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ウラジオストク事務所のインターネットとサーバーの状態が悪く、何回メールを出しても戻ってきてしまうために電話とFAXでのやり取りとなりました。夜にはサーバーも治ったようでメールも遅れるようになりました。
昨夜半から雪が降り始め、朝起きたら積雪が50cmほどありました。除雪のブルトーザーが来る前に家の周囲の雪を道路にかきだしてしまおうと躍起になっていましたが、半分も終わらないうちにグレーダーが道路の雪をさらっていってしまいました。
昨年、雪の様子をデジカメで写してウラジオストクに送ったら、今はラーゲリーの囚人だってもっとましな環境に住んでいる言われたので、今日の電話でも「雪はたくさん降っていますか?」と聞かれましたが、「ほとんどふっていませんよ」と答えておきました。
5年前のロシアは寒波と大雪に加えて殺人インフルエンザが流行した年で、市内の病院の医師たちもシベリア奥地の村などに派遣されました。
行くのも大仕事なら帰ってくるのも冷や汗ものだそうで、派遣先で雪に閉ざされて帰れなくなった医師たちが何人も出たそうです。運がよければヘリコプターで帰ってこられたそうですが、運が悪いとヘリコプターが頭上から物資を落としていくだけで、春まで帰ってこられなくなるのだとか。
この冬もインフルエンザを懸念されていましたが、幸い今のところはおとなしいようです。
2005
01/20
〔Thu〕
00:00:00

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今日は大寒。これからは冬も次第に暖かくなる方向に向かうわけですが、まだまだ寒波はやってきます。
オホーツクの流氷は例年よりも早く北海道に姿を見せ始めたようです。
本来日照時間が一番短い冬至が一番寒いはずですが、太陽の熱が地球に伝わるまで時間がかかるので、日照時間と気温の間に時間差が出ます。
今日、ウラジオストクから帰国した男性が言うには、日に日に冷え込んできたと言っていましたから、明日当たりこの寒波が日本に押し寄せることでしょう。
抹茶は急須がなくても簡単に飲めるので、抹茶を土産に持って行ったら喜ばれたようです。
日本からてんぷら粉とごま油と鍋を持っていっててんぷらパーティーをやったようです。停電でコンロが使えないときのためにカセットボンベを持っている家庭は多いです。
ゆで卵やサラミ風のハムなどいろいろな素材をてんぷらにして楽しんだそうです。
天つゆは作らないで、抹茶と塩を混ぜてふりかけて食べたそうです。この方がてんぷらのサクサク感や風味が楽しめるので、これも良い方法です。
てんぷらの素材の魚類はいろいろありますが、キロ単位で販売しているので要注意です。
えびのてんぷらは無難ですが、シッポの剣を取らないと口に刺さります。日本人ほど見た目にこだわらないので、食べない頭や尻尾などもいでしまった方が賢明です。
私の感覚では燻製にして食べるとおいしい食材はてんぷらにもあうので、参考になるかもしれません。
百の言葉で説明するより一見にしかずで、現物を作って見せれば理解も深まります。次回はスキヤキに挑戦するそうです。
2005
01/19
〔Wed〕
00:00:00

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ロシアの冬休みが終わったこともあってメール交換が活発になり喜んでいます。
実際にあって目で見て、肌で感じることほど大きな情報収集はありませんが、メール交換で言葉を通じて得る感触も大きなものです。
男性たちがまず最初に戸惑う事は「時間間隔の違い」でしょう。分刻みの生活をしている日本人は多いですが、方や一日が長く一年も長いゆったりペースです。時間のことでイライラする事は胃に良くありません。
それでも数年前から比べればロシア人も随分時間を気にするようになりました。時代がスピードを要求していることもありますが、今までがあまりにも…
先週風邪をひいて寝込んだ弟のところでは妊娠中の嫁さんと一歳半の子供が嫁さんの実家に非難していましたが、ようやく体調もよくなり帰ってくるように電話をしたところ、向こうのお父さんが「なんだ、もう良くなったのか?もう少し養生したらどうだ?」。
娘は返してもいいけれど孫は暖かくなるまでこっちにおいておけと帰す様子もなさそうです。
私の母は神戸の隣町の出身でしたが、毎年今頃の季節になると里帰りしていました。まだ新幹線もない時代でしたから里帰りも長旅でした。
小学校にあがるまでは毎年くっついていきましたが、近所の人たちには「関東の子」とよばれ、言葉が通じないもどかしさを感じたものです。
吉本興業の東京進出のおかげで関西弁も違和感がなくなりましたが、あのころは外国語でした。
伊豆諸島沖で地震があり、神津島に津波注意報が出ました。幸い津波の被害もなかったようです。
伊豆諸島に地震が群発すると東京方面の大地震の前兆だと地震学者が言っていましたが、いよいよ首都圏到来なのでしょうか?
2005
01/18
〔Tue〕
00:00:00
◆生まれいづる悩み

