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ランバダ

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 夜11時半ごろウラジオストクの友人から電話がありました。ウラジオストクは時差がプラス1時間なので日本より1時間早く年が明けています。

 ディスコから電話をしているのか?パーティー会場から電話しているのか?賑やかな人の声と音楽が流れていました。

 なんだか随分懐かしい音楽がかかっているね。今はやっているの?と聞いてしまったのは、十数年前に日本で流行ったカオマの「ランバダ」が流れていたからでした。
 直線的なユーロビートも好まれていますが、官能的なラテンのリズムも彼らは大好き。マドンナの「ライスラ・ボニータ」などが流れると、腰をフリフリ踊りだします。

 元々この曲は「Llorando se fue(泣きながら去ってしまった)」と言うボリビアのフォルクローレの歌。
 ランバダよりもはるか昔に河島英五さんが「花の種」と言う題名でこのメロディーに日本語の歌詞をつけて歌っていました。

 河島英五さんといえば、個人的には「てんびんばかり」と言う歌が好きで、思い起こしてみるとこの1年は、この歌のような理不尽な一年だったようにも思えます。

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気分一新

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 「へんな夢を見たんですよ。あなたが船を運転してウラジオストクに来る夢です。」とウラジオストクの友人から電話が来ました。「それが、あなたの船の運転がメチャクチャで、街に乗り上げて、爆発して、ウラジオストクが大きな火事になるんです。あなたはそのまま列車でハバロフスクに逃げて、飛行機を盗んで日本に帰ってしまう。こういうのなんて言う?初夢?」
 初夢にはまだ早いけれど、これでは私はテロリストです。彼の夢の中では、私は9.11事件より大きなテロをやらかしたようです。
 そう言えば、以前も彼の夢の中で私が病院の外科医で、とんでもない手術をやらかしていたり、私が教会の司祭になって街を混乱させたりと、どうやら彼の中では私は危険人物のようです。

 ガス料金を支払いにガス屋さんに行ったら、社長が松葉杖をついていました。書類を棚に載せようと、キャスター付の椅子の上に乗って立ち上がったところ、急に椅子がすっ飛んで転落、足の骨を骨折したそうです。横着しないで脚立を持って来れば起きなかった事故ですが、私も人のことを笑えません。今月はじめ、居間の電球を交換しようとコタツの上に乗ったところ、バランスを崩してコタツの真ん中に。コタツが真っ二つに割れてしまいました。

 暗いことを考えてもしかたないので、こんな陽気なユーロビートミュージックなどいかがでしょうか?


 昨日オートバイでひっくり返っていたお年寄りですが、夜中の2時過ぎに亡くなったと交番から電話がありました。「せっかく死亡事故ゼロを目指してがんばって6年目に突入したのに、残念ですね。」とおまわりさんの言葉。交通指導員の仲間も「ついに記録が途切れたか!まあ、年明けたら心機一転、またやり直そう。」とがっかりしていました。
 このご老人、昨日は病院で薬を処方してもらい、バイクのタイヤをスノータイヤに交換し、その後、沼田にパチンコに行って、その帰りに自宅近くまで来て横転してしまったようです。パチンコに行かなければ道路が凍る前に帰れたものを。
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現場検証

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 夕方、実家に顔を出しに行ったら近くの国道上にカブが倒れているのを発見しました。降りて様子を見行くと、老人がバイクにまたがったままうなっている。毛糸の帽子と首に巻いたマフラーが口元を覆ってで顔は良くわからなかったけど、流血は見当たりませんでした。
 これは大変、とすぐに実家に駆け込み119番と110番。

