英国のテロ未遂阻止事件で空港での検査が厳しいために、今日ウラジオストクに行く会員さんの乗る飛行機がスムーズにでるのか気になっていましたが、携帯メールで
「搭乗手続完了。警戒厳重。ロシア人多いです、ロシア語飛びかっています。曇り空。ロシア行き邦人もムチャ多いです。」
「航空機に搭乗します。イビキかいて、ロシア人のオジサン寝てます。」と、途中経過の報告があり、順調に搭乗できたようです。
ウラジオストクは2度目で、空港で待っているスタッフとも親しい間柄なので、後は安心です。女性スタッフのママの糖尿病療養の指導をするとサプリメントなどを土産に持っていった模様です。
夕方6時から軽井沢で親子弦楽トリオ「やまぼうし」のコンサートがあるので、午後からでかけました。
7月16日の日記で紹介した群馬交響楽団のコントラバス奏者の岩木春樹さんと、ビオラ奏者の長男保道君と、バイオリン奏者の長女美樹ちゃんの親子三人のコンサートです。

お盆と言うこともあり、おなじみの顔ぶれがほぼ全員行けない中、スーパーレディーおばさんの真澄さんが行けるので、隣町の真澄さん宅によって一緒に出かけました。
北軽井沢だ、南軽井沢だ、奥軽井沢だと、昔の名前を捨てて軽井沢が次々に増殖するので、そのうち高崎が極東軽井沢、練馬が軽井沢入口と地名が変わるのではかなろうか?などと話題になりました。
戦後満州引揚者達を中心に浅間の裾野を開墾した酪農地帯が今では"北軽井沢"。昔は開拓地とか応桑なんて呼ばれていましたが、群馬県長野原町にあります。オウムの軽井沢サティアンがあったのが応桑で、オウム事件の時は"北軽井沢"の地名を用いずに"応桑"と呼んでいました。

軽井沢の別荘地の写真などは写真のネタがないときにでも紹介します。
そんなわけで会場となったギャラリー"森の妖精"にたどり着くまでは大変でした。いわゆる南軽井沢と言う地域にあり、ほとんど群馬県の下仁田町(井森美幸の出身地)と紙一重の場所でした。
北から南の軽井沢に行くので、軽井沢の中心横断しなければなりません。お盆初日です。
混んでいること、人と自動車が多いこと、車道のど真ん中をタンデムの自転車が走っているわ、車道を観光客がのんびり歩いているわ、きっと今頃東京の都心のほうが閑散としているに違いありません。市街地の写真は撮っていません。
余裕を持って出かけたのに道路が渋滞していたために、やっとこたどりつきました。

コンサート会場は"森の妖精"という美術品のお店の別館のギャラリー。

店のほうではグリルでバーベキューをしていました。

壁には絵画が飾られていて"音楽を聴きながら絵画を眺められるぞ!"とうきうきしてきました。

さりげなく絵の下のカードを見ると、「え?」。一、十、百、千、万、「え?、え?」。120万円。
去年私が描いた油絵は某旅館のおやじさんがもらってくれましたが、その謝礼は上寿司二人前とビール2本でした。
恐いから壁側に陣取るのはやめました。絵の具のことを考えると、ストロボも使えないな。スローシャッターで手振れとの根競べになりますので、三脚は大げさにしても、一脚を持って来るべきでした。

ギャラリーにはグランドピアノが備えられています。たびたびコンサートが開かれているのでしょう。
それにしてもこの古いピアノ、どこのピアノだろう?

覗き込んでびっくり、今や幻のピアノと言われるイースタインのピアノ。著名なピアノの調律師だった杵淵直知のアドバイスを浮け、宇都宮で手作りで作られていたピアノで、1990年に会社は倒産して跡形もなくなくなってしまいました。なくなってから"銘記だった"と話題になったピアノです。
今流行のきらびやかな金属音ではなく、古風な温かい木の音がするピアノです。

弦を一本一本アグラフという穴に通して固定し、フレームに金属の響版などつけていないので余計な共鳴はせず、打弦した一つ一つの音が聞ける構造になっています。
実は私が幼少の頃、我が家にもイースタインのピアノがありました。今にして思えば柔らかくていい音でしたが、昭和44年に現代風の音がするヤマハに買い換えてしまいました。

開演までの時間、隣のJAZZ喫茶サッチモでコーヒーを飲みました。サッチモと言えばルイ・アームストロングのことですが、"聖者の行進"は有名です。
最初、ビリー・ホリデイのブリージーな歌が流れていて、気になって仕方がありませんでした。一応クラシックのコンサートに来たもののジャズもいいものです。

気になるのなら足を運べばよい。開演時間まで20分あったのでコーヒー飲みながらJAZZ!
2003年に亡くなったニーナ・シモンがピアノ弾き語りで歌う”
Black is the Color of My True Love's Hair”が流れていました。

