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ノルウェイの森

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5531c.jpg お父さんの病気治療で北京にいる西郷ドンから久しぶりにメールが来ました。村上春樹の小説に夢中になっているようです。村上春樹はロシアで絶大な人気を誇る作家ですが、中国でも好まれているようです。

 今読んでいるのは「ノルウェイの森」だそうで、ビートルズの「ノルウェイの森」はどんな曲か知らないけれど、昔のガールフレンドのことなどを思い出しながら読んでいるそうです。

 ビートルズのノルウェーの森が流行ったのは1969年ごろだと思いますが、そのころ中国は文化大革命の真っ只中でした。なんていうと彼らもつらいでしょうから、20歳のときの恋を18年後に思い起こす私小説として読んでいるのでしょう。
 ホントはねぇ。この小説のような恋愛もしてみたかったんですよ。相手になってくれる女性がいなかったことが全てです。思い起こすとふられたことばかり。
5531d.jpg 「時間」の浄化能力によって美しくなるとはいえ、過ぎた時代というのはどうしても殺伐として思えてしまうもので、「何であの時」と思い起こしては同じ失敗を繰り返しています。

 20代前半のころはやりたいことはたくさんありましたが、どうにもならないもどかしさで面白くなくていらいらしていましたが、その倍の年齢になるとあの当時の自分では何もできなかっただろうなという愚かさばかりが思い浮かんできます。10年、20年後、今の自分がまた未熟に見えてしまうことでしょう。人は常に成長しています。

 35年前の1970年、私が小学生だったころに大阪で万国博覧会がありました。
 万博会場の地下にタイムカプセルを埋め込んで、何年か後に掘り返すというイベントがありました。まだ掘り返されていないと思います。

 そのころ、サンヨーだったと思いますが、カラーテレビを買うとタイムカプセルがもらえるというキャンペーンをやっていました。
 担任の教師がそのテレビを買ってタイムカプセルをもらい、クラスの児童たちが、いろいろなメッセージや将来の予想などを書いてタイムカプセルに入れ、21世紀になったら掘り出すことになっていました。
5531a.jpg 誰もがそんなことを忘れて20世紀も終わるころ、同級生の女性がそのことを思い出し、タイムカプセル探しをしました。
 男子がその場所を知ると掘り起こすからと、女子児童の代表が2−3人手伝って学校の隣の丘のどこかに埋めました。こういうことになると”斥候”に出るやつが必ずいるので、どこに埋めたのかはうすうすわかっていました。

 ところが、10年前に小学校が立替になり、かつて丘になっていた土地が平らに整地されてしまいました。
 タイムカプセルの話を思い出して生めた場所を探したのですが、どう考えても今は校庭のど真ん中になっています。

 改築の際にタイムカプセルはどこかの土捨て場に運ばれ、文字通りタイムカプセルになってしまった模様です。
5531b.jpg この時代に会えて地元の材木を使って木造校舎を建てたにもかかわらず、幼稚園は数年で廃止になり統合。小学校ももうすぐ統合されてなくなります。
 少子化でこうなることはわかっていたはずですが、ひも付きの予算が出るとすぐに先のことなど考えず飛びつく無計画な行政。呆れてものも言えません。
 今度は統合する小学校を新築などと馬鹿なことを言い出しています。まさにソビエト末期です。
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アンパンマン

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 元大関貴乃花の二子山親方が癌のために55歳で亡くなりました。たまたま気の見たスポーツ新聞に息子の横綱貴乃花の談話が出ていたのですが、”良くなるとか悪くなるとかそんな状態ではない”と書かれていたので、もう秒読み何だな思っていました。

 フィリピンの元日本兵の話もだんだんガセネタっぽくなってきて、領事館も面会をあきらめてマニラに戻った模様です。
pianoman1.jpg ウラジオストクのやり取りのなかで、ピアノマンの話題になったのですが、ロシア人という説も出ているというと、「あの容姿はロシア人ではありません。スカンジナビアかイングランドの顔つきです。」と言っていました。

 ロシア人か北欧の人か、微妙な顔つきなどの違いは良くわかりませんが、日本人の顔つきならわかります。私が思うに、ピアノマンは日本人の顔つきではないと思っています。

 金曜に船で富山を旅立った友人の奥さんとお子さんは、昨日ウラジオストクの実家に到着したそうで、ウラジオストクの実家で娘さんがお気に入りのアンパンマンとバイキンマンの人形を見せて自慢しても、向こうでは放送していないので誰もわからないもようです。
 価値観が違うということは悲しいことで、名刺ちらつかせて誰にも相手にされない惨めなオヂサンが時折いますが、3歳の子供と同じだったのかと感心しています。
5302.jpg もうすぐ2歳になる私の甥もアンパンマンに夢中で、日々アンパンマンボケの生活をしています。”アンパンマン”という言葉が発音しやすいのか、喜怒哀楽を”アンパンマン”の強弱で表現しています。

 今日は仮面ライダーになっていたので、変身のしかたを教えました。正義のヒーローは今日、予防接種で仮面ライダーのヘルメットをかぶって出かけていったものの、注射を見るなり逃げ出してひと騒動やらかしたようです。
 私は幼少のころ”忍者部隊月光”に入る予定でしたが、ヘルメットかぶって刀に鉄砲などぶら下げた写真を撮られてしまいました。
 
 ロールパンナちゃんやメロンパンナちゃんなど女性のキャラクターは、妹の領域だと考えているようで、女性キャラの人形は妹(生後2ヶ月)のところにもっていくのですが、価値観が違いますから相手にしてもらえないようです。
5301.jpg 姪はこの2−3日、一人三交代24時間勤務で夜中に起きているようで、弟夫婦は振り回されています。
 弟の嫁さんのおばあさんの葬式の直後に生まれたので向こうの親戚は”生まれ変わり”と言っています。おばあさんと同じ日にヨハネパウロ二世が亡くなっているので、チベット仏教ならダライラマ15世の候補でした。残念!

 夜、友人から電話があり、奥さんの友達をHPで紹介したいという話になりました。
 昨年もその話は来ていたのですが、軍人(女性ですよ)でチェチェン紛争に出兵していたので、話は立ち消えになっていました。
 今は戦地から無事戻ってきているようなので、写真などが届いたら特別紹介をしようと思います。
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メガネ

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 朝、中学時代の先輩が、「手直しして、送ってくれ」と手書きの同窓会会報の原稿を持ってやってきました。
 ワードで打ってメールに添付して送るだけですが、その手書きの原稿の文字の汚いこと汚いこと、私も自分で書いた字が自分で読めなくなるような悪筆ですが、自分の文字がまともに思えるほどの悪筆。

 当人のいるうちにわからない文字について聞いておこうと思い、その場で目を通して、数箇所「ここはなんて書いたんですか?」と聞きました。
 かばんからめがねを出して自分の原稿に目を通して、なんて書いたのかを教えてくれました。

 一通りチェックが終わってから、「この遠近両用めがねは見やすくていいぞ!」と差し出すのでちょっと借りてみたらよく見えるのでびっくりしました。
 なるほどよく見えますね。というと、「お互い老眼鏡が必要な歳になったってことさ、お前さんも見栄張らないでめがねを作れ。このくらいの大きさの文字なら楽に見られるぞ。」。
 文字の大きさではなく、文字の役割をなしていないあんたの書き方が問題なので、見えないのではなく読めないのだ!と言いたかったのですが、確かに見やすい!と感心してしまいました。
 20代のころは近眼で元凶をしていましたが、うっとうしくてなじめず、こちらに戻ってきたのを機会にメガネをやめて極力裸眼ですごしていました。
 老眼も入り込んできているようですし、この機会にめがねを作っておこうと出かけることにました。
raf1.jpg 昼過ぎ、隣町のパリ・ミキにめがねを作りに行く途中、利根川でラフティングをしている一段を見かけました。
 観光客をゴムボートに乗せて川くだりするレジャーで、オージーやニュージーランド人が船頭さんをやっています。
 到着地点に着くと、客をゴムボートをワゴン車で運ぶので、その自動車には良くすれ違いますが、川を下ってくる光景はタイミングよくないとなかなかお目にかかれません。この季節は雪解け水で川が増水しているので川くだりも豪快です。
raf2.jpg 10年ほど前ですが、風倒木をチェーンソーで削ってカヤックを作り、湖の上流の川に浮かべて実験をしました。
 結果、カヤックは沈んで私は岸に泳いで上がったものの、カヤックは鼻先だけ水面から顔を出したまま湖のほうへ流れていきました。

 あれから行く年月、湖の下流のダムには流木博物館なるものができ、湖に流れ着いてきた流木で作ったモニュメントが飾られています。
 幸いなことに私の作ったカヤックは博物館ができる前だったので、誰かが拾って薪にでもしたようです。
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友来たり

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昨夜、関西方面から友人が訪ねてきました。里帰りする奥さんとお子さんを富山の港でウラジオストク行きの船に乗せ、その足でこちらまで出向いてくれました。
 奥さんに内緒で買ったパソコンを私の家に送りつけ、いわば、ブツの引取りです。奥さんたちが戻ってくる秋までは自由の身になったのでおもちゃで遊ぶようです。奥様里帰りの間はゆっくり羽を伸ばして日本食を食べるそうです。

 朝6時半に出発して、船に乗せるまで一苦労し、こちらに到着したのは夜9時半。ずいぶん疲れたようで、昨夜は我が家の猫と一緒に寝ていました。

 結婚するまでは母親任せだった家事も、結婚後はしっかりと奥さんに仕込まれたようで、食後の皿洗いはもちろん、子供のおむつ交換から洗濯まで、家事をしっかりこなせる「自立した男」に育ててもらったようです。母親が40年近くかけてできなかったことを2−3年でそこまで育て上げたロシアの奥さん。やはりご立派です。
donkey.jpg 昼間は友人と一緒に今日はこのあたりいったいを散策したのですが、大学教授宅のロバを写真に収めていました。
 ロバというのはもともとそういう性格なのか、いつ行っても疲れて何か考え込んでいるような様子で、はつらつとさわやかで前向きに生きているような姿をほとんど見かけません。教授宅のロバは2頭いますが、どちらもいつ見ても何かに耐えているような不憫さをかもし出しています。

 そういえば英語の汚い言葉には”Kiss my ass!”など”を用いた言葉がたくさんあります。"ass"には「ケツ」や「バカ!」といった侮蔑的な意味のほかに"ロバ”という意味もあります。

 ロバが馬鹿にされるのは生き生きしていないからなのかな?と感じました。
 なんだかんだと楽しんでいるのですから、私たちはロバではない!
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泳ぐ

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 フィリピンのミンダナオ島で旧日本軍の兵士らしき人物が二人生活しているという情報について、大使館が本腰を入れて調査を開始しました。
 長崎県の男性が、現地で材木商を営む奥さんからその情報を仕入れてのがきっかけのようです。”現地で材木商を営む”?、日比カップルだろうか?

