Прекрасное далеко, не будь ко мне жестоко, Не будь ко мне жестоко, жестоко не будь! От чистого истока в прекрасное далеко В прекрасное далеко я начинаю путь.」
”美しい未来よ、私を見捨てないで。私を見捨てないで!穢れなき少年年時代から、今未来に向かい、私は歩き始める。”
ソビエト時代のПрекрасное далеко という歌です。
♪ここをクリック♪ 「きれいな歌だけど、私は好きではない。なぜなら、この歌を歌っていた子供達には美しい将来なんかなかったからです。」
と私と同世代のウラジオストクの友人は言います。なぜなら、ピオネール(ソビエト共産主義の少年団)の定番ソングだったから。元ピオネールの良い子だった彼はソビエトがひっくり返って「将来なんか無いと思った。」と振り返っています。
その昔、ウラジオストク極東放送と言うラジオ局が、強烈な電波で日本向けにこうした曲を流しており、なんだかわからないけれどきれいなメロディーだなとテープに録音しておいたことがありました。
ロシアから「あなたのお気に入りの面白いバージョンがあります。」と紹介されたのがこの映像。
♪ここをクリック♪ 「サムライバージョン」と言っていましたが、よく見れば「新選組」。
新選組って何をやろうとしていたのか?時代の流れに逆らおうとしていたのではなかろうか?などと考えると、Прекрасное далекоを歌いながら時代に取り残された共産主義者にあい通じるものを感じます。
Слышу голос из прекрасного далека, Он зовет меня в чудесные края, Слышу голос - голос спрашивает строго: А сегодня что для завтра сделал я
”美しい未来から声が聞こえる、 私を軌跡の場所へいざなう。 今日私は明日のために何をしたのかと、声は厳しく問いかける。”
明日のためにとやってきたことが、結果的にピントはずれだったなんてことは良くあることですが、そこから立ち上がるのが人間の魅力。
未来は誰かが与えてくれるものではなく、自分で見つけて作り出していくもの。
皮肉なことに、この歌の通りに日々努力していれば彼らだって未来は輝いたと思うのだけど・・・