高崎で催されたアレックス君のウェディングパーティーに行ってきました。ちなみにアレックス君はイラン人で、奥さんはフィリピン人。イラン、フィリピンはもとより、フットサル相手のブラジル人や、わずかばかりの日本人などが集まりました。
律儀な日本人である私は予定時間の30分前に会場に到着したものの、誰も来ていない。そのうちぞろぞろ人が集まり始め、勝手に飲み食いを始め、会場が賑わい始めて時間より30分遅れて新郎新婦が到着。

フィリピン料理のレストランらしいのですが、イラン人のコック(フィリンピン人とイラン人のカップルが経営しているらしい)がいて、どこの国の料理?と首をかしげる料理が並んでいました。
イランフィリピン合作の肉じゃがなど思い切り豚肉が入っていましたが、「防音設備が整ったレストランだから神様は見ていない。」「日本でもほっとけ様って言うでしょう。」

ようやく1歳になって歩けるようになったイラン・日本合作の赤ちゃん。
愛嬌者で人見知りしないのでみんなに抱きかかえられてもみくちゃの人気者になっていました。
野球をやらせるか、サッカーをやらせるべきか、当人の意志と関係なく大人たちが期待しています。サッカーならイランと日本が対戦することもあるけど、野球なら日本だけで活躍できる。彼が大人になる頃にはダルビッシュも現役引退しているだろう。と、話は順調に進んでいます。

店の中の売店にはシシャー(水パイプ)が販売されていました。アラブなど中東で街中の喫茶店で水パイプのタバコを吸う男たちをはよく見かけますが、中東から中央アジアにかけておなじみです。
北京に行った時にこれで一服しているウイグル人の老人達がいました。

カウンターの中は水パイプのコーナーで、濃い顔つきの男達が一服していました。
蒸気機関車のような白い煙が大量に出ます。甘い香りがしました。

普通の白いご飯に、小魚が大量に入ったご飯。なんだかわからないけれど何かたっぷり混ぜたご飯が並んでいました。

レストラン全体がディスコと化し、宴もたけなわになった頃ようやく司会のイラン人が到着して、乾杯の後、余興のベリーダンスが始まりました。
ちなみ、このスキンヘッドのおじさんが1時間半遅れて到着した今夜の司会進行役。乾杯の音頭とっただけであとは職務を忘れて踊り狂っていました。

式次第も何もあったもんじゃないのですが、司会が到着しないまま宴は盛り上がり、いつ出番なのかタイミングもつかめないままこの格好で会場の隅で待っている光景も不憫でした。

おひねり。一万円札ですね。

お父さんがどの国でお母さんがどの国なのか?レシピは良くわかりませんが、子供達も臆することなくステージで飛び跳ねていました。

イラン人のおばあさんまでステージで踊りまくっていました。

こちら、サンバの国の日系人。「中東は奇妙なリズムだから感覚がうまくつかめない。」と当初は困惑していました。

「日本最高!」イラン人のコックさんとフィリピン人のママさん。宗教による差別が無いことが嬉しいそうです。宗教の違いでお互いの国では夫婦になることも難しいけれど、日本では認めてもらえることがありがたいことだそうです。「相手を批判することから何も生まれないでしょう。認めてもらえる。認めることって、とても素晴らしいことなんです。」
後ろの壁にはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵が掲げられていました。

元サッカーナショナルチームのユースの選手だった私と親しいイラン人の社長。「イメージどおりに体が動かなくなった」と、ブラジルチームとのフットサルの試合で足を負傷したものの、ダンスが踊れるようにとパーティまでに完治しました。

友人の通称ジローさん。当人は「僕がイタリア人に見えるらしい。」と思い込んでいますが、奥さん(日本人)は自分の夫が坂上二郎さんに似ているからそう呼ばれていることを察しています。「もう、なんとでも呼んで下さい。当人はご満悦なんですから。」
ちなみ彼は私のことを「カスピ海を越えて貿易に来るカザフスタン人に良く似た人がいる。彼は日本国籍を持っているけど、元々日本人ではないと思う。」と話しているようです。もう、なんとでも言ってください。

夜中11時過ぎまでがんばっていたプレイボーイの赤ちゃんもこの後ほどなく体力が尽きて、哺乳瓶でリンゴジュース飲んで眠りこけていました。

私は日付変更直後に退散しましたが、たぶん、明るくなるまで宴は続いたと思います。