 戦後60年。小野田さんがルバング島で発見されてから30年、あのとき「もう生き残っている日本人はいないだろう」といわれていましたが、たいしたものです。

 反政府ゲリラの拠点で生活しているようで、政府も手をこまねいているようです。
 私の友人がフィリピンのイスラムゲリラの拠点で野生の鷹の撮影に行ったとき、途中まで政府の軍隊に同行してもらって、そこから先はイスラムゲリラに同行してもらって山の中の撮影地に行ったそうです。「正規軍からゲリラまでスムーズに引き渡されたけど、およそ内戦状態には思えなかったな。」とのんきに話していました。

 人の振り見て何とやら…。24日の日記でウラジオストクでハイヒールをはいて怪我をする女性たちを笑っていたら、天罰が降りかかりました。
mose.jpg 早朝、大雨が降りそうなので田んぼの水を減らしに行きました。ところが、あぜの草で足を滑らせてドボンと田んぼの中に落っこちてしまい、びしょぬれの泥だらけで、近くの沢に寝転がって泥を洗い落としました。

 こういうときに限って事の成り行きを見ている人がいるので困ります。「なんでぇ、もう水泳の季節になったんかぃ。若けぇ人はつえぇなぁ。」と冷やかされました。まだ水はびっくりするほど冷たかった。

 ウラジオストクの友人は今頃の季節に海に行って、気温18度の中海水浴をしたと言っていました。寒中水泳ではありませんが、およそまともな感覚とは思えない感覚です。
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鶏肉

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 10年前、イルクーツクのインツーリストホテルにチェックインしたとき、フロントのマネージャーが超早口の英語で説明するので”チェック・イン”が”チキン”に聞こえてしまったことがありました。昼飯前だったので頭の中では焼き鳥が浮かび上がり、マネージャーの説明が耳に入りませんでした。

 ロシアで”肉”といえば牛肉で、市場で売られているのも牛肉主体です。
 以前、友人たちとバーベキューをしたとき、日本のシャシリク(焼き鳥ですそれも塩味の)を作ると鶏肉を買いに行ったのですが、タイから輸入された冷凍物の鶏肉でした。あの寒さでは養鶏も難しいと思いますが、意外なことに世界最大の鶏肉輸入国はロシアなのだそうです。
chickens.jpg 一頃はUSAからもずいぶんと鶏肉が輸入されていたようですが、最近はブラジルものが多いようです。
 もちろんロシアにも養鶏業者はありますが、価格的に外国からの輸入物に押されているようです。
 自由市場などに行くと地元農家が持ち込んだ生の鶏肉を手に入れる事ができますが、コストは多少高くなります。
 あまり鶏肉料理を見かけませんが、最近はロシアでも牛肉よりも健康に良いと鶏肉に注目が行くようになってきたようです。

 ロシア人は太るという思い込みが日本では強いですが、中年以降それなりに肉付きがよくなり、ぽってりしてくるのはどこの国でも似たようなものです。

 日露カップルの友人。奥さんに内緒でパソコンとプリンターをオークションで競り落とし、とりあえず私のとこに送ってもらい、奥さんが里帰りしてから引き渡すという手の込んだ買い物をしました。
 今朝、荷物が届きまして、後日夜霧の埠頭でブツの引渡しです。

 以前、中学時代の先輩がへそくりでゴルフ道具を買い、奥さんには私からもらったとうそをついていました。
 たまたま彼の奥さんにばったり会ったとき、ゴルフ道具をもらって夫が喜んでいることや毎日外で素振りして練習しているとお礼をいわれ「何のことかな?」と首を傾げました。
 私はゴルフなんてやりませんしやったこともありません。道具なんて持っているわけもありません。「さてはへそくりでなんか買ったな!」と察したので、口裏を合わせました。
 話の様子では私とよくゴルフに行っているのだそうです。困った人だな!と思うものの、奥さんの実家に住んでいるマスオさん生活の人なので、ご機嫌を損ねるわけには行かず、「こちらのほうがお世話になってるんですから…ハイ」

 国産カップルも国際カップルも同じなんですね。
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ロシア製

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key2.jpg パソコン環境を少々改造しまして、ロシア語のキーボードと日本語のキーボードが使いやすいようにしました。
 ロシア語のキーボードを日本国内で入手することはなかなか難しく、時々秋葉原などに出るようですがいつの間にか売れ切れてしまいます。我が家で使っているキーボードは奥方里帰りのときに買ってきてもらったものですが、キーの動きが渋くて文字をたくさん打つと指がおかしくなる思いがします。
 ロシア仕様のキーボードといっても中国製です。

 日本語環境のキーボードでもロシア語入力はできますが、キーにキリル文字がかかれていないので、最初のころはキーの配列を紙に書いて画面横に張って入力していました。
key1.jpg ウラジオストクではキーボードに貼り付けるキリル文字のシールがあり、日本や韓国から持ち帰ったノートパソコンなどにはキリル文字のシールを張って使う人も多いです。
 一度そのシールを買ってきてキーボードに張ってみたのですが、順番を間違えて収拾つかなくなりました。
 Win95の時代はアップデートでキリル文字のフォントを入手して、エンコードなど苦心しながらキリル文字でのメールのやり取りを模索したものですが、最近はそれほど苦労もいらなくなりました。

 ウラジオストクオフィスから日本でアメ車(ジープ)の中古車を買った人の情報が入ったようで、左ハンドルの自動車を日本では登録できるのか?と質問してきました。
 外車イコール左ハンドルと思い込んでいる人も多く、日本と同じ右ハンドルの英国車をわざわざ左ハンドルで乗っている人もいます。
 昔、ワーゲンの左ハンドルに乗ったことがありましたが、路肩いっぱいに駐車するとドアを開けられなくなるので不便だなと思いました。歩行者に道を聞くときには便利でしたが。
 ウラジオストクでは日本の中古車ばかりなので右ハンドルが主流、左ハンドルだと運転感覚がおかしくなるそうです。

 今度トヨタがロシアでカムリを生産するので、左ハンドルの日本車が増えるだろうというと、「たとえトヨタでもロシアで生産したものではだめなんです。日本で作ったものでなければ。」

 ボルガを日本に正規輸入すれば買う人も多いと思うけど。まだソビエトだったころ個人輸入して乗っていた人が何人かいて、自動車雑誌で見ました。医者や会社社長など社会的に高い地位の人たちでした。というと、何でわざわざボルガなんか乗りたがるんですか?信じられない!プーチンだって乗っていないですよ!

 ロシアで成功したらボルガに乗るという法律を作ればいいじゃないか!というと、「そんなことしたらお金持ちがみんな亡命しますよ。
 社長はトヨタのビッツに乗っているので、君もそろそろボルガに乗ったほうがいいんじゃないの?というと、ボルガに乗るくらいならこんな仕事やめてやるといきまいていました。
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風土病

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 ウラジオストクのオフィスに電話して、ウラジオストクで蔓延している風土病について話し合いました。既に二人の女性会員が被害にあっています。
 その風土病と言うのはハイヒールこけて捻挫、骨折で、ただでさえ坂が多くしかも歩道は細かな段差が多く舗装にひびが入っている、さらに夜は街頭が少なくどこに段差があるかわからない、などど、風土病の予防対策ができていません。

 WHOに提訴しなさいと薦めると、風土病の原因は市の建設局が働かないからだと言うことになりました。
 
 その昔、馬車の多いヨーロッパでは道端に馬糞が落ちていることも珍しくなく、ハイヒールは馬糞を踏まずに道を歩くために大いに役立ったそうです。
 舗装がはげて水溜りの多いウラジオストク。ハイヒールの踵で水溜りを濡れずに渡れるとかで「必需品」とか。それなら日本から下駄持っていってやろうか?近所に下駄屋さんもあるし。
 私たちはなん世代にも渡ってハイヒールを履いてきているので、昨日今日ハイヒールを履きだした日本人とは違います!といいながらしっかり転んで怪我をしています。

 ウラジオストクでは大学の卒業試験のシーズン。就職状況は厳しいようです。日本のように学校が就職の世話などしませんし、個人が各々の力で道を開かなければなりませんが、良い就職口は少ないそうです。自分を積極的に鼓舞してアピールできないとだれも見向きもしません。
 「男の人は軍隊に行けばとりあえず何年間かは生活できる。」と女性は言いますが、男性にすれば「簡単に言ってくれるな」と言ったところでしょう。兵役から帰ってくれば重要なポストは女性たちが占領し、勤務先がないと言う状態になります。
mint1.jpg 畑のあぜ道の雑草。よくみると一面ペパーミントです。

 健康ブーム、ハーブブームとやらでこのあたりでもプランターでハーブを育てている家庭はたくさんあり、種がどこからか飛んできて増えたのだろうか?延々数百メートルにわたって畦の雑草としてミントが席巻しています。
 地下に根がびっしり張るので想像以上に繁殖力が強いようで、ミントの勢力に圧倒され、他の雑草が生えなくなってきています。雑草がハーブになったのか、ハーブが雑草になったのか?ハーブの持つ生命力の強さを分けてもらうのが私たち人間。
mint2.jpg 鎌で一抱え刈り取ってきて風呂に入れてミント風呂にしてみる予定です。

 我が家の周りにもペパーミント、スペアミント、アップルミント、パイナップルミントなど群生しています。
 私が買ってきて植えて、翌年になるとどれが雑草でどれがミントなのかわからなくなってしまい、また次のを買ってきて植えて、さらにまたその翌年…。 
 植えたときはおぼえてるのですけど冬を越すとすっかり忘れています。気がついたら増えています。

 手間隙かかる植物を育てることも楽しいけれど、ありがたいのは、こうして強くたくましい植物です。
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赤城山

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akagi1.jpg 今日は写真マニアの地元のお年寄りのお供で赤城山に行ってきました。標高1400mの沼ですのでまだ早春の様子でした。平日なので人気も少なくのんびり過ごせました。
 山の上にはヤシオツツジが赤く彩りを放っていました。

 お年寄りにすれば、なかなか外に出る機会がないので喜んでもらえたのは嬉しいことです。
akagi2.jpg ついにここまで来たか!とおどろいたのは、80歳になろうとするおじいさんが一眼デジタルカメラのキャノンイオスキッスを持ち歩いていることで、「マイクロドライブよりコンパクトフラッシュの方が書き込みがスムーズで良い。」などと話題にしていました。

 パソコンでツツジの花とおばあさんをコラージュして画像を作るのだそうで、達者と言うべきか「病んでいる」と言うべきか?80才近くになって妻をモデルに写真をとっているのですからうらやましくもありました。
akagi3.jpg  昼飯を食べて帰ってきただけですが、このところ連日なので家に帰るとぐったりしました。帰ってきたら田んぼの稲の様子を見に行く予定でしたが、雨も降ってきたので「後日、日を改めて」になりました。

 日露カップルの友人からビデオが送られてきました。先週ドサクサしていて見られなかった12ch系のスペシャル番組の録画を送ってもらいました。
 レストランやケーキ店などを経営する国際カップルの特集でした。日露カップルは出ていませんでしたが、知っているカップルが出ていました。
akagi4.jpg 出演していたカップルの外国人男性が、「気が会うと言うことも大切だけど、間が会う事がもっと大切」と言っていました。
 これは確かにいえることで、人それぞれ喜怒哀楽あるものですが、お互いの感情が接触するタイミングが悪いと国籍など関係なく火花が散るものです。それほど近くにいるものです。