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町村合併の説明会があって出かけてきました。その帰りに、ドイツ文学教授の御宅に伺っていろいろな話を伺ってきました。
この家に行くときには有島武郎の小説「生まれいづる悩み」に出て来る、有島のところを尋ねる漁師をしながら絵を書く青年木本君の心境でうかがうようにしています。
木本君のモデルとなった青年は木田金次郎といい、漁業をしながら北海道の岩内を描き続けた著名な画家です。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンに関する本を書いている最中だったそうで、お仕事の最中お邪魔したにもかかわらず気さくに出てきてくださいました。
試験を受けて授業料支払わなくては聞けない話を、お茶やお菓子をご馳走になりながら聞けるので田舎暮らしも悪くありません。
たまたま、昨日からドイツのミヒャエル・エンデの小説”モモ”を読んでいるのですが、その話をしたら教授が講談社新書で出版しているミヒャエル・エンデについて書いた本をいただきました。
「ちょっと待って、いい本を持ってくる」と言って書斎に行ったので、まさかドイツ語の原本など持ってくるのでは?と内心びくついていましたが、解説書で安心しました。
教授が「是非読みたまえ」と今回薦めてくれたのはバルザックの「知られざる傑作」でした。
実は十数年前に既にこの本を読んでおり、言わんとする事は良くわかりました。
中島みゆきの歌に”時刻表”と言う♪見えることと、それができる事は別物なのさと米を買う♪この壁と向かい合えと言うことです。
自分だけがわかる世界に閉じこもっていないで外に向かって何かしらを表現しろとおっしゃりたいのだなと意図は汲み取れました。このHPもその一貫なのですが。
見落としがないかもう一度読んで見ます。
ちなみに、映画「美しき諍い女」はこの小説をモデルに作られています。
2005
01/17
〔Mon〕
00:00:00

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ロシア語で自由は「свобода(スヴァボーダ)」 と言いますが、彼らのキャラクターに接していると「サボッタ」と聞こえてなりません。締め付けの厳しかったソビエト時代でも、自由に仕事をサボッタのでしょう。
次第に正月休みボケから回復しつつあるロシアですが、この先はバレンタインデー、女性の日などのお祝い事が控えています。
中国と工業製品の取引をしている人が言うには、中国も旧正月の春節が近くなったこともあってそろそろ落ち着きがなくなってきているようです。製品の仕上がり状態が悪くなってきているようです。
中国と言えば趙紫陽元共産党総書記が亡くなった模様です。先週も香港の報道で亡くなったと言うニュースがありましたし、2003年の春にも急死したと言う報道がありました。今回はどうなるのだろう?
趙紫陽といえば胡耀邦とコンビで1980年代の中国の頂点にいましたが、老害を駆逐しようとした政治改革の失敗で胡耀邦が失脚し、トップになった人物でした。
会議の最中討論で興奮し心臓発作で急死した胡耀邦の葬儀を期に、民主化を求める学生たちがデモを起こし、第二次天安門事件が起こります。民主化を求める学生たちに同情的だったとして趙紫陽は失脚しました。
この騒動の最中、中国に来ていたのがソ連のゴルバチョフ書記長でした。まともな会談もできずに帰ったそうです。民主主義や自由への萌芽が社会主義国に芽生え始めていた時代でした。
周恩来の葬儀で帽子を脱がなかった江青に怒った人民が蜂起し、第一次天安門事件になり、胡耀邦の死を偲ぶ学生たちが蜂起し第二次天安門事件が起こりました。
趙紫陽死亡説がたびたび流れたのも、人民の動きを探る政府の方針だったのかもしれません。
趙紫陽の死を偲んで大きな動きが起きるようでしたら、中国人民も見込みがありますが。
胡耀邦は日本に対して理解のある指導者で、古い時代の政治家に失脚させられなければ、中国民主化への道が開けたかもしれません。それにはまだ民度の成熟不足の館もありましたが、胡耀邦、趙紫陽の失脚によって中国は伝統的専制主義に引き戻されました。
結局中国人民は「豊かさ」や「経済」に「自由」と「民主主義」を売り渡してしまったようにも思えますが、日本人が言うことではないかもしれません。
昨今問題の多い中国人留学生ですが、日中の留学生交流の発端は胡耀邦と中曽根康弘総理との会談からでした。
1989年日中青年交流センターの鍬入れに中曽根康弘と共に立ち会った胡耀邦はこんな演説をしています。
「歴史上、狭隘な愛国主義しかわきまえず、その結果、誤国主義に陥ってしまったものは少なくない。中日両国の青年は、歴史の経験と教訓の中から知恵をくみ取り、自分自身を愛国主義の情熱と国際主義の精神に富んだ気高い(高尚的)現代人に鍛えて行ってほしい」
情けないほど当初の目的からずれている昨今の事情。初心はどこに行ってしまったのでしょう?もう一度与えられた「自由」について検証してみては?
2005
01/16
〔Sun〕
00:00:00
◆薮入り

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本当は旧暦になるのですが、1月と7月の16日は薮入りで、今日は1月の薮入りになります。奉公人が休みをもらって実家に帰ったり、嫁や婿が実家に帰った日でもあります。週休二日どころか年休二日のような時代のことです。
朝、積雪は30cm少々で大した事はなかったのですが、典型的な太平洋型の水分を含んだ重たい雪で除雪も一苦労でした。通常、この程度の積雪なら乗用車タイプでも4WDなら問題なく走るのですが、坂の下のほうでは軽のワゴンが登ってこられなくて置き去りになっていました。
雪の重みで木の枝が折れて道路に落ちていたり、ご近所総出で枝の片付けや雪かきをしました。
今日はウラジオストクに帰国する女性会員がいるので、新潟空港に電話して状態を聞いたところ、問題になるような雪でもなく、通常の運行していると言われ安心しました。
夕方ウラジオストクのスタッフに電話したら無事自宅まで送り届けたのでご安心をと言われ方の荷が下りました。
薮入りと関係なく、夜、草津に住んでいる弟夫婦が来ました。明日から夫婦でグアムに行くので草津から出て行くのは雪が心配だからとこちらまで降りてきました。
先月フランスに5年目の新婚旅行に行ってきたばかりなのに、その後妊娠が発覚し、子供が生まれたら旅行もままならないとドサクサで決めたようです。飛行機で3時間以内で行けるところでグアムになったようです。
日本人なら簡単に思い立ってグアムに行けますが、一応USAなので、ロシア人が行こうとしたらビザを取るのも大仕事です。
2005
01/15
〔Sat〕
00:00:00
◆子育て