 この界隈にバイクに乗っている老人は3−4人しかいないので、いやな予感はしたのですが、電話をしてから現場に戻ると、通りすがりの人たちが介抱していていました。意識はあったようで、自分の名前を言える状態でしたが、やはり予想通り実家の近所のお年寄りでした。バイクが滑って転がったようです。南側に杉林があるために日陰で凍る場所ですが、路面が濡れているわけでもありませんでした。
 90代になると思いますが、奥さんを十数年前に亡くし、子供達も外に出ているので、一人暮らしでした。父が言うには毎日2−3回バイクでどこかに出かけるので危なっかしいとは思っていたそうですが、食材や生活用品一つ買いに行くにも自動車がなければままならない土地です。昔から偏屈な人だったので、近所付き合いもない人でした。
 バイクの籠には病院の薬袋が入っていたので、病院に行った帰りだったのでしょう。

 救急車が来て怪我人を運んで、現場にいた人たちも立ち去りましたが、パトカーがまだ来ないので、私はその場に残ってパトカーを待ちました。
 交通指導員で出動した時によく顔を合わせる交番のおまわりさんが来て、現場検証と事情聴取に立会い、家族のことなども聞かれましたが子供達の連絡先などわかりません。田舎の良さなのか?この家の親戚関係は知っていたので、「すぐに家族に連絡できるでしょう。」

 夜、交番のおまわりさんから電話があり、調書を作りたいので明日にでも交番に来られるか?というので、今すぐに行くよと交番に出向いたのが夜の10時半ごろ。
 やはり自分でバイクを転倒させた自爆事故のようです。夜9時過ぎに息子さんに連絡が取れたそうですが、頭蓋骨と肋骨が骨折、内臓もやられていると言うので、厳しい状態かもしれません。
 11時半頃まで交番で調書作りをしました。
 「普通の人ならこんな時間まで付き合ってもらうのも大変ですが、交通指導員さんだから無理をお願いできて助かりました。またお呼びするかもしれませんがご協力ください。」立場上、こうした現場を黙って通る過ぎることができないので、厄介を背負い込むのもしかたないことです。
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富岡製糸工場

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世界遺産候補にノミネートされた富岡製糸工場に行ってきました。日本の近代工業発祥の地です。

 「ああ野麦峠」以降、製糸工場=女工哀歌=過酷な重労働=悲惨な末路のごときイメージがついて回りますが、まだそんな時代以前、外国の技術をいかに日本に導入するか?試行錯誤を繰り返していました。

今でこそ養蚕をする農家も珍しくなりましたが、私が小学生の頃はどの農家でも養蚕をしていましたし、蚕のことを「お子様」と言って大切にしていました。

 春子、夏子、秋子、晩秋と年4回、後年品種改良が進むと晩晩秋と年5回蚕を育てたものです。

 特に良質な桑の葉が得られる春子は大量に蚕を飼いました。大きな農家では100g(蚕の卵の量で規模が決まりました)からの蚕を飼うので、家族は寝る場所も養蚕のために使い、外にテントを張って寝ている家庭もありました。
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春子の蚕上げが始まるころには農繁休暇という休みがあり、夏休みが少ない分こういうときに休暇がありました。
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  農家で蚕が作った繭玉はそのまま出荷されてしまうので、その後繭玉がどうなるのかは見ることはありませんでした。

 茹で上げられた繭玉はここで一本の絹糸になるわけですが、繭玉は蚕が噴出す一本の糸でできているので、この末端の一本を見つけ出して、繭玉を一本の糸に戻すのが女工たちの腕の見せ所です。
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 日本人に技術指導に来ていた、外国人技術者やその家族が住んでいた宿舎。
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買いだめ食いだめ

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 年の瀬だからあわただしいのか?ただ単に気がせいているだけなのか?どこへ行っても混雑しているように思えます。

 スーパーのレジの列に並んでいると、同級生の夫婦が来ました。「昔なら年末から年始まで店も休んでいたから買いだめも意味があったんだろうけど、今は元日だけ休む店も多いから買いだめする必要も無いんだけどなぁ。」と、皮肉を言いながらしっかり買いだめしていました。