 メール交換中に崩れてしまう組み合わせも、そのほとんどが「間のすれ違い」。お互いのペースの違いが心のすれ違いを招きます。
 「間」と言うのは人それぞれで「間」の悪さが「魔」を呼ぶことも多いものです。「マニュアル」ではままならない問題です。
akagi5.jpg 10年先、20年先、どんな夫婦でいられるか長い道のりですが、気があう、間があうなどお互い作り上げていかなければならないことでしょう。

 趣味ってものはいいもんだなぁとしみじみ思いました。
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迷子

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takasaka1.jpg 昨日迎えに行ってきた埼玉県の川口のお客さんを送って再び埼玉県に行ってきました。

 関越自動車道の高坂サービスエリアで近隣の特産物などのフェスティバルをしていました。
 高速道路のサービスエリアでお祭り!面白い事を考えるものだと感心しつつ、こちらも楽しんでいました。

 最近の東京では大道芸に路上営業の資格を与えて、道行く人にパフォーマンスを見せるようになったそうですが、このところ頭がロシア人化している私はこういう事は大歓迎です。

 最初、ホンダの新型ロボットかな?と思ってしまったパントマイム。煙突をかたどった銭いればこと、マラカス。マラカスを鳴らすと踊りだすピエロ。小銭を入れるとお辞儀をします。子供たちに混ざって楽しんでしまいました。
takasaka2.jpg 雨は降らなかったものの無視暑い日で、もとよりこちらから下界に下りると暑さでぐったりしてしまいます。
 よくこの暑さの中で汗もかかずに演じていられるなとピエロに感心しつつ、いろいろなブースを見て回りました。

 サービスエリアの有効活用は今後の道路公団民営化の大きな課題でしょうが、参考になるモデルケースかもしれません。

 観光地ではない土地のことなどあまり知る機会がありませんが、近隣の町の観光企画課などがブースを開いて宣伝していました。
takasaka3.jpg 何のキャンペーンかわかりませんが、ぬいぐるみも登場していました。周囲に何もそれらしきプラカードもパンフレットもなかったので、ただ単にぬいぐるみが出ていたのでしょうか?この熱い中大変な仕事です。なんか、妙に疲れてだるそうなぬいぐるみたちでした。

 ぬいぐるみの背後にオートバイの集団がいますが、横浜ナンバーでした。この中の1人が農産物直売のブースから白菜を買ってきて、「安いからみんなも買ってけよ」と、雨合羽で白菜をくるんでバイクの後に縛り付けていました。
 生活観あふれる家庭的なライダーです。
takasaka4.jpg フリーマーケットのバザーもやっていました。目が行ってしまったのは仏具の展示販売で、高速道路のサービスエリアで手作りの仏具を売るなんて、すごい発想だと感心しました。万一の事故のときに木魚を、高速道路はスピードを出しますから備えあれば???

 「官」の権化のような隔離された高速道路ですが、たくさんの人たちの発想が集まると面白い空間です。

 前日は近くの大学のブラスバンドがコンサートをやったそうで、音が多少うるさくても苦にならない高速道路ですから、ロックフェスティバルなども面白いかもしれません。集まる人たちのマナー次第ですが。
takasaka5.jpg 川口、浦和と何箇所かまわって乗客を下ろし、あとは国道17号バイパスに乗れば家にたどり着けると気が楽でした。

 さいたま市内の17号バイパスを走行中、背後から救急車が来たのでバスを左側に寄せて停車し、救急車をやり過ごしてから左車線を走行していました。
 ふと、気がつくと走っているのが16号線になっていて、進行方向に「春日部・栗橋」の表示が。
 北へ進んでいたつもりが東に向かっていました。引き返そうにも回れるような場所もなく、比較的大きな交差点を左折して進路北西を目指して進みました。
takasaka6.jpg このところカーナビに頼り切っていたので、地図や方向の感覚が鈍くなっていました。

 北本市の看板が見えたので。たしかJRの上越線(高崎線)に北本の駅があったから方向的に間違いないと、そのまま進んでいくと、桶川市に入りました。ここも上越線駅があったなと安心して走っていると、ほどなくさいたま市の看板が出現しました。
 北に向かっているつもりが南に進み、逆戻りしていました。

 さいたま市といってもどうも昔の大宮市だと思うのですが、曇り空で秩父の山は見えないし、昨日は持っていた地図を今日はおいてきてしまったので、グルグル苦労して帰り道を探していました。
takasaka7.jpg とんでもないところに迷い込んでしまったと四苦八苦していると携帯がなり、停めて電話に出たくても停車できる場所もない。

 やっとこ、コンビに近くの歩道の上にバスを半分乗り上げてリダイアルすると、今日ウラジオストクから来日した女性を新潟まで迎えいに行った会員さんからの電話でした。
 無事到着し、新幹線に乗り込んで今動き出したところだと聞いてほっとしました。

 本来こういうときに何かに備えてパソコンと電話の前にいなければならないのですが、以前からくまれていた予定と重なってしまったために、昨日のうちに会員さんには携帯のほうにお願いしますとメールをしておきました。

 ところで私は今どこにいるのでしょうか?と会員さんに聞きたくなるような心情で、さいたま市内をさまよっていました。
takasaka8.jpg なんとかやっと東松山までたどり着き、高速に乗って家に帰る事ができました。
 事前に地図を頭に入れておけばよかったのですが、今までの慣れがあるものでついつい油断してしまいました。

 日本人でさえ迷子になるのですから、外国人などなおさらと心配になりますが、彼女らは彼女らなりに大人ですし、自分の枠を超えたような行動もしません。戻れないようなところには行かないので、散歩や買い物から少しずつ土地勘や行動範囲も広がっていくものです。
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川口

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kawaguchi1.jpg 猿ヶ京の旅館にマイクロバスの運転を頼まれて埼玉県の川口市に行ってきました。
 4月から予定されていた仕事ですが、昨日まで新潟の川口町だとばかり思い込んでいました。このあたりで「川口」といえば新潟の川口で、昨年の地震以降何回も出かけているので、てっきり新潟だと思い込んでいました。
 昨日旅館に場所を聞きに行って「そうだった!世間一般に川口といえば埼玉だ!」と慌てました。
 何回も足を運んで土地勘があるのは新潟の川口で、昭和55年に行って以来、25年も足を運んでいないのが埼玉の川口。地図を広げて場所やルートを確認しイメージしました。
 練馬インターから外環道がつながっているのでほとんど一本道ですが、この外環道路が曲者で、出口だけのランプや入り口だけのランプがあり、以前ディズニーランドに行ったときにうっかり出口のラインに入ってしまって降りてしまったこともありました。何とか無事に到着しました。
kawaguchi3.jpg 中学のときに学校の映画鑑賞会で”キューポラのある街”を見て感動した事がありました。私が生まれた頃の話ですが、吉永小百合演じるジュンが自分と同世代で、貧困と進学の狭間で苦悩し自分の生き方を作り上げていく姿に頭が下がる思いがしたものです。

 在日朝鮮人の北朝鮮帰還運動のことなども描かれており、映画よりも早船ちよさんが書いた原作本の方がそのあたりを細かに書いています。
 川口駅で北朝鮮に帰還する人たちを北朝鮮国旗や「帰国者集団」と書いた旗を振って見送る映像が映画”キューポラのある街”にも出ていたと記憶しています。
 ジュンの弟タカユキと在日朝鮮人のサンキチの会話に「今より貧乏になりようがないものな」とすごい会話が出てきます。

 ミーハーなものですから、駅も散策してきました。ホームを眺めて感慨深い思いを味わっているのは私くらいのものでしょう。
 駅では熊本特産品展示会や上州特産展示会などが催されていました。
kawaguchi2.jpg ここから今の日本がスタートしているんだなと感心し、北朝鮮が地上の楽園に思えたのは時代のいたずらで、「ここにいるよりは」と思わずにいられない息苦しい時代があったんだ。と、さらに感心。
 
 昭和55年に来たときはオートバイで荒川のほとりや狭い路地などを走って”キューポラのある街”のかけらを探したものですが、マイクロバスでは身動きできません。駅で映画のシーンを思い出すのが精一杯でした。

 最初からこちらの川口だとわかっていたらビデオ見て本を読み返していたものを、2−3年前にBSで”キューポラのある街”シリーズを放送して全てビデオに録画してあったのですが。仕事に趣味を織り込むのが私の悪い癖かもしれません。
 ”キューポラのある街”の監督浦山桐郎さんと吉永小百合さんは後にNHK連続ドラマ”夢千代日記”を作りますが、これがまた後ろに引かれるいい映像と物語で、ミーハーだから兵庫県美方の温泉町まで出向いて行った事がありました。

 作者の早船ちよさんは岐阜県の出身で、自伝的小説「峠」にこんな一説があります。
 「峠に立つと
 見えなかった風影が
 ひらけてくる。
 川ぞいの村、森、遠い町…
 そこへいく ひとすじの道…」
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戦車

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tank1.jpg 写真はロシアの戦車です。
 東京の六本木に自衛隊の装甲車が出現したと新聞に出ていました。映画「戦国自衛隊」の撮影だとか。東京の都心に自衛隊の車両が出現する事は稀有なことですが、どこの国でも都心で軍事パレードは当たり前のこと。確か昔は六本木に自衛隊の施設があったと記憶していますが、今は米軍海兵隊と田舎者のたまり場です。

 「戦国自衛隊」は二十数年前に話題になった映画ですが、軍事演習中に時空のゆがみにはまり戦国時代にタイムトリップした自衛隊が、近代兵器と戦術で戦国武将と手を組んで歴史を変えてしまおうともくろんだ映画でした。
 その頃子供向けアニメで「タイムボカン」シリーズがあり、「わがはいの歴史書では」と歴史を変えてしまおうとする”どくろべぇ”の配下のドロンジョ一味を正義の味方が阻止する漫画でした。戦国自衛隊と発想が近いと思いました。
tank2.jpg 写真はこの冬のウラジオストクの大雪のときの新聞の切り抜き。
 雪でスリップして自動車が動けなくなるのは良くあることですが、誰がどう見ても軍隊のタンクと軍人がいます。
 写真だけウラジオストクからメールに添付されてきたので、記事がかければ事態はなんだかわかりませんが、ああいうお国柄ですからなにがあろうと驚くこともありません。
 軍の通勤途中かな?

