日本人の奥さんの里帰りに同行して日本に来ている友人(ロシア人)、奥さんを実家に残し野放しロシア人となって名古屋、大阪と一人で放浪しているようです。
地元の古刹泰寧寺にホタルを見に行ってきました。高圧鉄塔の右下に見える青い光がホタルです。
写真右のほうにホヨホヨと流れているのがホタルです。
ホタルが写っている自信がなかったので話題作りのためにお寺のアジサイを写して来ました。長い石段の土手には方丈様が手入れしたアジサイが群生しています。
別のアングルからアジサイを写した写真です。
それにしても、何でしょうねぇ。子泣きジジィの顔のようにも見えますし、月の裏側でしょうか?
ニッコウキススゲの花が咲いていました。
ITの講習を受けに六本木ヒルズに行ってきました。
ようやく講習会も終わり自由の身になってウラジオストクに電話を入れたら、すでに事務所が閉まった時間でした。
講習生の中に英国女性と結婚している中年男性がいました。「何でもかんでも自分で決めて、こちらのことなどお構いない、自分で考えたことが何でも実現するものだと勝手に思い込んでいる」と評していました。「ロシア女性のような英国女性ですね」というと、北海道から来た女性が「私だって同じように自分中心に考えているけど、それを態度に出せないだけだ」と申していました。
家にたどり着いたのは8時少し前。ウラジオストクからメールが入っていました。VISAも無事にでたようですし、ほっと一息といいたいところ、気になることについてメールが入っておらず、向こうの女性スタッフの携帯に直接電話しました。
七夕商戦の一環なのだろうか、幼稚園、保育園の子供たちが作った七夕飾りがお目見えしていました。
短冊に書かれた子供たちの願い事は素朴で心地よいものです。それに比べると正月明けのお寺の境内の絵馬など現実的でメルヘンのかけらもありません。
昨日、ついに姿を消したアンテナの番線の野ざらしの蜂の巣ですが、蜂は別の場所に巣を作り始めていました。
いま、サクランボが最盛期で、観光バスが横付けしていました。
雨があたると実が割れてしまうサクランボにとって、雨が降らないとありがたいのですが、今日はこちらも30度を超える気温だったので、農園の人も大変だったようです。
6月13日の日記で紹介したテレビアンテナの針金に巣を作った蜂の巣ですが、ついになくなってしまいました。
蜂の巣がなくなって針金だけが残っています。
40年以上も前から活動しているスリー・グレイシスというゴスペルグループがいます。一時結婚して活動を休止していましたが、いまもゴスペルシンガーとして活動しています。
”山のロザリア”はワルツなのでロシア民謡とは言いがたいので、ソビエト時代に作られたものかもしれません。
写真は生方大吉議員の家。つまり、私の村の村民だったんですね。この困った代議士が。
恋に焦がれて鳴く鳥よりも、鳴かぬホタルが身を焦がす。ツンテンシャン チントンシャン。
それにしてもこの書き方でよくここまで届いたなと、郵便局のかたがたが苦心した様子は宛名の下に鉛筆で書かれた文字でわかります。「379-14利根郡新治村調べ」とありました。はがきのかけ線と文字が重なって微妙に違う文字に見えてしまう上に、文章はドイツ語。
私の村にはロシア正教の教会があります。戦前から戦中にかけては髪の毛が真っ白なドイツ人のお婆さんが住んでいて教会の手入れなどをしていたそうです。
赤城山のレンゲツツジが満開ということで見に行ってきました。
いいアングルだ!と感じる場所には必ず誰かしらがカメラを備え付けて陣取っていて、カメラなら撮影したら移動するだろうと期待できますが、イーゼル立てて油絵を描かれては当分移動しそうにもありません。
♪湖畔の宿♪の舞台になった榛名山は女性的な山で周囲にもナイーブな雰囲気が漂っていて、竹久夢路がアトリエを構えたようなところです。山ツツジの濃い赤が口紅のように映える景観を持っています。
この冬は市内各地で水道の断水があり、日曜日ともなれば家族総出動で給水車の列に並んだそうです。
かつてダム建設が推進されていたころは梅雨時にダムを完全に空にして、台風が来てもたまった水をすぐに放流して、常にダムを空にしていました。
水源地ということもあり、極力水を汚さないように、化学洗剤や塩素系漂白剤などを極力使わないようにしようと皆で申し合わせて生活しています。
伯母の葬儀も終わり、ようやく落ち着けそうです。
新聞配達が仕事をしているような時間帯でしたが、犬を連れて散歩している人や、ジョギングをしている老夫婦などを見かけました。
葬儀の後、伯母の住んでいたアパートに行きました。部屋は3Fで、窓からはペンタックスの本社が良く見えました。
昨日お江戸で庭先に咲いているアジサイを見つけました。寒冷地とされる我が家の周辺ではまだこれから咲く花ですが、東京ではすでに花盛り後半といったところです。
昨日癌で亡くなった伯母の葬儀のことで東京に行ってきました。