店の名前は”サッチモ”ですが、どんより重いブルースばかり流れていて。これが夕暮れの景色に調和していました。

開演時間になりギャラリーに入りました。中央に並ぶ料理は休憩のときの食事です。なんでも、ギャラリーのオーナーのサービスだとか。

ピアノ伴奏は田部井美和子さん。”やまぼうし”のコンサートのおなじみの助っ人だそうです。
器楽の伴奏としてのピアニストは大変な仕事です。ソリストなら自分を中心に周りが合わせてくれて当たり前ですが、伴奏はソリストを際立たせなければなりません。組む相手の個性や音の特徴を把握して演奏しなければなりません。弦楽器や管楽器のソリストにはいつも決まった伴奏者がついているものです。
前半はコントラバス、ビオラ、バイオリン、それぞれの演奏でした。

まずは岩木さんのコントラバス演奏でブルッフのコル・ニドライからスタートしました。チェロで演奏されることが多い曲ですが、これをコントラバスで演奏するのは大変な難曲です。

次にでてきたのが長男の保道君。現在スロベニア放送交響楽団首席奏者として活躍しています。親子トリオは保道君が夏休みで帰省したこの時期にしかできません。
スロベニアと言えば旧ユーゴスラビアで、オーストリアの南、イタリアの東です。南スラブ地方などとも呼ばれ、ロシア人と近いスラブ系民族が多く住む国です。
ビオラのソロを聞くのは初めてでしたが、これがまた素晴らしく甘美な音色で、バイオリンの透明感とチェロの温かさを足したような音でした。
ビオラはバイオリンとチェロにはさまれてあまりなじみのない楽器ですが、両方のポテンシャルを持っているような楽器でした。
調弦はC-G-D-Aでチェロの一オクターブ上、バイオリンの低音弦3本に4度低い弦を一本加えた形になります。
日本でもっとも有名なビオラ奏者は?皇太子殿下でしょう。

3人目はバイオリンの美樹ちゃんで、バッハの無伴奏ソナタで始まりました。最後の曲では譜面が見つからずドタバタするハプニングがありましたが、譜面を探している最中はお父さんがトークでカバーしていました。
器楽演奏はカルテットに始まってカルテットに終わるそうで、一人で演奏するよりも二人のほうが厚みが増す。3人になればさらに深みが増す。4人で演奏すれば重厚感とバランスが取れるそうですが、それより増えると音を合わせることが難しくなったり個性が埋没してしまう。4人が一番バランスが良いそうです。

ピアノの田部井さんがショパンの華麗なるワルツとノクターンで前半は終了。
久し振りのイースタインのピアノの音色が懐かしかったです。音がキラキラしているピアノではないのでショパンよりもベートーベンのメロディーのほうが似合うかな?などと思いましたが、箱が鳴るような柔らかい音なので弦楽器の伴奏にはとてもあっていると思いました。
演奏の最中、壁の絵を眺めては、それぞれこのメロディーにはどの絵が合うだろう?と考えてみました。事前に値札を見てしまったものですから、そちらばかり気になってしまい、絵と曲を重ねるとメロディーに値段をつけるようで無礼に思えてしまいました。
前半終了後、7:30まで用意していただいた食事を食べたり、岩木さんたちと談話をしたり、楽しい時間でした。

この地域で花火大会があるようで、外は騒がしかったのですが、気になることもありませんでした。
外に出るとバラの香りがするので、どこに咲いているのだろう?似た香りがするハーブでも植えられているのかな?と探してみたら、蝋燭から香りが漂っていました。

後半は岩木さん親子のトリオで映画音楽を中心の演奏が続きました。映画の解説も面白かったです。太陽がいっぱい、慕情、ポルタメントたっぷりにシェルブールの雨傘などが演奏され、チャップリンのライムライトは感動物でした。
前半よりもリラックスして演奏していましたが、いつも家族で映画音楽を楽しんでいるのだろうなと感じましたし、楽器の歌わせ方が巧みな理由が分かったような気がしました。
クラシックではサン・サースの白鳥をビオラがリードを弾き、本来ハープが演奏するアルペジオをコントラバスとバイオリンがピチカートで担っていました。
美樹ちゃんの個性爆発のチャルダッシュもまた聴くことができました。バイオリンのG線から始まる最初の4つの音が何回聞いても圧巻です。流浪の民のさだめのようなバイオリンの泣かせ方をします。
ロマ(ジプシー)の踊りは一見激しそうに見えますが、実はゆったりと動きが少なく、目つきや指の動きで激しく踊っているように見せてしまう妖艶さがありますが、それを持っているような天性を感じさせるので楽しみです。

アンコール曲では"パリの空の下セーヌ川は流れる"と"酒とバラの日々"でした。イベット・ジローやエディット・ピアフの創唱によるシャンソンとしても知られていますが、岩木さんのピチカート双方によるコントラバスがスウィングして、ジャズ風に演奏していました。
音楽っていいもんだなあと満喫して充実した一日でした。