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かつての成人式の日です。成人式の日には大雪になり、晴れ着の新成人が大慌てと言うのが良くあるパターンでした。雪が降る日のようです。
昨日から弟が風邪をひいて寝込んでおり、インフルエンザではなかったようですが、妊娠中の嫁さんと一歳半の子供は一昨日から嫁さんの実家に非難しています。
夕方、夕食を作りに出かけたら、寒気がおさまらないとコタツから顔だけ出していました。いつもいっしょに寝ている子供が布団を蹴飛ばしてしまうので風邪をひいたんだと言っていました。
NHK教育テレビの子育ての番組で「国際結婚の子育て」が取り上げられていました。日本男性と結婚したUSA、中国、ロシアの女性と、インド人と結婚した日本女性が出ていました。
中国女性が遊牧民の流れをくむ彼女の育った地域では子供を服でぐるぐる巻きにすると語っていました。冬のモンゴルに行ったときに私も見ました。厚い綿入れの服で来るんで紐でぐるぐる巻きに縛り、顔だけ出してマッチ棒の様になっている子供を見ました。
騎馬民族は危機が迫ったときに素早く子供を連れて逃げられるようにこうしておくのだそうです。
ロシア女性が、ロシアでは父親が娘を風呂に入れる事はないので夫が娘を風呂に入れることにびっくりしたと語っていました。彼女の育った家庭では母親と娘、父親と息子とが同じ部屋で寝ていたようです。少々極端な気もしましたが、なるほどと感じたこともありました。
ロシアは男と女が一緒に行動することも少なく、若い人たちを見ていても女性だけのグループと男性だけのグループに分かれていることが多く見受けられます。
親子で街を歩くにしても父親と息子、母親と娘の国あわせが多く、父親と娘が一緒に歩いている光景は少なかったように思えます。
風呂に関しては基本的に湯船に入る週間が希薄なのですから、せっかく風呂を沸かしてもシャワーだけのことも多いし、日本家屋の寒さを体験して唯一体が温まる暖房として風呂を体験するか、夏の蒸し暑さを風呂で汗を流すことで脱出するかを体験しないと湯船のありがたさもわからないことでしょう。
どの家庭も夫が家事を手伝う事は共通していました。ただでさえ育った生活環境が違うのですし、日本人同士の結婚よりも夫の家事負担は増えるのは当然でしょう。
ハルビンの会員さんが奥さんを称して「できるできないは別にして一生懸命やっているよ」といつも話してくれるのですが、とても素晴らしい言葉ではないかと思っています。
家事を難しく考えず、こちらもできるできないは別にしてできるだけの手伝いをすればいいことです。
2005
01/14
〔Fri〕
00:00:00
◆アナログ&デジタル

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早朝、どんど焼きに顔を出したら新聞社の駐在員が取材に来ていました。
キャノンのデジタル一眼レフを使っていました。この春見かけたときは普通の銀塩写真のカメラを使っていましたが、「ようやく会社から支給されました」と記者は喜んでいました。
現像処理などの手間が要らないし、携帯電話があればその場からデータを転送するのも簡単なので「便利な道具です」と言っていました。
こうしたHPを作り始めた5年前からデジカメを使っていますが、画面で見るならデジカメ、プリントするなら銀塩写真と思っていたすみわけも通用しなくなってきたように思えます。
CDが出てからいつの間にかレコードが駆逐されていった十数年前を思い出しました。
趣味のモノクロ写真は数人の仲間と暗室を作って、印画紙などをバライタ紙というコーティングをしていない古いタイプの印画紙を共同で購入して使っていますが、最近は良質のバライタ紙印画紙の入手も難しくなりました。
デジタル革命と言われて久しいですが、何十年もかけて進化しきった機械類が、デジタルの名の下にいとも簡単にその座を奪われるすごい時代をリアルタイムで経験しているのですが、実感がありません。
CDはさらに多くの情報を詰め込めるDVDに追われていますが、もう少し立てばデジタルカメラも次世代の製品に追われるようになるのでしょうか?
3月にはニコンが50年前の名機ニコンSPを復刻限定発売するようで、カメラの世界はオーディオのようには行かないでしょうが、一朝一夕では培われないローテク技術の集大成のようなカメラを復刻すると言う事は、物作りの次世代を育んでいる大切なプロジェクトだと思います。
デジタル化が進むにつれ「味わい」と人々は言いますが、不確かな微妙な曖昧の中に味わいはあるようです。
道具として使う、仕事の中の人間としてはデジタル的な人が良いのでしょうが、共に人生を過ごすには私の場合アナログ的な相手の方が安らげる気もします。
2005
01/13
〔Thu〕
00:00:00