母の兄弟たちも”このまま黙って死ぬような性格ではない!”とまだ何か仕掛けているのではなかろうかと疑心暗鬼でしたが、本籍をとんでもないところに移転しており役所で死亡届を出すときにひと波乱ありました。
江古田の駅前通りを久しぶりに歩いてみました。武蔵野音大や日大芸術学部があるので防音設備のあるアパートが多い街だったので、気兼ねなく楽器の練習ができそうなので、学生時代に住みたいと思ったことがありました。
斎場の近くに銭湯を発見しました。高い煙突が見えたので駅前に火葬場もあるのか?と見に行ったら銭湯でした。400円です。「ずいぶん高くなったなぁ」と驚きましたが、さらに400円出すとサウナもあります。
180円のラーメン屋を発見しました。さすが、学生街です。
玄関先のナナカマドの花が咲いていました。冬には赤い実をつけますが花は白い花です。七回かまどにくべても燃えないことからナナカマドというと聞いていますが、焚き火にナナカマドの枯れ枝をくべたらよく燃えました。
日本よりも日本車が多いウラジオストクですが、maid in Japanであることが重要でサンクトペテルブルグ製では信頼が・・・と彼らは言います。
テレビのアンテナを支えている番線に蜂の巣を発見しました。
昔、「ハチは一度刺したら死ぬ」と愛人の不正を暴露して「ハチの一刺し」と騒がれた榎本なんたらさんという女性がいました。一度刺したら死ぬどころか、その後ますますご活発になり「ひょうきん族」にまで出ていました。
母方の親戚が神戸からくるので駅まで迎えいにいってきました。このところ、駅というと新幹線ばかりでしたので、在来線の駅は久しぶりです。
新幹線ができてから在来線はめっきり本数が減ってしまい、かろうじて無人駅にはなっていないものの日曜ということもあって、乗客の姿を見かけませんでした。
列車がホームに入り込んできて人が乗っている気配でもなかったので不安でしたが、降りてきてほっとしました。
我が家から少し離れた国道にこの3月に新しい橋が完成し、古い橋の撤去作業をしていました。
関東地方も入梅したようで、蒸し暑くなります。蒸し暑い中ご苦労さんなこってすと蒸し暑く見えるのはやっかみでしかありません。
自然のまま変身する(太って)人がいると思えば、人工的に変身する人はもっとたくさんいます。
伯母危篤の報を受け日大病院まで行ってきました。東京と千葉に住む母の兄と姉も駆けつけました。万一に備えて礼服までもって行きましたが、とりあえず今回は必要ありませんでした。
見舞いの合間に病院の周囲を散策してきました。
人がすれ違うのがやっとという狭い路地を発見しました。その奥に民家がありますが、周囲を歩いてみてもこの路地から建材を運びこんで建てたとしか考えられません。
今日の話題として用意していたんですけど、30年ほど昔に大人気だった”赤い疑惑”がリメイクされて6月15日から放送されるようです。
日本の国の花は山桜、中国はボタン、ロシアはカモミールです。このか弱い花のどこがロシアとリンクするのか良くわかりませんが、ロシアの民間療法には風邪気味のときにカモミールを茹でてその湯気を吸ってのどの痛みを和らげたり、カモミールティーで風邪を予防する方法があるなど、生活に深くかかわっています。
我が家の前を通りがかった観光客がコデマリを写真に収めていました。この時期にまだ咲いているのが珍しいといっていましたが、このあたりではコデマリは入梅のころまで咲いている花です。田植えの目安にもなります。
夕食にロシア風のクリームシチュー仕立ての魚料理を作ったので、付け合せのフェンネルの葉っぱを取りに行ってきました。
雑草化するハーブは5月24日に畦に群生するペパーミントを紹介しましたが、その仲間のレモンバーム(メリッサという別名もあります)も強力な生命力を持っています。
セージの花です。使うこともなかったので植えた覚えはないのですが、いつの間にか我が家の周囲に自生していました。ハーブとしては使っていませんが花を楽しんでします。
病院に行った帰りは練馬のインターチェンジが混雑しそうだったので、川越街道をそのまま進み所沢インターチェンジから高速道路に乗りました。
見舞いのことで弟のところに相談に行ったら、いつもは寝ている姪が起きていてしばらくあやして遊びました。
古いものを手直しして使う。ロシアの日常生活の知恵です。
「使い捨て」という概念が出現したのは昭和40年代だと思いますが、21世紀になって使い捨てをしているところが使い捨てられ、消費社会といっていると消費されるような時代になったと思います。
夕方、我が家の近くのバス停にさすらいの放浪者の自転車を発見しました。意外にも新しい自転車です。
村の芝居小屋で今日から1ヶ月近く旅の芝居一座が講演をします。毎日出し物が違います。
幼少のころから時折変な夢を見ました。ちょんまげが解けて真っ白な顔をした落ち武者に追いかけられる夢で、理由はわかりませんが、3−4歳のころから見ていました。