 ウズベキスタンの暴動鎮圧で民間人に死者が出ている模様ですが、その人数も2−3人説から数百人説、千人を超える説さまざまです。
 ウズベキスタンは中央アジアの弾薬庫ですからいつ何が起こってもおかしくないのですが、最近は中国で弾圧されたウイグル人がずいぶん亡命している模様です。遠からず東トルキスタン独立運動などが起こるのではなかろうかと想像していますが、ウズベキスタンにはソビエト時代に移民させられてそのまま住み着いているロシア系市民も多い土地柄です。

 友人は昨年秋にシベリア中央部の町に行くのに、ウズベキスタンの首都タシケント経由で行っています。関空からタシケント直行便が出ているそうです。
 私もソビエト時代にサマルカンドに行くためにタシケントに降り立ちました。時代がソビエト・ブレジネフ体制の次第だったこともありますが、常に監視されていて、共産党に破壊された寺院のサマルカンドブルーの壁のかけらを持ち帰ろうとしてつかまったことなど、いい思い出がないのでもう一度行こうと言う気持ちにはなれません。

 フランスで開催されたサッカーワールドカップ・アジア予選のとき日本はカザフスタン、ウズベキスタンと同じリーグにいました。そのとき北京に留学していた弟は、北京から列車で天山山脈を越えてアルマトイやタシケントに試合を見にいてきました。このとき、ウイグル人の友人がカザフスタンやウズベキスタンの仲間に連絡を取ってくれて、弟たち一行のガイドをしてくれたそうです。国境を越えて西域の連絡網ができているのだなとそのとき思いました。

 パレードや映画撮影で待ちに戦車が出て来るのは幸せなことで、人を踏み潰すために出動している地域もあります。
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ピアノマン

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 もうすぐ来日する女性会員のビザが出たとウラジオストクから報告がありました。ウラジオストクに出かける別の会員さんが書類を持って行ってくれたのですが、こうした良いタイミングに恵まれると幸いです。

 土壇場にならないと巨大なケツを持ち上げないロシア女性なので、領事館にビザ申請に行ってパスポートの有効期限が切れていることに気がつくなんて事を私も経験しています。
 ロシア人には腹が立つほど大らかな一面があり、事前準備に気を使わない人が多いので、こちらがこうした細かなことに神経質に気を使わなければならないのですが、あれこれ干渉されるようでうっとうしいようです。「そんなこと重要なの?」と開き直りもよく食らいますが、「重要だと思うよ」とやんわり答えるようにしています。

 ハルビンからは街の写真と新しい女性会員の資料が送られてきました。暖かくなって冬篭りから目覚めたようです。
 どんより曇ったハルビンの空、スモッグだと思います。黒龍江省は石油や石炭があるのでハルビンには化学工場が多く見受けられます。その排ガスと増える自動車、このところ環境は悪化の一途をたどっている模様です。

 pianoman1.jpg ある日、イギリスの海辺に一人の男が流れ着いてくる。彼は記憶がまったくなく、自分が誰なのかさえもわからない。しかし彼はバイオリンが得意で・・・近々公開されるこんな映画があるそうです。

 今、英国で話題になっている謎のピアノマン。この映画の宣伝だろうか?自分はだれなのかもどこの人間なのかもわからないが、ピアノは弾ける。
 1996年にアカデミー賞を受賞した「シャイン」と言う映画では英才教育で精神を病んで、記憶がなくなったピアニストの事を描いていますが、現実にこんな事があるのだろうか?

pianoman.jpg さすがヨーロッパだなと感心したのがこの男が英国で保護されながらもイタリア人だ、フランス人だ、いや、スウェーデンの国旗を書いたのでスウェーデン人だろう!と諸説入り乱れることで、これが日本ならいくら見てくれが似ていても中国人、韓国人、モンゴル人くらいは判別できそうな気がします。

 以前、中学生に「なんでロシアの人と結婚したの?」と聞かれて、おじさんは戦争中シベリアに連行されて、収容所を脱走しようとして崖から落ちて記憶を失って倒れていたところを、野イチゴ積みに来たロシア人に助けられ、自分が日本人であることも忘れてロシアで結婚していたんだよ。
 と、冗談を言ったつもりがマジに受け止められて困った事がありました。戦争に行っていたら今頃70代後半です。アメリカと戦争をしたことも知らない若者が増えていると言うのですから、これも当然かな?と思いもします。
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トイレ

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 カード式電話でウラジオストクに電話するようになって快適なのは、タイムラグが少ないこと。
 国際コールバックでは自分が喋った言葉がワンテンポ遅れて相手に届いているので、お互いいうことが重なってってしまったり妙な間が空いてしまう事がありましたが、それもなくなりました。恋愛中で甘い時期ならお互い何か言おうとして言葉が重なったり、何を言って良いのか間が空くことも楽しいひと時でしたが、今は用件第一。
toile1.jpg 朝、田植えの稲を運んでたくみの里を通ったときに「ションベンしって行こう」と公衆トイレに立ち寄りました。
 昨年、村が国だか県の予算で作った公衆トイレで1200万円のトイレ。悪名高き公金の無駄遣い施設に初めて入ってみました。
 噂では金箔のライオンが口を開けた小便器と、ルイヴィトンの柄が入ったショルダーバッグ風の大便器が備え付けられているといわれていましたが、普通のTOTOでした。
toile2.jpg 水周りは確かに建設費用は高くなりますが、水道はすぐ近くに本線が通っていますし、下水道も数mのところにある。
 どこにそんな予算をつぎ込む必要があったのかはなはだ疑問ですが、畏れ多くも賢くも1200万円のトイレを使わせていただきました。
 1200万円と言っても、役場職員の中堅どころを2人もクビにすれば1年で浮くのでしょうが、どちらも必要なのかそこが問題です。

 トイレといえば、初めてウラジオストクから彼女を日本に招待したときに、新潟空港から高速道を出家に帰ってきました。
 途中、パーキングエリアでトイレ休憩したのだけれど、「有料なの?」と聞かれました。日本では有料のトイレなどあまり目にしませんし、私が経験した限りでは、新宿駅に50円のトイレがあったくらいです。ロシアではトイレの中に料金係のおばさんがいます。

 無料できれいなトイレにはお褒めの言葉をいただきましたが、高速道路が有料と言うのには驚いたようです。最近はモスクワ方面に有料の高速道路ができていますが、なんで道路を走るのにお金を取るの?と不思議そうに感心していました。是非とも外圧をかけてでも高速道路を無料にしていただきたいものです。
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キツネ

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 現在日本の会員さんたちとメール交換しているハルビン女性、ウラジオストク女性、ウラジオストク男性、それぞれの特徴を見つけています。
 メールの返事が返ってくる時間は、はっきり物事を言い積極的なハルビン女性が一番早く、次いでウラジオストク男性です。催促しないとメールを書かないのがウラジオストク女性。
 いろいろ杓子定規な日本ですが、中国女性の定着率が良いのも分かる気がします。
 
 中国女性の前向きさは嬉しいのですが、私の性格では逆に気を使ってしまうので、ダラダラしたロシア女性の方が気が楽です。こうした組み合わせの妙は重要です。

fox.jpg 冬になるとロシアから流氷に乗って北海道にやってくるキタキツネはビザなしでやってきます。人間は厳しい手続きをへてロシアと日本を往来しなければなりません。
 ロシアの冬の必需品、毛皮のコートのために毎年多くのキツネがその身を奪われているのですから、ロシアでのんびりキツネを営むことも、生命の危機と向かい合わせで大変な国なんでしょう。
 ウラジオストク空港から市内に向かって程なく走った丘の中腹にあるレストランでは、外に檻がありキツネを飼っています。デートに行くにも雰囲気の良い店でバンドの生演奏などもあります。
 外のキツネの檻の中を熱い視線で覗き込む女性を背後から見ながら、キツネそのものを見ているのだろうか?それとも毛皮だけを見ているのだろうか?と余計な勘ぐりそしてしまいます。「キツネかわいい!」とキャッキャしながらその毛皮をしっかり身につけている大きなる矛盾。突っ込むと怒り出して大変なことになるので「ようござんした。ご機嫌麗しくて何よりです。」
fox2.jpg ロシアの昔話にもキツネはよく出てきますが、そのほとんどが狡猾で悪役キャラとして登場しています。
 左の絵本「コロボック」は、家を逃げ出した丸いパンのコロボックがウサギやクマと出会い歌を歌ったり上手に騙して逃げる冒険物語。ロシアのアンパンマン?
 最後にキツネに会い、歌を歌って逃げようとしますが、狡猾なキツネに「私は耳が悪くてお前の声がよく聞こえない」と言われ、コロボックはキツネの鼻の上に乗って歌おうとしたところをぺろりと食べられてしまう物語です。最後が凄惨なところがお国柄の違い?

 日本でもキツネと油揚げの有名な話があります。おじいさんが街に出たついでに家族の土産に油揚げを買って家まで歩いて帰ると、町で買ってきた油揚げがいつの間にかなくなっている。きっと山道でキツネに取られたに違いない!
 それにしてもおじいさん、御身ご無事でようございました。といった話です。

 21世紀にもキツネに油揚げをさらわれた事件が起きています。我が家の近所で。
 3月4月は歓送迎会など忙しい季節ですが、近所に住む同級生が参加した地域役員の総会の打ち上げは地元の旅館の広間で大きく開かれ、コンパニオンも呼んで盛り上がりました。

 「二次会だ!」「じゃあ、ウィンク予約しておくから、何人いく?」とコンパニオン延長して引きつれ二次会のカラオケスナックへ行ったそうです。「行ったそうです」って他人事のように言ったところで、私も運転手で一緒に行っていたんですが。
 わがはらからはコンパニオン膝に乗せ、胸の谷間やパンストに千円札押し込んで「東京ナイトクラブ」から「ロンリー・チャップリン」までデュエットして一人で大いに盛り上がっていました。

 こうした騒ぎは毎度のことですから、私は店の隅で焼きソバ食べながら早くおわらねぇかなと烏龍茶飲んでいました。

 翌朝、彼の奥さんが父ちゃんの財布を調べるとお札の数が少なくなっている。
 一応、婦人会がうるさいのでコンパニオンはよんでいないことになっているので、おひねりを出したともいえません(母ちゃんたちは百も承知だけど)。
 「父ちゃんずいぶんお金がなくなっているけど、どこでつかったん?」と聞かれ、
 「いやあ?夕べはそんなに飲んでいねぇし、そうだ!ここまで帰ってくる途中キツネに化かされたにちげぇねえ。昔のキツネは油揚げだったけど、最近は千円札もって行きやがるんだなあ。」

 キツネと油揚げの昔話はきっとこうして出来上がったのでしょう。
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庭木

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niwaki2.jpg スズランが咲く季節になりました。スズランはロシアでも多く見られる植物ですが、今までロシアでその花を見た事がありません。スズランの花が咲く季節にも出向いていたのですが、目にする機会はありませんでした。

 このあたりには昔から自生するスズランがありますが、家の庭先などで見られるのはほとんど外来品種のスズランです。
 国内原種のスズランを山から掘ってきて、お墓の周りに植えて少しずつ増やしていたのですが、ある年根こそぎ盗まれてしまいました。山菜シーズンに花が咲くので、山菜採りの仕業でしょう。標高の低い暖かい土地で良い花を咲かせるはずはないのですが、枯れずに生き残っていてくれれば。
niwaki1.jpg 私の植木の師匠はまだ三十代半ばですが、毎年見事に花を咲かせます。庭木の花なんて1年のわずか2−3週間のために他の日々があるようなもので、私など花の季節になると手入れせねばと思うのですが、花が終われば「自然のままたくましく育って欲しい」と方向転換してしまうのが毎度のこと。それでも咲くときは咲くのですから、まあいいかと思っています。
 あまりあれこれ手をくわえて不自然になっては、と言い訳しています。
 