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午後、どんど焼きの準備に行ってきました。製材所が切りくずを寄贈してくれたり、今年家の改築をした人が古い家の建材を寄贈してくれたりと、焚き火は大きくなりそうですが、松飾やダルマは年々少なくなっています。
横で焚き火をしながらやぐらを組んで、明日いただくお神酒をちょっとばかり早くいただきながらやぐらを組みました。
昔は42歳の厄男が年寄りに見えたものですが、今や厄年がみんな年下になってしまったので、なんとも複雑な心境です。
この10月に新婚旅行でタイのプーケットに行ってきた若い衆が来ていました。
観光客が津波の映像を写したビデオをテレビで見て、見たことのある景色だったので自分たちが泊まっていたホテルかもしれないと言っていました。
津波が来る前に行ってきたのですから幸運でしょうが、思い出の地がなくなってしまったようでさびしいと言っていました。
津波の後に暴動や略奪などが頻繁に起こるのではなかろうか?と懸念していましたが、多少はあるものの思った以上に冷静沈着に見えるので、東南アジアの人々の民度の高さを感じています。これが中国やUSAだったらどうなるだろう?
リゾラバなどと呼ばれていますが、プーケットのようなリゾート地に住み着いて、現地の男を買う日本女性や、現地の女性を買う日本男性など、この国の恥部がいます。津波で流されて名前さえでてこない行方不明者にこうした人々が多く含まれていると思いますし、行方不明になったことさえ知られずに魚のエサになっていることでしょう。
まともに恋愛もできず金で性を買うやからより、恋路の行く末で翻弄されている人たちの方がはるかに健康です。結論の前の過程こそ価値があるのに。
相手と対等に向かい合うことができず、そのくせ上になろうとするおろかな人たちがなんと多いことか。respectできない人間がどんなにあがこうともrespectされることなどありえないのに。
弟が北京に留学していたときの同級生でバンコクからの留学生がいて、弟が向こうを尋ねたり、彼がこちらに着たりと良い友達です。
上座部仏教のタイの伝統で、名家の息子としてお寺に修行に出ました。修行僧は空気のような存在で、目の前にいても見えなかったように扱わなければなりませんし、俗界とは一線を隔てて存在しなければなりません。
ところが、修行中日本人観光客に捕まって、女性に腕をつかまれ写真をとられてしまいました。修行中女性に触ると修行を一からやり直さなければなりません。泣きの涙で1年以上余分に修行したそうです。
タイの仏教には227の戒律があり、これに反するとサンガと呼ばれる仏教会から追放されてしまいます。
ユダヤ教など248の義務律と365の禁止律、合計613条ものミツヴァと呼ばれる戒律があります。
なんて息苦しいことだろうと思いますが、私たちだって細かな法律の中で秩序を保とうとしているではありませんか。
土地土地には独自の慣習があるものですが、外国人だからと言って許されないことも多いので、理解不能な秩序も存在します。
USAが押し付けるグローバル・スタンダードだって地域の秩序なのですが。
悪法も法なり。
2005
01/12
〔Wed〕
00:00:00

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前後左右上下真っ白で何も見えない吹雪の中、たのまれごとで苗場のスキー場まで荷物を運んできました。
ロシアで言うならブランと呼ばれる吹雪で、自動車のフロントシールドは凍り付いてワイパーが役に立たず、運転席の窓を開けて顔を出して道を確認しながら行くような状態でした。
自然の猛威が吹き荒れるときはそれに逆らわないでおとなしくしているのが上手な接し方なのですが、自然と命のやり取りをしたことがない人たちにとっては、帳簿の上での完結こそが最優先。
まあ、面白いからやりましょうと安うけあいしてしまいました。
用も終わり、天気は相変わらずの吹雪です。せっかくだから天候待ち兼ねてスキー場のレストランでお昼を食べてきました。ゲレンデが吹雪で悲惨な有様ですから、随分混んでいましたが、正月明けでスキー客も少ない時期です。
私の背後のテーブルにはタバコをくわえながらえらそうにふんずり返って汚い言葉で雑談している若くない女性たちがいました。
平日の昼間にこんなところにいるのですからオミズのみなさまかな?といでたちから察していましたが、どうやらやんごとなき大企業のお局様たちのようです。
ソビエトが崩壊してロシア女性たちが「私たちは砂糖とパンがあればそれで十分」と健気に行列に並んでいるころ、「オヤジギャル」などと自ら名乗り、ガード下の居酒屋や焼き鳥屋で怪気炎を発し、競輪競馬など公営ギャンブル場に出没し大声で怒鳴りまくり、おじさんたちがコツコツと年月をかけて育てた哀れな文化を、瞬時にして食いつぶしたデストロイヤー達の残党のようです。
女の美しさを放棄し、男の醜い部分をなぞることで対等と勘違いしているのかはたまた逆襲しているつもりなのか、「競うべきポイントはそんなところにないんだよ」と勘違いしている女性たち。まだ残っていたんですね。
カレーライス食べながら聞き耳を立てていたのですが、若い男性社員を「仕事はできないけどかわいいから食べちゃおうか」などと話していました。鬼婆ではないのだから「食べちゃう」と言うデリカシーのない表現も腹が立つやら、何より、みんな働いているときにこんなところにいて「仕事はできない」などと評価をしているふてぶてしさ。
こんなのを抱えている企業もご苦労が多いことでしょうと同情しながらも、抵抗しない切り易い部分を切り捨てて厄介な奥深い腫瘍を切り捨てずに再構築と自己満足している愚かさも感じました。
不足した能力をはったりかまして背伸びをしている不憫さも感じましたが、このタイプの日本女性が、はったりなど通用しないもっと厳しい環境で生き抜いているロシア女性と競ったら根負けしてしまう事は明白です。
「女性だから」と許される部分が多い日本と、そんな概念がないロシアとの根本的な違いです。
社会の中で男性と伍して生きていくことに背伸びをしなければならない日本女性の悲しさもわかりますが、本筋とかけ離れた些細なことに刃を突き立てているドンキホーテ。
劣等感を個性と勘違いしているヤマンバギャルと変わりがないのでは?
このおばさんたちは時代のアダ花だろうか?
2005
01/11
〔Tue〕
00:00:00
◆雪かき