 西暦2000年を迎える大晦日、コンピューターの2000年問題のこともあり、職場に停まり込んで年明けを迎えたことがありましたが、泊り込みを予定していなかったので何も食べるものを買っていなかったので、カップヌードルで年末年始を過ごしました。

 少し早いけれど年越し蕎麦も買っておこうかと、蕎麦を買ってきたものの、大晦日まで持つだろうか?と心配になり、夕方食べてしまいました。たぶん、こんな調子で年越しを迎えることなく食い尽くしてしまい。元旦は「食べるものが無い」と例年のように過ごすことでしょう。
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The Long and Winding Road

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 ロシアからドイツのライプツィヒまで自動車で行くというドイツ人が欲しがっている、ランドクルーザーの交渉をしました。論理的思考のドイツ人らしく休み無しの6時間、理論整然とした交渉になったので神経を使いました。

 ウラジオストクからイルクーツクに行き、バイカルを見てからモンゴルに入り、ウランバートルからアルタイを越えてカザフスタンに入り、コサックの道のりをウクライナへ行き、そこからまたロシアに入りポーランドを経てドイツ入り。およそ2万5千キロに及ぶ壮大なドライブですから、装備などに関する情報集めなど私も手伝いたいことがたくさんあります。こういうことを思いつくどころか実践してしまうのが大陸の人だと感心しましたが、何とか成功させてやりたいものです。

 ライプツィヒといえば古い歴史を持つブリュートナーというピアノの生誕地。
 戦前のドイツを代表するピアノメーカーでしたが、戦後は東側諸国御用達のピアノになっていた感があります。
 ピアニストのフジコ・ヘミングさんは幼少の頃からブリュートナーのピアノで鍛えられたそうです。

 こんなところでブリュートナーのピアノが使われていたのか?と驚いたのはビートルズの「レットイットビー」の有名なスタジオ録音の映像で、ポールマッカートニーがブリュートナーのピアノを弾きながら歌っています。
 このスタジオでの録音では、同じ状態で「The Long and Winding Road」も録音されています。長く曲がりくねった道ですね。

 バラバラになってしまったビートルズのメンバーを、ポールマッカートニーが何とか引き戻そうとしていた頃の映像だそうで、そんな雰囲気を感じさせてくれます。
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プチおでかけ

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 新潟へ行ってきました。
 例年ならスキーシーズン真っ盛りのはずの県境のスキーエリアも雪がありません。かなり重篤な状況です。

 新潟市に到着したのは午前中。日本海側から分厚い雲が押し寄せてきていましたが、雪雲ほど色が濃くはなく、雷を伴った激しい雨が降っていました。
 冬の雷は日本海側ではしばしばあるようで、雨は夜更け過ぎに雪へと変わる前兆だとか。

 新潟ラーメンを求めて空港周辺のラーメン屋を尋ねて背脂こってりのラーメンで昼食。今回はだるまラーメンに行こうと計画していましたが、竹尾インターから空港とは反対方向にあったため見つけることができませんでした。昼食後国道7号線バイパスに戻るときに発見しました。

 もしかしたら佐渡で放鳥したトキがいるかも?と期待をこめながら国道7号線を北に向かい、水田を眺めながら走りました。トキは見つけられなかったものの、カラスはたくさんいました。

 新発田を越えて聖篭町に入り見つけた駅。日本海側のこういう駅の光景って好きなんです。
 畑山博の「海に降る雪」を読んで、日本海にそって青森まで旅をしたのは91年こことでした。鉛色の海やどんより重い雲。軽薄さを蹴散らすようなこの重々しさが日本海のたまらない魅力です。
 ある種、ロシア的憂鬱に通じるような「暗さ」なんですが。
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 夕方、と、言えるのか?3時頃にはあたりは暗く、またものすごい雨になり、帰る道すがら「とんでもない雪になるぞ」と家路を急ぎましたが、我が家の界隈も積もりそうな雪が降ってきました。
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希望