 庭木いじりもなれない頃は興味本位であれこれと手を加えてしまうもので、翌年の花の芽を積んでしまったこともしばしばあります。庭木を自分の思うような形に育てたいといじりたがるのですが、待つ事ができないのでついつい大切な翌年の芽まで摘み取ってしまったり、木それ自体の元気がなくなったりしたものです。

 性分が育てることに向いていないのかもしれないと自己分析しているので、なすがままに木に任せて悪い芽だけを摘み取るように考えたかを変えるようにしています。時に任せればゆがんだり曲がったりしながらも木は育ちますし、それはそれで深い味わいになります。整えるばかりが味わいではありません。
 花のみならず、葉も幹もまた魅力が深いもので、全てを含めていとおしいものです。

 人もまたしかり。
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田舎暮らしの苦労

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rarry1.jpg たくみの里ウォークラリーに交通指導員で行ってきました。
 毎年3月4月5月は役などで忙しいのですが、今年はついに土日の休みが一日もない状態になってしまいました。 

 「遊びの日」と勝手に決め付けられても、遊びどころか責任背負って働かねばなりません。
 遊びの日と悠長におそろいのTシャツ着ているのは皆さん年金受給者。説得力がない。

 天気は雨が降ったりやんだりで、徹底的にふってくれれば今日一日ずいぶん楽になると願っていたのですが、小雨決行状態でした。
 
 参加するのは地元の小中学校の生徒や、家族連れで参加している人もいました。
 通過ポイントにクイズが会って、それを解きながらゴールを目指します。

 ところが、道路整理のポイントに対して、集まった交通指導員と警官の数が少なく、複数の場所を受け持たなければならなくなりました。
rarry2.jpg 私は最初のポイントにいたのですが、参加者が道路を横断して全員通過するまで時間がかかったので、次に私が受け持つポイントまで1kmを走って移動、到着して1分も立たないうちに最初の横断者が来てしまいました。

 事故もなく無事終えたのでほっとしています。

 村の消防団の大会もあって、夜は近所に住む消防団長(同級生)が村内各地の分団の打ち上げに挨拶回りに行くので、その運転手でようやく10時ごろ帰ってこられました。
 急に頼まれたので8時から12chで放送した「国際カップル」の番組を見られませんでしたし、ビデオを予約することも忘れて出かけてしまいました。
rarry3.jpg 昼時、駐在のおまわりさんと食事をしながら、私の村よりさらにはるかに田舎の駐在にこの春移動になったおまわりさんの話題になりました。
 なんでも、素朴すぎてあまりに刺激のない山奥のために奥さんがうつ状態になっているそうで、「あそこはだいたい奥さんがおかしくなって異動するんですよ」と言っていました。
 こちらのように近所づきあいでもあれば良いのですが、近所に人など住んでいないので近所づきあいなどしようもありません。
 仕事でやる事がある夫は良いけれど、やる事が何もない奥さんは気が滅入ってしまうそうです。
rarry4.jpg こうした田舎が肌に合う人なら最高の環境なのでしょうが、自分で楽しみを作り出せる人でなければ難しいでしょう。
 「楽しみ」なんてものは本来自分の感覚と、自分の発想で作り出すもので、誰かが与えてくれるものではありません。

 適度な退屈は人に考える時間をくれますが、過ぎたる退屈は「魔」を招きますので、「田舎暮らし離婚」なる新しい事件が最近私の村でも出てきています。
 新幹線通勤でお江戸方面に通勤も可能な地域なので、物価の高い東京からこちらに家を建てて住み着く人たちも年々増えています。ところが田舎の暮らしには田舎の暮らしなりの難しさがあるものです。
rarry5.jpg あまりにものんびりしていてそれが逆に不安になるようで、日ごろ仕事で街に出ている男たちはそんな事を感じなくても、日々家にいる女性は自分自身で思い込みが雪だるまになって自滅するようです。
 人付き合いが上手な人はそうならないのですが、上っ面の付き合いしかできない人たちには難しいようです。状況状況で距離感をつかむ事は感性の問題なのでしょうが。

余談ですが、車内で同級生の消防団長と昨年6月の同窓会の話題になりました。
 私が女性たちに「昔君に密かな思いを寄せていたんだけど、したためたラブレターを手渡す事ができなかったんですよ。こんなに素敵な女性になっているなんで、今思うと残念なことしたと悔いています。」とお世辞を言いながらかたっぱっしから酒を付いて歩いていたのですが、その中に離婚したてほやほやがいたんです。
 そんなこと知らないから毎度の口上を述べていたところ、なんか様子が違う。「で、今はどうなの?本当に今でもそう思ってくれる?」と乗ってくるので、「おかしい、こんなばかな事はない」とたじろいでいると、別の同級生の女性が助け舟を出してくれて、廊下に呼ばれて事情を聞き「馬鹿ね!相手を選んで言わなきゃダメじゃないの?もてないからって安心しちゃダメでしょう!」と怒られました。
 消防団長が言うには昨年の夏、先の同級生がこちらに来て私の界隈を探っていたと聞かされて、背筋がぞっとしました。
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自然

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5141.jpg 昼から"いきもの村"と言う施設で”赤谷川プロジェクト”の集まりがあり参加して来ました。林野庁や、日本自然保護協会、地元のおっさんおばちゃんなどで作られているモデル地区で、村内1万平米(簡単に言うと10km四方)の国有林で新しい時代の森林のあり方を模索するプロジェクトです。 関東森林管理局のHP
 自然保護協会のHP
 いきもの村ブログ

5142.jpg 地域内の植生や地質や動物を調査する人たちや、植林をして里山の保全をする人たち、山の中で遊びたい人たちなど、それぞれ目的は違いますし、私のように野生児もいれば研究目的の学者もいたりで、面白い顔ぶれが集まりました。

 東日本では今のことろ唯一のモデル地区になっているようで、「前例がない」と言うことでまだまだこれからの手探り状態ですが、これからの活動が注目されることだと思います。
5143.jpg 自然科学の分野を「理念」でどうこうしようとすると必ずしっぺがえしが来るものですが、最近流れが変わってきたなと思うのは、「まず理念ありき」と言う人が少なくなってきて、こうして柔軟に受け止める事ができる人が増えてきたように思えます。
 林野庁と環境省と言う相容れない水と油が手を組むようになったのですから、時代は確実に移ろっていますし、かつて営林署と呼ばれていた頃は年配ばかりだったのが、森林管理事務所になったら若手が中心になってきました。

5144.jpg 発掘現場の写真ではありません。炭焼き窯の製造途中です。
 昔はあまり良い印象をもたれなかった炭焼きも、最近は見直されてきて復活して来ました。が、後継者も少なく、プロジェクトで炭窯を作ったものの炭焼きのプロに「まったくダメ!作り直し」。
 強力な火力で高い熱にさらされるので、石を選ばないと熱で割れてしまいますし、粘土もひび割れてしまいます。炭焼きのメンバーは「これは良い」と思った石と粘土を苦労して運んできたようですが、灯台下暗しでその場にあった自然石と土が一番良かったと言う皮肉。
 昔は無理して炭窯など作っていませんから、炭窯つくりにちょうど良い土や石がある場所に作っていました。炭窯があった場所なら問題ないと言うことです。
 こうした事は経験の賜物で、本や理屈ではわからないものです。

 ロシア語で炭はウゴーリュ(уголь)。私が発音するとウゴール(угорь)に聞こえるようで、ウナギになってしまうようです。

5145.jpg 観光目当ての人寄せをしようとすると、どうしても不自然なものになりかねませんが、そこに来た人たちが楽しんで過ごしていれば「面白そう」と人はよってくるものです。
 だんだん体でものを考えるようになってきたなと思えるようになりました。

 20年も遡れば山で木を切って生活の糧を得ている人たちがたくさんいましたが、こうした人たちが少なくなってきたこともまた活動しやすくなった要因かも知れませんし、かつて山を暮らしの糧にしていた人たちほどそのあるべき姿を理解しているものです。山に後ろめたさを持たずに木を伐採する樵などいませんから。

 夕方、ウラジオストクから日本人女性と結婚を希望するロシア男性の写真とプロフィールが入ってきました。
 「渋い」「一緒に並びたくない」。ロシア女性と比べられる日本女性の気持ちがわかる思いでした。
 今まで2人資料が送られてきていますが、身長190cmクラス。ロシア人は決して身長が高い民族ではないと現地に行くと感じますが、時折背の高い人がいて、股が私の胸当たりにあるので気落ちしてしまいます。
 それでも座高なら日本人が買っているので、椅子に座れば十分太刀打ちできます。

 友人が向こうの友人たちと一緒に写した写真を見せてもらったら、日本人の方が奥に写っているのに顔は大きい。本来遠近法の理論からすれば、手前の方が大きく写るものですが、何で奥の日本人の顔の方が大きく写るのだろう?自然のあり方を根底から覆しています。ルネッサンスの波がまだ押し寄せていない。
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通信

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 ウラジオストクに滞在している会員さんが国外でも使えるボーダフォンを持っていっているので、こちらも同じボーダフォンから電話をかけたら、30分少々で通話料金の表示が2000円になりました。なるほどトレンディーでも恐ろしくて使えない代物です。
 通話料込みのプランで使っているので毎月たっぷりあまって、デポジットされているのでその範囲内でおさまっているので幸いでした。

 わたしが交際を始めた当時から比べると国際電話の通話料金は安くなっていますし、他の方法がたくさん出てきたので助かります。
 今使っているカード電話はコンビニで2000円振り込んでおけば、ウラジオストクなら200時間使えるのでずいぶん安上がりです。
 興味をお持ちの方はwebmaster@byeryoza.com までメールを下さればパンフレットを送ります。

 国際電話料金が高いと言っても、ロシアなどまだ安い地域なのだそうです。
kakeziku2s.jpg 一昨日に引き続き村で生活するベトナム人研修生のところにパソコンの修理に行っていました。
 国際電話料金が高いので、ベトナムの家族とのやり取りはインターネットでチャットを使っています。ベトナムの家族のところにもパソコンとWebカメラとマイクがあり、ほとんどテレビカメラ状態で家族と会話しているのですから、時代の先端を行っています。
 パソコンが壊れたら家族とも連絡ができないわけで、道楽の延長線上のインターネットとは事が違います。

 ハルビンの会員さんも奥さんの実家とWEbカメラを使ってチャットができる環境を作った人たちがいます。
 必要は発明の母です。
kakeziku1s.jpg 彼の部屋の中にベトナムの掛け軸が掛かっていたので写真を写させてもらいました。
 日本に来るときにお母さんが持たせてくれたのだそうです。

 ベトナム人も掛け軸を飾るのかと感心しました。なんて柔らかくて暖かい文字だろうと眺めていましたが、書かれている文字が良く見るとローマ字。ベトナムは第二次世界大戦前はフランスの植民地でした。現在ベトナムではローマ字を基本にした文字を使っています。
 その昔は漢字文化圏でしたが、現在は専門に勉強した人か年配の人でなければ漢字は読めないそうです。

