
福山通運がウラジオストクで宅配業務の事業展開?ではなく、福山通運で使っていたトラックが廃車になりウラジオストクで再び活躍しているだけです。
トラックやバンなどの商用車は看板も兼ねて店の名前などが車体に書き込まれていることが多いものですが、その中古車をロシアに持ち込んで再利用。買ったロシア人も日本語の看板をそのままファッション感覚で使っています。
○○工業、△△市役所、××病院、○×商店、日本で使われていた頃の店の住所や電話番号まで入って自動車まで走っています。
女性会員にも○○市役所と書かれたエスクードに乗っている女性がいます。北海道で使われていたエスクードです。
網走自動車教習所のワゴン車。流氷を乗り越えてきたのだろうか?

女性は男性と比べると自動車に疎いものですが、ウラジオストクの場合に本社イコールトヨタと思っているので、トヨタのセフィーロとか、トヨタ・ランサーなんて表現がでてきますし、セドリックが日産のクラウン、パジェロが三菱のランドクルーザーなどと呼ぶ女性もいます。
昔の日本でもランドクルーザーをトヨタのジープ、スズキジムニーを軽のジープなんて言っていたものです。
とんでもない勘違いしている人など、タイヤの横に書かれている東洋タイヤのTOYOをトヨタと勘違いしている人もいます。
ウラジオストクは小さな半島に過密に人が集まっているので、思うほど道路が広くありません。古い街並みなど自動車がすれ違うのもやっとの道が多く存在していますし、駐車場も狭いスペースに止めることが多いです。
こうした狭い道路で日本車は使いやすいそうです。
大阪堺市の教育委員会で使っていたライトバン。

伊藤左千夫が「野菊の墓」を発表したのが明治39年の1月、今年で100年です。と言うよりは100年前の日本はこんな国だったのか?と感慨深いものがあります。
舞台は江戸川にかかる矢切の渡しをはさんで東京の葛飾と千葉の松戸・市川。
休暇の息子政夫と底の奉公している身寄りのない民子の純愛物語ですが、小説を読んでいると民子の父親が戦争で死に母親も後を追うように亡くなったということになっています。時代的に日露戦争だろうか?
自由に恋愛などままならぬ100年前、奉公人と主の息子の恋愛など世間に知られる前にと、矢切の渡しを越えて市川に嫁に行かされてしまう民子。
こんな時代があったんです。

今、この世代の子供を抱える親たちなら「ガールフレンドができない」「ボーイフレンドもいない」と、いれば心配いなければそれまた心配しているご時勢です。
10代の若者が男女交際などして良いものだろうか?とその切り替わる時代いたのは私たちの世代でしょうが、女性と上手に交際できない野暮ったさもこれはこれで男の魅力でもあったような気がします。
野暮ったいままいい歳になってしまったので苦労しましたが、どこかで切り替わらなければならない時期があったはずです。
制約が少なくなったことはありがたいのですが、どうすれば良いのか?どこまでやってよいのか?真面目な男はそこでつまづいてしまったと自負しています。
「野菊の墓」に戻りますが、「民さんは野菊のようだ」「僕は野菊が好きだ」と政夫がいう有名な告白シーンは今頃の季節でしょう。間接的に愛の告白ですが、この奥ゆかしさがたまらなくいじらしく思えてしまいます。
「愛しています」なんて言葉がなかった時代です。二葉亭四迷がトゥルゲーネフの小説「アーシャ(邦題”肩恋”)」で、女性からの愛の告白と言う画期的シーンに出てくる「愛しています」の台詞を、「死んでもいいわ!」と素晴らしい台詞に訳したのが明治29年。「野菊の墓」の10年前です。

「野菊の墓」の野菊がどの花だったのか?は小説の中に書かれていません。うっかりすれば見落としてしまいそうな路傍の花なんでしょうが、ロシアの国の花のカモミールも似たようなか弱さを持つ花です。