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父と軽トラに乗って新潟の被災地に除雪の手伝いに行ってきました。積雪は昨年より1m多いといわれていますが、このところ少なかったので例年並かな?と言う気がします。
屋根から落とした雪などを軽トラに積んで運ぶ手伝いをしていましたが、折からの大雪の一日だったためにすぐに雪が降り積もってしまい、「どこを除雪したの?」と切なくなりました。
「がんばってください!」と声をかけるのはどことなく自分自身の中に「他人事」と割り切っている冷ややかさが感じられるので、できるだけ使わないようにしています。さりとて、「がんばる」に代わる言葉もなかなか見当たりませんし、そもそも「がんばる」ってなんだ?それに何をがんばればいいんだ?
会員さんから女性会員に宛てたメールを訳すときに困るのも「がんばる」と言う言葉です。
年の功なのか父はごく自然に「それじゃあ、お互い元気にやるべえや。」と「がんばる」に代わる具体的な言葉を見つけていました。
ボランティアの保険に加入する用紙にうっかり平成16年と書いてしまいました。と言うより、「今年は平成16年だったな」と思い違いしていました。
最近は元号よりも西暦を使うことも多くなりましたが、外国とのやり取りが多いのでどうしても西暦優先になってしまいます。平成16年になれてきたと思ったらいつの間にか17年になっていました。
年末のインドネシアの地震から巻き起こった東南アジアの津波の犠牲者は20万人になろうかと言う勢いで、年明け早々にヨーロッパやUSA西海岸では大雨で洪水、相変わらず災害の波が続いています。
ようやくロシアも冬休みシーズンが終わり人々は社会復帰していますが、長い休みで休み疲れして体を癒すために休暇が必要なようです。
2005
01/10
〔Mon〕
00:00:00
◆ホーチミンになり損ねた男

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役所勤めをしていた頃の同僚と赤城山にワカサギ釣りに行ってきました。
現地集合だったので、朝五時半に家を出ました。我が家の玄関先の気温計は−11度だったので、赤城の山の上はそれよりはるかに低い気温だったと思います。
今の時期、ウラジオストクの海も湾内の一部が凍結して、氷に穴をあけて釣りをしている人たちがいます。「あんな汚い海で連れた魚なんて食べられない」と人々は言いますが、釣った魚を持ち帰っているのだから釣り人たちは食べているのでしょう。
「あんなに寒い中で釣りをしていてどこが面白いの?そんな思いをしてまで魚を食べたいの?」
女性たちにとっては不合理な世界なのかもしれません。
寒い中、身動きもせず氷にあけた穴に釣り糸をたらしている行為そのものが楽しいので、「女には理解できないよな」と話しながら沼の氷に穴をあけました。
7時少し前に太陽が昇ってくる様子を眺めながら、それだけでも嬉しいひと時でした。
昨年は彼の子供がお受験でワカサギ釣りもできなかったようですが、今年は奥さんと子供は塾に縛りつけられているもののお父さんはカヤの外で余裕が出たようです。
いわく、「お前さんが皮肉るように、あれは親の代理戦争なんだな。当事者でないから熱が高まり泥沼化するんだな。」
なるほど、現代のベトナム戦争のようなもので、親はソ連やUSAで子供はベトコンと言うわけです。
子供たちを戦場に送ってはいけない!ラブ・アンド・ピース!と叫びながらもっと悲惨な内なる戦争に送り込んでいるわけで、「そのベトコンのなれの果てが俺たちなんだな。」この春から悪名高き外郭団体行きになるそうです。
上司の薦める縁談を断ったがためにホーチミンになる道が閉ざされたような男ですが、皮肉な轍はまだ続いているようです。
「俺たちの世代はなんだったのだろう?」将来のためにひたすら耐えることが「善」で、日の当たる日を待って、待って、ようやくと思ったら「待つ」だけの人間はいらないとリストラ最前線。それも無責任な上の世代の尻拭いのために。
親亀こけたらみなこけたで上が権力闘争に負ければ下は難民のようにあちこちに亡命し、勝ったほうも親分がソビエト並みでは将来崩壊です。
ダメなら田舎に帰って百姓やればいいと、私の場合は御身気軽だったので言いたい放題、やりたい放題やってられましたが、この世で最も安定した職業は百姓かも知れません。斜陽のままですがこれ以上悪くもなりません。人様の顔色よりもお天道様と雷様に気を使うだけですから。
ダーチャ(郊外型家庭菜園)が生活の基盤にあるロシア人の強さも理解できます。国がひっくり返ってもダラダラと生き残るたくましさ。ルーズで言うことを聞かないのも道理でしょうか。
レールに沿って生きてきた彼の言わんとする理不尽は察しられますが、ソビエト崩壊時そのあおりを食らった人々の心境はどんなものだったのだろうか?などと思うと、ウラジオストクの薄汚れた氷の海で魚釣りをしている人たちが、自分たちと重なって見えてきました。
”帰りなんいざ田園将に蕪れなんとす、胡ぞ帰らざる”「帰去来の辞」の有名な一説です。官職を辞して自然と共に生きる田園に桃源郷を見出した陶淵明。
帰るべき故郷があった事は私にとっての幸いです。
2005
01/09
〔Sun〕
00:00:00
◆成人式