 「書」「文字」を美術として昇華させたのはアジア人の感性なのでしょうが、ローマ字だって心を感じさせる絵になるのだなと感心してしまいました。
  意味や詠み方はわからなくても「ありがたい」気持ちが伝わってくるのですから、これもまた物言わぬ通信かも。
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半島便

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 雨で寒い一日でした、我が家の正午気温は12度。ストーブをつけました。
 ウラジオストクも寒い日になると昼間でも6−7度の気温のようです。

kim1s.jpg 今日ウラジオストクに向かった会員さんが新潟空港から電話をくれました。連休明けなのに混んでいて、ハングル文字が書かれた箱をたくさん見かけたそうです。
 木曜の便はウラジオストクでピョンヤン行きの飛行機とリンクするので、多いときなど半数を超える乗客がピョンヤン行きだったなんてこともあります。

 ウラジオストクの空港に着陸すると、ピョンヤン行きに乗り継ぐ人たちが先に降ります。それまで機内で待たなければならないのですが、人数が多いときは30分近くつぶれることがあります。

 ピョンヤン便は一頃プロペラ機が就航していましたが、最近はソ連製のヤク40らしき小型ジェット機が飛んでいます。最大に乗せても40人までですから、新潟から来る客の数などたかが知れているのですが、乗り継ぎを待つ時間は長く感じます。

kim2s.jpg 年々増えているのは韓国からの便で、日本−ウラジオストク間はウラジオストク航空の独占ですが、韓国便はコリアンエアラインも就航しています。

 背後のツポレフ154はダグラスなどに見られるタイプでエンジンを後方に積んでいますが、コリアンエアラインのボーイングは主翼にエンジンがついています。

 地図の上で見るとソウルからウラジオストクの距離が、新潟−ウラジオストクよりも短く見えますが、飛行時間は30分ほど早く新潟便の方が早くつきます。理由は韓国便が北朝鮮を大きく迂回してくるからだといわれています。

 ウラジオストクでの私たちは外国人ですが、韓国人も外国人です。勝手が違って戸惑っているところなど妙に日本人に似ているので面白いものです。

 ウラジオストクも日本とはまったく異なる外国ですが、なれてくるとそうした感覚もなくなってきます。距離的に近いこともありますが、何より知り合いができるという距離を一気縮めてくれるものです。
 最後に問われるのは「人」で、「ロシア人」、「日本人」といった枠組みなど大きな意味はなく、その個人個人の顔が何よりの交流の証です。
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越南

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 村内の工場にベトナムからの研修生が2人来ています。研修生なので月給4万円と薄給ですが、それを切り詰めて中古パソコンを買いました。こうした努力は本当に偉いと思います。
 彼は日本語を勉強したいからと日本語のウィンドウズXPを入れていますが、パソコンのハードディスクの要領を増やすために不要なファイルを削除しているうちに、OSの重要なファイルまで削除してしまいました。

 ドイツ文学教授夫人に「修復を手伝ってやって」と頼まれて出向いていきましたが、夜10時まで粘ったものの、基幹部分を消してしまったために修復不可能で、明日もう一度出向いて再インストールすることになりました。

 たまたま教授が♪ドナドナ♪について調べていて、原詞がイディッシュ語でその原詞を探していると言う話になりました。
 昨年、私が牛の生理について調べているときに、牛つながりでドナドナの原詞を見かけた事があったので、家に帰ってきて調べると意外に早く発見できました。専門外の人間でも役に立つ事があるようです。

 ベトナム人研修生のお父さんは元ベトコンで、かつてはいたるところに張り巡らされたトンネルの中を行き来して米軍と戦っていたそうです。
 ベトナム戦争が泥沼化したのは米ソの代理戦争だったからで、大国のエゴで振り回したくせに両国は知らん振り。どさくさで日本も稼いでいましたが。
 米ソ代理戦争でソ連が勝ったように思われるベトナム戦争でしたが、米ソに残ったのは疲弊でしかありません。ちなみに、彼らの住んでいる借家のわずか2件隣にはアメリカ人が住んでいます。

 私が小学生の頃はベトナム戦争真っ只中でしたが、1969年3月30日の日曜日朝、女学生だったフランシーヌ嬢がベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺した事件を題材にした「フランシーヌの場合は」を意味もわからず歌っていました。
 アジアから初めて世界に向けて広まったチン・コン・ソンの「坊や大きくならないで」と言う歌が流行った世情でもありました。日本のフォークソングなどベトナム戦争のおかげで市民権を得たようなものです。
 その頃彼らの親たちは死線をかけた戦いの中にいたのですから、安全な枠の外で「平和だ」なんだと言うのもおこがましい思いがしてしまいます。

 思い起こせば「運動家たちは」ベトナム戦争を口実に自分のストレスを発散していたのですから、中国の半日暴動を高みから揶揄することも目くそ鼻くそになりかねません。正面切って向かい合う事は厳しいものですね。

 さて、ウラジオストクの連休も終りようやく日常に戻りました。「連休ボケはいつ頃治りますか?」と聞いたら、「夏休みの前の日です」と答えていましたから、確信犯?

 昨日は新潟県境の峠では雪が降りましたが、ウラジオストクの天気も暖かくなったり寒くなったりの荒れ模様。風邪が流行っているようで、メール交換や交際相手の決まった女性会員で風邪でダウンしている人が4名。

 連休中にウラジオストクに行ってきた会員さんは、外ではコートを着ていました。明日、ウラジオストクに向かう会員さんも「滞在中は雨になりそう」と電話で話していました。天気予報の日本全国の地図を見ると、ウラジオストク上空の雲の状態もわかりますので、やはり近いのですね。

 パソコンの調子が悪かったハルビンではようやく原因がわかったそうで、個人のパソコンの問題ではなくADSLの回線そのものが壊れていたようです。あの国では無理やり増幅させて高速回線にしています。使える機能は目一杯使う民族性です。

 能力に余裕を持たせてダラダラ歩くロシア人と、全力疾走−息切れ−一休み−全力疾走−息切れの中国。ウサギとカメではカメが勝つのですが。

 「この世の名残、夜も名残、死にに行く身を譬ふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えてゆく、夢の夢こそあわれなれ」

 近松門左衛門の”曽根崎心中”の有名な下りです。読み始めたらすっかりはまってしまいました。

 ネットで募集したまったく無縁の人たちとの集団心中が話題になる昨今ですが、近松の一連の心中物や岡本綺堂の”鳥辺山心中”などと重みがまったく違うのは「物語」がないから。

 人間なんて曖昧の塊ですから、YesかNo、OnかOff、そんな短絡的に結論は出るものではありません。そこにいたる道のりを無視して「出世」だ「結婚」だ「人生」だもないでしょう。
 「歴史」の"history"は" his story"だそうで、歴史の積み重ねは物語の積み重ね。日々の愚かしい営みの積み重ねの途中経過が現在で、今はどうあれ日々「良くあろう」と無心に努力しているから未来は明るくなるので、夢破れて「夢の夢こそ」と果てても、そこまで生きた「物語」は人の心に残ることになります。

 別に心中を肯定する気持ちは毛頭ありませんが、ネット心中など生き様がないから死に様もない。ただ単に迷惑なだけ。せめて人様に迷惑かからないようにむくろを残さず死んで行け。
 電球のスイッチ切るような人生より、ウィンドウズの立ち上がりやシャットダウンの方がまだ物語がある。

 外国の人と会うと、若いけれど背負っている「物語」のスケールが違うなと圧倒されることも良くあるものです。彼らにすれば、素朴に「生きよう」と努めいただけでしょうが、学ばなければならない事は多いものです。

 Patience is good weapon 忍耐こそ最良の武器(ソフィー・マルソー)。
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外人部隊

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 ロシアの連休も今日まで、明日から普通の日々が始まります。楽しい事は全力で楽しむので「休みが多いと疲れる」と言うロシア人は多いです。仕事で疲れてくれ!

 このところあまり情報がなかったイラクで日本人が襲撃されたようで安否が気遣われています。
 自衛隊退官後フランスの外人部隊で傭兵をしてきた人物で、米軍の警備の仕事で行っているようです。今までにないケースの事件です。

 私と同世代の人ですが、私などこのところ「疲れた」と感じる事が多くなり、今日も田んぼ仕事でぐったりです。体力と気力がよく続くなと感心してしまいます。

 レジオン・エトランジェールと呼ばれるフランスの外人部隊は世界的に有名ですが、1831年には登場しています。
 古くはローマ帝国の時代に「外人部隊」はありました。紀元前73年から71年にかけてローマの剣闘士や奴隷の氾濫、”スパルタクスの氾濫(グラディエーター戦争)”のスパルタクスも剣闘士奴隷とか外人部隊の戦士だったといわれています。

 あまり知られていませんが、傭兵として海外で戦争をしている日本人は少なからずいます。フランス外人部隊はもちろん、タイ、ミャンマー国境の民族紛争などにも兵士として戦線に参加している日本人がいます。

 これは個人の生き様の問題なのでとやかく言いませんが、「思想」いかんの問題では各地でゲリラ事件を起こした連合赤軍と変わらなくなってしまいます。

 自衛隊のイラク派兵でごたごたしていた時期に、ウラジオストクの友人はいとも簡単に「日本は国家予算があるのだから外人部隊を作ればいいではないか、ロシアなら応じる若者はたくさんいる」と言ってのけました。
 戦争や生命に対する考え方が違う事を感じました。さらに、
 「スペスナッズ(ロシアの特殊部隊)の訓練にお金を払って参加する日本人がいるが、彼らはなぜ日本の軍隊に入らないのだ?」と聞かれました。趣味と現実は別物です。

 数年前、富山からウラジオストクに向かう飛行機には実弾の訓練に行く関西系のこわもての人たちがたくさんいました。日本では親しみを込めて「ヤッチャン」と呼ばれている方々です。
 私が新潟から乗った飛行にもひと目でその業界の方々だとわかる集団が乗っていた事がありました。

 里帰りのロシア女性が山のような荷物を持って空港のロビーにいて、手荷物は20kgまでですから、荷物の少ない人とグループになって超過料金を免れようと、荷物の少なそうな人を見つけて声をかけていました。
 こともあろうに、ヤッチャンの一団に声をかけ「大変なことになるぞ!」と見ていたら、以外にも快く了解し、ウラジオストクについても重い荷物をカートに乗せてやるなど紳士的な一面を見せていました。

 機内ではパーサーに”サービスがなっとらん”と英語でまくし立ててそっくり返っている鼻持ちならないビジネスマンのオヂサンがいて、不愉快だったのですが、ヤッチャンの一団の一人がボソボソと近くで何かささやいたらオヂサンはおとなしくなったことがありました。
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凍土の約束

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 昨日の薬師祭り。薬師如来は病気を治す神仏ですが、地区の区長が風邪をこじらせて寝込みました。ご利益はどこへ?
 
