ソビエト時代、日本語の教育機関があったのはウラジオストクの極東大学だけですが、時折「モスクワで日本語を学びました」と言う人に出くわします。40歳以上の人たちです。
モスクワの日本語教育機関はKGBの教育機関。ソビエト時代どういう職業に従事していたのかわかります。
90年代半ばにはウラジオストク以外の教育機関にも日本語のクラスができました。最近人気は下火とはいえ、ロシアの中でも特に日本語の勉強が盛んなのは地理的に近いウラジオストクで、仕事帰りに日本語を勉強している人も多いです。
こうした教室に行く費用がないからと、独学で日本語を勉強している人もいます。語学は特殊能力ではないので、いつからスタートしても良いものです。上達するしないのスピードはそれも個性で、鼻にかけるものでもなければ卑下するものでもありません。興味があればトライするところに意味があると思います。
外国人には多少間違えていても意思を疎通させようと果敢に喋りかけてくる人たちが多いものですが、ロシア人は「自信がない」と一歩ひく傾向が強いです。このあたりの感覚が日本人とにているのですが、全てしっかりと整ってから言葉に出すタイプです。間違えていても平気で喋る人のほうが上達は早いのですが、癖がなかなか治らないものです。
日常は残業がないロシア社会なので、仕事帰りや休日に語学やスポーツスクールに通う人も多く、アフターファイブの生きがいの一つとして日本語の勉強を楽しんでいる人も多いです。
一頃の日本語教室には日本人講師などいませんでしたが、最近は日本人教室が教えている日本語教室もあります。(なぜか関西の女性が多いらしい)
「何のために日本語を勉強するの?」ついつい詮索してしまいますが、「教養のため」「楽しみのため」という答えがあっても良いのではないでしょうか?
考えてみると、私の地元の行政が主宰する英会話教室にしても中国語会話教室にしてもそこに来る顔ぶれといったらほとんどが年配の女性。男性は自分の旅行や出張でもなければこうしたところに顔を出しませんし、用が終われば顔も出さなくなってしまいます。語学には楽しみと同様に道具と言う側面もありますので、実用と趣味とでは大きく意味合いが異なります。せっかく言葉に触れるのならそれらの国についても触れてみると、また違う解釈ができると思いますが、「必要に迫られて」ではそのゆとりもないのでしょうね。
「楽しむ」と言うことに対して奇妙な抑制が働いてしまうのが日本男性の悲しいところかもしれません。
趣味が人生にもたらすゆとりは計り知れないと思います。
ウラジオストク郊外の森にはリスが住んでいます。北海道のシマリスの用に大きい種類で、人を怖れません。
松ぼっくり(これも日本のものと比較すると大きい)の実やひまわりの種を持って森に行き、リスに与える人々の姿が目立つのも秋の風物詩。人馴れしたリスなら手の上にまで乗っかります。
口いっぱいにほおばると、どこかに持って域保存してまた表れます。

これからの季節、温かい小春日和の日にはてんとう虫とカメムシがわきますが、ロシアにもカメムシがいます。やはり臭いです。
ウラジオストク方面では10月一杯で姿を消すようです。

台風は本土直撃をしない模様ですが、大雨をもたらすと報道しています。お住まいの近くの排水溝などつまっていたらゴミを取り除いておいてください。