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ロシアの休暇シーズンも一応は今日で終わり、明日からは通常の仕事に戻るはずです。
私の村では成人式をやりました。来年は町村合併してしまうので、今年が村単独では最後の成人式になります。
白人とよばれるコーカソイドや、黒人のネグロイドと比べると我々モンゴロイドは成長が遅いのだそうで、同年齢で見比べると幼く感じますし、これはまた年齢が行ってから若い大きな要因でもあります。
「危機感」と言う刺激が少ないこともありますが、日本人の20歳は同年代のロシア人と比べると、心身ともに随分若く幼く感じます。
ロシアでは成人式なるものはありませんが、18歳になると成人と認められるので、自立と思い責任がのしかかってきます。
親はさっさと子供を突き放してしまいますし、男には兵役も待っています。
わが村では今年の成人式は親が同伴。一つは村最後の成人式と言うこともありますが、この世代が中学生の頃大暴れして、事なかれ主義の自己保身ばかり考える校長が警察を呼んだために逮捕者がでる大騒動になりました。
そんなわけで騒ぎにならないようにと私も引っ張り出されたのですが、昨日の山仕事で全身痛くておきているのもだるい中でかけてきました。
今まで、何事もなく中学高校を出て、成人式でバカをやる連中はいましたが、反抗期の通過儀礼が早かっただけに大人です。見ていて安心しました。
心が壊れていて事件を起こしたわけではなく、心が苦しんだ挙句の抵抗をした連中なので、「痛み」と言う財産を持っています。
人生に限らず、何事もその道の途上に壁は必ずあるもので、それが早いか遅いかだけのことです。痛みを知らずに大人になることの恐ろしさを今の日本は突きつけられているので、若かりし頃のスネの傷も磨けば宝です。
国際カップルの成り立ちなども眺めていると同様で、結婚前に何かしらトラブルや困惑があるもので、それを乗り越えて絆が深くなっています。何事もなくすんなりと結婚に至るカップルもいますが、結婚後に必ず諍いは起こります。
異なる人格が共に生活するのですから、何事かおきても当然のことで、それを乗り越える精神的な体力が問われます。
早い段階でのトラブルは解決の道も多く、こうした機会に膿を出しておくことも重要な人生です。大切な事は現実から目をそむけないことで、逃げたあとに追ってくるのは不幸だけです。
向かい風に顔を向けることもとても大切なことです。
2005
01/08
〔Sat〕
00:00:00
◆フクロウ

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昼間、山で材木を橇に乗せて引っ張り出していました。ヒノキの枝に体調50cmはありそうなフクロウがとまって、こちらを見ていました。我が家の周りで鳴いているふくろうとは違うようで、大きさはこちらの方が若干小さく感じました。
山の反対側にはスキー場があり、夜はナイターをしているので冬になると動物や鳥が山を越してこちらに来ます。
朝、橇を引いて山の中に入ってきたとき、林の中の雪の上にウサギの足跡がありましたが、途中で消えていました。大方、夜にふくろうにでもやられたのだろうと思っていましたが、木の枝にいるのがその犯人でしょう。気がついたらいつの間にか音もなく姿を消していました。
私は飛来しているふくろうを見た事はないのですが、山仕事を生業としている人が言うには、音も立てずに頭上を横切ってびっくりしたそうです。そういえば、新幹線のパンタグラフにも消音対策にふくろうの羽の構造が応用されていると言われています。
薄暗い林の中とはいえ昼間の明るさの中でふくろうの目がどの程度見えているのかわかりませんが、私はエサではなかったようです。
大学のとき、友人がナイトスコープなるものを通販で買いました。大方公園で人間の繁殖活動の観察にでも使っていたのでしょう。
通販の謳い文句は「ソ連のスパイも使っている」でした。ソ連のスパイが公園で覗きをやっているのか?などと笑っていました。後にロシアで軍の横流し物の暗視スコープが売られているのを見かけましたが、日本の通販の覗き用スコープの方がはるかに高性能でした。
弟の嫁さんの両親が孫の顔を見るついでに年始の挨拶に来ました。
こちらのお父さんはニコンのカメラマニアで、昨年の正月まで「デジカメなど興味ない」と信念のほどを語っていましたが、今回はデジタル一眼レフのD-70をぶら下げてきました。
デジカメは孫専用、作品は銀塩写真でと今年の信念のほどを語っていましたが、およそ全ての写真が孫専用になることでしょう。
2005
01/07
〔Fri〕
00:00:00
◆クリスマス