 モスクワでは60回目の戦勝記念日の式典が大々的に開催され、小泉首相も参加しています。プーチン大統領は抑圧から人々を解放した勝利だったと、ソビエトの戦争を賛美していました。
 確かにナチスドイツに抑圧されたユダヤ人にとっては「開放」の戦争になったかもしれませんが、ソビエト市民にとってはどうだったのだろう?と考えると複雑です。厳しく見ればソビエトに侵略されたバルト三国がこの祭典に出てこないのですから何をかいわんや。

 ウラジオストクもバルト三国出身者はずいぶんいるようで、昨年のEU加盟後一族の出身地に帰る人も多いようです。友人宅では親戚が祖国に帰ったために、その家族が持っていたダーチャ(菜園付き別荘)が転がり込んできたそうです。

boukyou.jpg 土曜の晩、NHKスペシャルで「望郷」と言うドキュメンタリードラマが放送されました。私は花見があったのでビデオに録画して昨日見ました。
 元横浜国大の教授で大脳生理学者の渡辺俊男さんは元軍医で、シベリア抑留を経験しています。

 今年の4月25日に祥伝社から「凍土の約束」という名で出版された抑留中の自伝を再現ドラマを交えて制作した番組です。見ごたえがありました。

 ソビエトの収容所で一緒になったドイツ軍の捕虜の中に、ドイツ軍に加わっていたルーマニア人の青年がおり、渡辺さんはこの青年と仲良くなります。

 「ルーマニアはドイツから連合国に寝返ったので、自分はドイツ軍捕虜仲間からも狙われ、もちろんソビエト兵からも目をつけられている。ブカレストにオリガと言う恋人を残してきたが、もし自分が死んであなたが生きて帰れたら、祖国の婚約者に届けて欲しい」と渡辺さんは金の指輪を託されます。
 
 昭和23年、日本に帰国する事ができますが、東西冷戦が始まりルーマニアとは何の連絡も問えないまま50年。突然ルーマニアから手紙が届きます。チャウシェスク政権崩壊の怒涛の季節でした。

 渡辺さんは友に会うためにルーマニアへ飛ぶのですが、お互い既に80歳を越えていました…

 そのうち深夜の時間枠で再放送があると思いますので、再放送情報を得たらHPのメインページで紹介しますので、是非見てください。
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薬師祭り

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yakusi1s.jpg 朝から薬師様のお祭りでした。昨日の雨で準備ができなかったので、早朝から地域住民総出で掃除や飾り付けをして、夕方4時には撤収でした。
 薬師堂に隣接して戦没者の忠霊塔もあるために、戦没者遺族などもお参りに来ます。祭られているのは村の戦没者だけですが、たまたま役員をやったときに、この人はどこそこの戦線で亡くなったとか、こちらはシベリア抑留中に亡くなったなど、名簿の人物について年配の人たちに聞かされました。

yakusi2s.jpg 修験道の法院様が薬師如来の祭りをしますが、写真を写したときは山のあちこちにある12の神様の祠をおま入りしていた最中で、世話役が一人でお茶を飲んでいました。
 私が子供の頃は崖の中腹のようなところに薬師堂があったのですが、忠霊塔を建設するときにこの場所へ移転しました。建物は建立してからまだ30数年、のぼり旗は昭和37年に作ったものです。

yakusi3s.jpg 婦人会がバザーをして、うどんやおでんなどを販売し、婦人会の運営に当てています。婦人会は老人会に次ぐ巨大組織でご機嫌を損ねると大変な集団です。
 うどんのつゆの味一つ決めるにも表に出ない冷たい戦争があるようで、さらに世代間闘争も抱えているためにバザーの当番も時間によって世代が違います。
 今日は母の日ですが、母たちはバザーでカクテル飲みながらがんばっています。

yakusi4s.jpg 手作りダンゴの販売コーナー今年の新商品はオカラダンゴ。
 豆腐を作ったときにでたオカラをダンゴにして油で揚げて砂糖をつけて食べるお菓子。少々硬いのですが、カステラのようでこれがなかなか美味です。
 台所の知恵と言うのか、元手をかけずに作り出す発想はすごいです。

yakusi5s.jpg 子供たちは灯篭の絵を描いて、これを灯篭に貼り付けてコンテストをします。灯篭の数が限られているので、昔はここに出せるだけでも名誉なことでしたが、いまや灯篭の数より子供が少なくなり。近隣の地区の子供たちにも協力してもらっています。
 少子高齢化は笑っていられない大きな問題で、老人会の言う「若い衆」は60代から下の人たちです。

yakusi6s.jpg 投票で選ばれた今年の最優秀作品。3位はお菓子の詰め合わせ、2位はお菓子とジュース、1位はなぜがビールひと箱で子供たちにはすこぶる評判の悪い商品でした。
 お供えで日本酒やビールを持ってくる参拝者がいるので、残り物は旅館に安く買い取ってもらっています。つまり、賞品もお供え物の在庫整理。


yakusi7s.jpg 最近はテレビゲームのキャラクターや、アニメのキャラクターの絵が増えました。今年は小学校で流行っているためかセサミストリートの絵が多かったです。
 昔は何を描いているのかわからないけど、20年後に同じ絵を描いていたらたいしたもんだと驚くようなわけのわからない絵を描く子供がたくさんいますが、最近は漫画の模写で破綻がない代わり、画一的で面白みもなくなってしまいました。
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花見

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pyatnichnos.jpg ヨッパライ注意!の標識。もちろん遊び心ものですが、日本にも欲しい標識です。

 2−3日前に私の地元では川原でバーベキューをしていて、酔っ払って川に入って溺死した人がいました。命がけで飲むほどのものではないと思うのだけど。

hanami1s.jpg 早朝から地区の道路清掃で、その後、明日の薬師祭りの準備だったのですが、朝から雨。道路清掃は中止!祭りの準備は明日行う!と嬉しい決定が出ました。
 中止決定が出て程なくして天気が良くなり晴れ間が見え始めました。

 毎年薬師祭典準備のあと、我が家の組では花見を行うので、早速気分は花見モードで、ビールや野菜を清水に入れて冷し、花なんかなくても半日がかりで花見の準備です。

hanami2s.jpg
 日ごろロシア人飲兵衛を笑いながら、実は日本側の方がよほどひどいと言うのが現実ですが、国際的な認知度でロシアの勝ち。

 冷静に思い起こすと、花見のあとの片付けはいつも女性達で、その頃になると男たちはほとんどつぶれて寝ているか、どこかの畑に突っ伏してゲロはいて倒れているのが毎年なので、やっぱり女性はしっかりしていると感心します。

 3年前の花見のときは数百メートル上流で10トントレーラーが川に突っ込み、数百メートル下流では橋から厭世的な自殺志願者が橋から飛び降りているとき、「今日はサイレンがなってにぎやかだなぁ」と花見を続けていました。とある鉄道会社のボーリング大会を笑えません。
enkai2s.jpg ロシア人もことあるごとに屋外でパーティーを開きますが、日本人のように徹底的につぶれるまで飲んだりはしません。酒癖にひと癖あってアルコールを飲まない人はジュースで問題ありませんし、「俺の酒が飲めねえのか!」とアコギな押し付けはしないので、飲まない人にとって気が楽な面もあります。
 田舎なら家の外でガルモニ(ロシアのアコーディオン)もってにぎやかに宴を楽しみますが、ウラジオストク市内では大半がアパート暮らしなので、、ダーチャや市街地のはずれの森の中で楽しみます。そのあとクルマを運転して帰るので恐いのですが。

enkai1s.jpg ロシア人は日本人よりもはるかに個人主義的な傾向が強いと感じますが、仕事や地域のコミュニティーなどは尊重する人々で、地域コミュニケーションで厳しい時代を乗り越えてきた経験があります。もちろん、その地域コミュニケーションが時としてKGBの手先だったなんてことも多々ありますが、戦前日本にも「隣組」と言う組織があり、お互いを監視しあう時代がありました。
 上から押し付けられたコミューンと、自然発生的に誕生したコミューンの違いでしょう。
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守る

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 日本女性と結婚したいウラジオストク男性の募集をしています。問い合わせはずいぶん来ているようですが、「慎重に考えてから答えを出します」と言う意見が多いそうです。

 日本女性とウラジオストク男性の組み合わせの場合、は結婚後に日本に住むかウラジオストクに住むかと言う問題が横たわります。
 男性にとっては外国女性を抱えて生活が成り立つか不安がありますし、仮に日本に住むにしても、女性と違って気軽に自分の国を離れられない男の気持もわかります。
 ロシア男性と日本女性の組み合わせは参考例も少ないので、のんきなロシア男性でも心配になります。
 話を聞いてから「家族と相談して決める」と言うのも男性の特徴で、「私が決めた事を家族は尊重してくれる」と言い切る女性と違うところです。

 環境を変えることで踏み出す事ができる女性と、自分がのびられる環境を積み重ねて作り上げて行く男性の一面があるように思えます。ゼロから始める事は不安なものです。

 ロシア女性には通用しませんが、日本女性には「苦労をともに」が殺し文句として使えます。ところがロシア男性は「女性に苦労をさせる事は男として恥ずべきこと」と考える一面があり、たとえ女房の稼ぎでウォッカ飲んでふらふらしている亭主でも、「女房に苦労させちゃならねぇ!男はどんなときでも女を守るもんだ。」と気持ちだけは持っています。

 外国に行って面白いのは自分が今まで作り上げてきた世俗的な地位や肩書きなど通用しないことで、人がらの本質を問われるから面白いものです。
 人生の最後に問われるのは「男は人格」「女は性質」といわれますが、言葉はもとより文化の習慣も制度も違う相手に見えてくるのはそこだけです。
 水戸黄門の印籠はロシアでは通用しませんが、山下清の貼り絵なら誰しも注目するのではないでしょうか?権威とは案外底が浅いものです。

 夜、テレビで”シャル・ウィー・ダンス”を放送していました。ダンスでも男性は女性を守らなければならなず、これはルールではなくマナーです。
 男女平等は「社会的な約束事」の問題で、本質的な男女の間には同一のレベルで比較できないものもあります。

 ロシアでもいじめ問題はあり、特に軍隊ではいじめによる自殺が多発して戦死者より多いといわれていますが、「強い者は弱い者をかばい、守らなければならない」と学校や家庭で教えるのだそうです。ロシアに限らず当たり前のことですが、ずいぶん久しぶりに聞く素朴な言葉だと感じてしまいました。
 「平等」の建前上、「強い」「弱い」の意識がゆがんでいるのだろうか?
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韓流結婚ブーム

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 韓流ブームで韓国人男性との国際結婚を希望する日本女性が激増した様子をTVで放送していました。

 ハングル語は文法が日本語に近く、共通する語彙も多いことから比較的日本人には学びやすい言葉かもしれませんが、番組のお見合いパーティーでは日本女性たちが果敢にハングル語で話しかけているのを見て感心しました。
 できるできないよりもこの姿勢が大切だと感心しました。

 韓国男性はマメで一日に何回も電話をしてくるとか、記念日を憶えていてくれる、浮気をしないなど日本女性が申していました。なるほど、女性が男性に要求する基本だなと思いつつ、そんなことくらい日本男性だってやっているのでは?と考えてしまいました。
 