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今日はロシア正教のクリスマス。これが終わればロシア人の感覚もそろそろ仕事モードに戻ってくるはずです。
クリスマスに浮かれないのは修道院のシスターたちだけなどと言われていますが、この年末はシスタ−たちがホームレスの子供の保護をする光景があったそうです。
日本並みとは言いませんがロシアには思ったほど宗教色は感じられません。ソビエト時代に徹底的に破壊されつくしたこともありますが、元々その土地にある土着のシャーマニズムと外来の宗教が上手に共棲している感もあります。
私の村のロシア正教の教会でもミサが行われていましたが、それだけのことで馬鹿馬鹿しいお祭り騒ぎではありません。神聖なる儀式です。
こんな辺鄙で閉鎖的な山奥で、ロシア正教の人々が認知されている理由は、彼らが排他的ではないことが大きな要因です。
地域の行事には宗教性を孕む行事も多いのですが、地域の役員などになればこうした行事にも出てきてくれますし、否定するようなこともしません。
相手を尊重すれば尊重されるのも道理です。敬意を持って接してくれた相手に対しては敬意を持ってこちらも接するだけです。
朝、ロシア正教徒の大叔母のところへ行ったら、ミサに使うパンを焼いていました。教会では司祭様が洗礼名で呼ぶそうなので、誰それの洗礼名が何と紙に書きだして確認をしていました。
「そりゃ、おめぇ。ソフィアやリュボフィなんて名前よりミヨとか朝子の方がなじみがあるべぇがな。司祭様だって間違えるくれえだから、おらんずが憶えられなくたってしかたなかっぺぇ。」と大叔母は申していました。
ソビエト時代の宗教弾圧のときに教会の部材やイコンと呼ばれる宗教画を人々が分解して家に持ち帰り、ソビエト崩壊後に持ち寄って教会を再建した話などが大きく語られているので、ロシアには熱心な人が多いと思いこまれています。
確かに、一部には敬虔な人もいますが、おおむねいいかげんで、よく言えば鷹揚です。
2005
01/06
〔Thu〕
00:00:00

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交通指導員の年始点検に行って来ました。来年からは合併した町での仕事となるので、今年が村単独では最後の年始点検でした。
地区で通学路の歩道の除雪がありましたが、交通指導員の点検を理由で途中で足抜けできました。
我々の努力とはあまり関係ないと思いますが、交通事故は減っており、今年も村内での死亡事故はありませんでした。
新潟の地震もあって今年の年末年始はスキー客も少なく、下界のほうも大雪だったために雪道対策をしていない自動車はこちらまで来ることができなかったので、思ったよりも交通事故の少ない年末年始でした。
奈良県の女の子誘拐殺人事件の犯人は年末に捕まりましたが、これからも地域で通学路の見回りなどは続けます。昔は通学路の警戒対象と言えば「熊」だったのですが、今は「人間」です。
ロシアはクリスマスイブ。特にイベントは聞いていませんが、みんなどこかへ出かけているようで、何の連絡も入りません。
私の村のロシア正教の教会では、明日、司祭様をお招きしてクリスマスのミサがあるようで、今日は掃除をしたり準備をしていたようです。
2005
01/05
〔Wed〕
00:00:00
◆再インストール

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年明け早々パソコンの具合が悪く、あれやこれやと手直ししながら使っていましたが、昨夜、思い切って再インストールしました。
動きはよくなりましたがソフトは必要なものしかインストールしていないので、これから徐々に入れていく予定です。
再インストールの画面を眺めながら、「人生を再インストールできたなら」と、さんざん遠回りしてきたことなどを思ってしまいました。
昨今話題の韓流ラブストーリードラマに定番のストーリー展開が「記憶喪失」で、記憶を失っていてもその以前に愛していた相手とまとまってめでたしめでたしです。
ウラジオストクの友人の医師が言うには、兵役で記憶喪失になって帰ってくる患者がいるけど、言葉さえ忘れてしまって赤ん坊のようになってしまう。と言っていました。そんな都合よくごく短期間のことだけ忘れるような記憶喪失などそうそうあるはずもなく、むしろ大酒飲んだ翌日の方がよほど理想的な記憶喪失になっているようです。
「もし記憶喪失になっても私は再びあなたを選びます!」と言えるのは結婚するまでで、「絶対にお前だけは選ばないだろう」と言えるのが結婚後。
縁と言うのは恐ろしいもので、記憶喪失になったあと再び選ぶのは「お前なんか選ばない」と言いつつも実際に結婚していた相手だと思うけど。
パソコンだって毎日使っていればキャッシュがたまったり、システムが部分断裂したりで動きが悪くなってくるけど、そんなときはキャッシュを清掃したり再びインストールすればよいこと。
人間長く営んでいるとキャッシュは財布から出て行くばかりですが、情けない失態と馴れ合いによる新鮮味の欠落がたまります。そんな時、再インストールのために橋から飛び降りることもできないので、旅をしたり音楽を聞いたり、映画を見たり、「感動」が浄化してくれるものです。感動の手段は手数が多いほど良いものです。
2005
01/04
〔Tue〕
00:00:00
◆クリスマスカード

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日本の正月休暇は終了しました。今年は土日のからみがうまく組み合わなかったので短い正月休みでした。
昨日、今日と比較的暖かかったので家の前の坂の雪も随分とけました。元日、子供たちが道路でそり乗りをしたためにテカテカに凍り付いていましたが、塩カルまいて溶かしました。
また強力な寒気団が日本におし寄せているようで、寒くなりそうな気配です。雪が積もったところで山からソリで引っ張り出す材木があるのでもう少し雪が積もるとありがたいのですが。
ヨルダン人の友人から手書きのクリスマスカードが届きました。東方正教会の信者ですからクリスマスカードもご法度ではないのでしょうが、意表をつかれて嬉しかったです。
結婚してフランスに住んでいたもののイラクで戦争が始まり、ドサクサに一儲けと夫と子供を連れてアンマンに戻ってきてそのままいついているようです。
アラブ諸国はロシア人でも簡単にビザが取れるから一緒に遊びに来いと書かれていました。UAEなどロシア人の買出しツアーの定番ですし、エジプトもロシア人旅行者の多い国です。
ヨルダンにロシア人?あまりなじみがありませんし、それより治安はどうなんだろう?お隣はイスラエルですし。
2005
01/03
〔Mon〕
00:00:00
◆飲みすぎ