 最近ふと思うのですが、国際結婚の理由に「日本人にない」ものを求めているように言い訳してしまうけど、それはそうした方がだれにもわかりやすい答え方、と言うより、人様が勝手に思っているだけで、自分がより強く求めるものを追いかけて国外に目を向けていると言うのが本音ではなかろうかと感じています。

 より良い「何か」を求めての国際結婚でなければ慣習や生活の違いなど乗り越えられるものではありません。

 ブームと言う社会現象は時として今まで培ってきたものをあざけ笑うかのごとく打ち崩して、殺伐とした欲望の残りかすだけを置いて消えていくようで、今まで好きな人たちがコツコツと作り上げてきたものを、ブームの波ががたがたにして去って行った例は山ほどあります。ブームの並みの中では「整合性」など考えなくても良いですから。
 でも、本物はそんな中でもしっかりと残っているものです。

 日本男性と外国女性の国際結婚のブームは20世紀と共に去ったと思います。今はあの時代の浮ついた国際結婚からずいぶん現実的になってきていると感じます。

 日本女性と外国男性は昨年あたりからブームが始まっているように思えますが、女性は結婚に対して「受身」ですから、ブームとはいえまだ男性よりも地に足が着いているように思えます。

 国際結婚と言っても基本は男と女。国が違おうが結婚後はただの夫と妻です。本当にお互い尊敬しあえる事が何よりの絆。
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走行実験

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kurumaisu.jpg 電動車椅子の走行試験のテストドライバーをしてきました。
 体重100kg超級の人が乗って、デコボコ道での走行実験や急な坂道の上り下り、充電フル状態での走行距離試験などのテストをしました。

 隣の町に続く峠道約20kmを100kgを越える人が乗って電動車椅子で走ってどのくらい電池が持つかが最後の試験でした。
 車椅子に乗ったまま走るのだからたやすいものと思ったのですが、連休で観光客の自動車が多いので、乗らないほうの100kgは赤い旗を振りながらドライバーに注意を呼びかけて歩かなければならなくなってしまいました。

 電動車椅子と言っても5-6kmの速度が出るので、歩くと言っても小走りです。しかも登りの峠道はデブにはきつい試練です。
 何でテストドライバーが旗を持ってはしらにゃならんのだ!と、拷問のような数時間でした。

 しかしながら、世の中捨てたものではありません。走行試験の後温泉に行きました。
 試験のデータを取っていた女性スタッフが湯あたりして倒れてしまい、別の女性スタッフが「大変だ」と呼びに来たので、これは一大事とできるだけ真面目な顔して女風呂に駆け込み、今までに学んだ救急方が役立った上に、どさくさにまぎれて目の保養をさせていただきました。
 疲れて足腰も痛くてへとへとだったのですが、このときだけは身も心も軽く、しかも冷静沈着な判断。やはり日ごろの心がけのなせる業ではなかろうかと自画自賛しています。
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エスカレーター

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 ウラジオストク女性で、エスカレーターを恐がる女性は意外と多い。最近はデパートなどにエスカレーターが出来たのですが、今まではほとんど見かける事がない代物でした。
 モスクワの地下鉄のエスカレーターは有名ですが、恐ろしいほど速度が速く、歩くスピードで乗り込んだら股裂きになりかねないので、意を決して飛び移るようです。

 モスクワの地下鉄のエスカレーターといえば、映画”ひまわり”で、戦争で行方不明になったマストロヤンニ演じる夫を探しにモスクワに行ったソフィアローレンが、モスクワの地下鉄のエスカレーターで夫によく似た人影を見つけて走るシーンがありました。そういえばずいぶん早く動いていたような気がします。

 ある会員さん、スーパーに行ってエスカレーターに乗って振り返ったら、彼女はまだ下で乗るタイミングを見計らって躊躇している。「何事か?」と思ったそうです。
 私も同様の体験をした事があります。新潟空港に迎えに行って、イトーヨーカドーに行ったのですが、エスカレーターに乗り移るのに四苦八苦している。「ハイヒールなんか履いてくるからだ」と思ったのですが、ただ単に乗るタイミングがつかめなかっただけで、慣れたら鼻高々に乗るようになりました。

 坂の多いウラジオストクの街、ケーブルカーはありますが、エスカレーターがあれば上の段に行くのに便利なのにと思うものです。

metros.jpg 雪の多い土地なので、市民の足として地下鉄ができれば便利なのにと思うのですが、坂が多すぎて難しいようです。それでも地下鉄の駅はあります。
 と、言っても、アパートの倉庫室の壁に勝手にメトロと書き込んだだけですが、これも遊び心。

 将来、シベリア横断新幹線ができるとすれば、冬を考慮してほとんどトンネルの中になるのではなかろうかと思っているのですが、橋やトンネルを作るのは日本の十八番です。
 時速300kmで走行したとしてウラジオストクからモスクワまで31時間。現在7泊8日ですから画期的に時間を短縮できます。それにしても、とてつもない距離です。
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カモミール

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 ウラジオストクは今日も祝日。一説にはメーデーの1日から10日まで休日だそうですが、それを悠長に休んでいるのはお役所だけだとかで、一般民間人は順番に職場に来ているようです。

 連休中に田植えを済ませてしまう予定なのですが、4月が寒かったので苗が全然育ちません。このところ暑いくらいなので期待はしているのですが。
 沖縄では一週間早く入梅したようです。

kamomirs.jpg ようやく桜(ソメイヨシノ)が散り、八重桜や大山桜の濃いピンク色が花開き始めました。
 それにしても桜は「散り際の美学」だといわれますが、この2−3日強い風が吹いたらいつの間にか散って姿を消していました。日本の象徴の花ですが、一斉に咲いて一斉に散っていなくなるのはあっさりしすぎていないだろうか?

 ロシアの花はカモミール(カミツレ草)。およそあの国に似つかわしくない小さなささやかな花です。いつ咲いたのかわからないけど咲き出して、そのうちだんだん終わってると言う感じの花で、およそ一斉に散ったソビエト崩壊とは違います。

lilas.jpg 我が家ではシベリアの日本人墓地の近くの街路樹から、枝をかっぱらって持ち帰り挿し木をした白いライラックの花が咲きました。淡いピンクの花が咲く木もあります。
 ハルビンもライラックは街を象徴する花で、街路樹として植えられています。ハルビンからも枝をかっぱらってきて挿し木をして根付かせましたが、シベリアのライラックの方が純白に近い色です。これからしばらくはライラックを楽しめます。
 ライラックはリラともいい、ロシア語では「リラ」です。リラと言う響きが好きだったのですが、オウム地下鉄サリン事件の頃、実行犯の妻で林リラと言う名前がでてきてから、使いにくい名前になってしまいました。
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パースハ

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paskha_eggs.jpg 今年、ロシアはパースハ(復活祭)とが重なりました。
 ウラジオストクの友人に「お墓まいりに行くの?それとも教会のミサ?メーデーのパレードを見に行くの?」と聞いたら、
 「パパはお墓参りで、ママは教会、私は休日出勤です。」 そうかいそうかい、休日くらいは仕事をしなければね。現在のロシアでは5月1日と2日を「春と労働の祝日」と呼んでいます。「労働の日」だから働かなければ。
anyaworks.jpg左の漫画は「アーニャの仕事」だそうです。
10時には机に向かって仕事をしているが、午後1時には体が斜めになってきて、4時には椅子にもたれて居眠りが始まり、7時には椅子からずり落ちて熟睡。「春眠暁をおぼえず」。

 5月9日は「戦勝記念日」第二次大戦でドイツが無条件降伏した日です。ロシアでは8月15日は何の意味もありません。
 1945年8月8日、もはや死に体の日本にたいして「日ソ不可侵条約」一方的に破棄して宣戦布告。しかも、8月15日の時点で満州ではまだ終戦していなかったのですから、この日に関してはロシアは何も言えないでしょう。

pasuha.jpg この冬はブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を読んだのですが、物語はパースハの前の数日間の出来事です。
 「巨匠とマルガリータ」ゲーテの「ファウスト」をモチーフにブルガコフがロシアエッセンスを盛り込んだ作品ですが、ゲーテが悩みながら頭をひねって作った悲劇を、ブルガーコフは笑いながら皮肉ったような面白さがあります。
 私はおどろおどしい物語ととらえているのに、ロシア人はこれをファンタジー小説のようにとらえているので驚きました。長いことロシアでは発禁本だったそうです。

 モスクワの池のほとりで文芸協会理事長ベルリオーズと詩人ベズドームヌィが無神論について語り合っていると、ロシア語の堪能な外国人が来て「あなたは首をちょん切られる」と予言するのですが、それが当たって路面電車にひき殺されてしまう冒頭から始まります。
 これが書かれた当時、モスクワには路面電車はまだなかったそうで、計画だけがあったようです。未来小説だったんですね。

 メル・ギブソンが「巨匠とマルガリータ」に触発されて「パッション」と言う映画を作りました。私の住む田舎にはまだきていませんが、ウラジオストクでは既に見られていて、「福音書に忠実なストーリーだった」と見て来た友人は申しています。
 キリストを殺したのはユダヤ人だと新約聖書のとおりに描いた映画なので、ユダヤ人たちが拒否反応をしめしていると聞いた事があります。聖書の民ではない日本人にはあまり実感がありませんが。

 ハルビンからメールが来ました。ハルビンはメーデーの祝日+金週間の長期期間中ですが、「経営者は休めない」そうです。
 ハルビン事務所のほう行は衣料品の卸販売ですが、この冬は冬物衣料品が売れずにさんざんだったそうです。一通り需要が満たされたようで、これからはプラスアルファーを求められる時代だそうです。
 ベトナムあたりから安い衣料品が入ってくるようになったので、日本を席巻しているmaid in chinaもたじたじだそうで、これも貿易によるパワーシフトです。
 ベトナムは隣接する中国の広東人を毛嫌いしていますが、遠い北のほうから来た中国人には寛容なので、ベトナムと取引している中国人は東北三省出身者が多いそうです。隣接している国と仲がよければ国境なんてできないのだから当然かもしれません。
 ベトナムといえば。昨日はサイゴン陥落から30周年。

 追加
 午後、地元のスーパーの売り出しで「仮面ライダーショー」をやっていたので見に行ってきました。
 ライダーと言うのにどこにもオートバイはなく、仮面ライダーと怪人と戦闘員が同じマイクロバスから出てきました。

 ショーの最中、仮面ライダーに「ライダーパンチ」を食らった戦闘員が飛び上がった際、スピーカーのボックスに激突して、マジにもだえ苦しんでいました。
 先ほどまで戦っていた仮面ライダーと怪人が動きを止めて心配そうに戦闘員のほうを見ていました。
 しばらくの間の後、怪人に肩を叩かれて我に返った仮面ライダーは、再び怪人と格闘をし、ライダーキックで撃破しました。

 仮面ライダーが戦闘員に気をとられているうちにやっつけてしまえば怪人が勝てたのに。
 ショーが終わり、仮面ライダーと怪人と戦闘員は同じマイクロバスに乗って去っていきました。
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