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「今年も出ました」とウラジオストクの友人が語るのは、一杯飲んでそのまま寝込んでしまって凍死したヨッパライのこと。
「日本だって餅を喉に詰まらせて死ぬ人がいるでしょう!」変なことだけは良く知っているなと感心しながらも、同じ次元ではないと思う。
ウラジオストクで2回ほど凍死した人を見かけました。どちらもホームレスのようでした。
一度はウラジオストクの駅前で、ホテルの朝食が始まる前に散歩に行ったとき見かけました。警察官の検視も終わったようで、ボンネットトラックの荷台にポイっと投げ込まれてそのままどこかに運ばれてしまいました。
二度目は嫁さん宅の近くのキオスク街でした。日本人らしき男が死んでいる!お宅の婿では?」と近所のおばさんが顔を出したので、「何?私が死んでる?」と確認のために見に行きました。
警察官がいろいろと調べている最中でしたが、私の死体ではありませんでした。どうやら中国人のようで、不法滞在者だろうとのこと。
この二人が酒を飲んでの凍死かどうかは定かではありませんが、アルコールを飲むと一時的に体が温まるものの、結果的には体温は下がります。
新年会のシーズンが始まります。ご注意ください。
かつてソビエト共産党は「宗教はアヘンだ」と宗教を厳しく弾圧しましたが、ロシア民族に潜む悪魔「アルコール」に対しては寛容でした。
飲酒が宗教よりも優れている理由
1)酒を飲まないと言う理由で殺された人はいない。
2)飲む酒が違うと言う理由で戦争が起こった事はない。
3)判断力のない未成年に酒を強要する事は法で禁止している。
4)飲む酒の銘柄を変えたところで裏切り者扱いされない。
5)決められた酒を飲まないからと火あぶりにされたり、石ぶちの刑になったものはいない。
6)酒を売りさばくためにインチな手段を用いる事は法で禁止している。
7)次の酒を注文するのに2000年も待つ事はない。
8)酒を実際に飲んでいる事は簡単に証明できる。
ゴルバチョフ政権では飲酒に厳しく規制がかかり、宗教に寛大になったことでソビエトは崩壊しました。
2005
01/02
〔Sun〕
00:00:00

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来日予定の女性が無事ウラジオストクから到着しました。
休日返上で空港まで送り届けてくれたウラジオストクスタッフに電話をしたら、出国の手続きを見届けて帰ってきたそうです。そのことを空港で待つ会員さんに連絡したらほっとしていたようですが、肝心の飛行機が45分遅れたために、帰りの新幹線の時間が気になってひやひやしていたようです。
来る人もあれば去る日とも?と言うのはおかしな言い方ですが、知り合いの奥さんは実家で1月7日のクリスマスを過ごすために、今日、女性会員が乗ってきた飛行機の帰りの便に乗って里帰りしました。
ウラジオストク便は木曜日はピョンヤンからの便を待って遅れることがよくあるのですが、日曜は比較的時間通りにフライトしています。
向こうの友人に言わせれば、国際線、どれも日本に行く便は時間に正確なほうで、国内線など2時間3時間後れることなど当たり前だとか。
4年前の正月明け、大雪で新潟空港が封鎖になったことがありました。結婚式と婚姻手続きに行っていた会員さんが帰ってくる予定でしたが、結局飛行機は欠航になりました。
私は雪の中自動車を飛ばして新潟空港に会員さんを出迎えに行っていましたが、中国人とロシア人の違いを見ました。
中国人は大挙してカウンターに押し寄せ苦情を怒鳴りたてていましたが、ロシア人は誰一人文句を言うでもなく感情を押し殺すでもなく他のことに興味を向けながらじっと待っていました。
どちらも日本人のように理詰めで考える国民性ではないのですが、ダメ元でもなにか一言言いたい中国人と、天災と上の決めたことには逆らわないロシア人の違いを感じました。
今まで男の子しか生まれていなかったハルビンの会員さんたちにも女の子の誕生がありました。年賀状を見て驚きました。
今年お子さんが生まれる会員さんからは写真添付のメールが来ました。だいぶおなかが大きくなっている様子がわかりました。
今年は奥さんが自動車免許に挑戦するとメールを下さった会員さんもいます。
「異文化を乗り越える」と書くと簡単なようにも思えますし、大げさにも見えることでしょうが、お互いが信頼しあって努力をコツコツ積み上げて家庭を作り上げています。尊敬すべき方々です。
2005
01/01
〔Sat〕
00:00:00
◆除夜の鐘

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あけましておめでとうございます。
大晦日の晩はお寺の世話役仕事で、除夜の鐘の手伝いをしてきました。百八つなどと細かい事は言わず、参拝した人には鐘を突いていってもらうので、300くらい鳴り響いたのではないでしょうか?
屋内でのお札配りを予想してきたので、防寒対策を施していきませんでした。山奥の禅寺なので、気温も氷点下二桁です。それでも、外の方が退屈しなくて良いので、喜んで飛び回っていました。
私など煩悩のかたまりですので、子供たちが来ると「こうやって突くんだだよ」と、職務権限の横行とどさくさにまぎれて30くらい鐘を突いたと思います。
その祟りなのか、帰路につくころには膝の古傷が痛み出してきたので、そのまま我が家の近くの共同浴場に直行しました。ただでさえ熱い温泉ですが、体が冷え切っていたのでいつも以上に熱く感じました。
夜中の3時でしたが、初詣帰りの人たちが風呂に飛び込んでくるのでにぎやかでした。
いつもと変わらないような一日ですが、とりあえず年はあけました。