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 「ロシアのクリスマスは大切なイベントですが、カトリックのクリスマスは重要ではないので私は何も予定がありません。」とウラジオストクの友人。昨年は仲間とボーリングに行ったり賑やかに過ごしたそうですが、今年は予算の都合もあって、おとなしく過ごすようです。

 彼にとって、この一年はあまり良い年ではなかったそうで、昨年一緒に騒いだ仲間が二名、この夏に交通事故で亡くなったのだそうです。それも、酔っ払い運転でコンクリートの壁に激突。
 福岡の公務員による酔っ払い運転の事故をきっかけに取締りが厳しくなった日本とは異なり、多少の酒は問題外(袖の下あり)のロシアですから、酒気帯び酒酔い運転はなかなか減らないようです。

 自爆事故では身から出たさびといえばそれまでですが、今までいることが当たり前の人が、ある日突然消えてしまうとなんともいえない「空しさ」が残された者にのしかかります。

 夕方、ラジオのニュースを聞いていたら、タレントの飯島愛さんが亡くなったことを報道していました。
 しばらくテレビで見ていなかったので、一瞬、”聞き覚えのある名前だけれど、誰だったっけ?”と思い返してしまいましたが、まだ若かったので”自殺かな?他殺かな?”と連想してしまいました。

 で快適な経済混乱も含めて、一気に毒気が噴出すような、あまり良いご時世ではありませんが、「これ以上悪くなりようが無い」と目線を変えれば。パンドラの箱ではありませんが、希望が残っています。
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七面鳥

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 今年はまだ雪が降らず、例年よりも温かい年末です。今頃雪が積もらないと年明けに雪が降っても根雪にはならず、降っては溶けてしまいます。
 雪が降らずに暖かければ、ありがたいにこしたことはないのですが、その付け合せは春から夏に来るものです。雨が多い、雪が多いと騒いでも年間を通じるとそこそこバランスが取れているものです。

 十数年前、七面鳥をたくさん飼っていたので、今頃の季節になるとその副業(当時はお役所勤めを営んでいました)で忙しかったものです。

 鳥には卵を産みそれを温めて雛をかえす本能が備わっています。卵を孵化させるために巣についている間は卵を産みません。この本能を100パーセント取り除いてしまったのが、白色レグホーンなどの採卵用の鶏で、人工的に卵を産むためのマシーンになってしまった鶏です。

 七面鳥はこうした品種改良がされたわけではないので、卵を抱く本能が残っています。ところが巨体の上に不器用なので、卵を抱かせても自分の重みでつぶしてしまったり、上手に卵の面倒を見られずに腐らせてしまうことが多かったものです。
 巣から卵を取っ払ってしまえばどうなるか?試してみましたが、鶏ならそれで諦めるかもしれませんが、七面鳥は野性の本能が強いのか、卵はなくとも何日も巣にこもったままで、その間は食事までも少なくなってしまいます。
 巣についた七面鳥はどうすればよいか?食べてしまうのが一番効率の良い方法でした。おかげで、鶏肉が食べられなくなりました。

 地鶏やアヒルや七面鳥など数十羽飼っていたことがありましたが、当時は鳥インフルエンザの心配もなく鳥の生態などを観察して楽しんでいました。

 七面鳥は元々北米の野鳥で、クリスマスに七面鳥はアメリカの風習。

 在日ドイツ人の知人はクリスマスは家族と静かに家で過ごしたいので、電話もメールも一切取りつがないので、天皇誕生日の休日でも休まず働いて、翌日からの二日間は完全オフにするのだそうです。
 七面鳥の話をしたら、当然ドイツではクリスマスに七面鳥など食べませんが、奥さん(日本人)が注文して、今年は七面鳥料理を食べることになりそうです。

 七面鳥とは関係なく「ホワイトクリスマス」
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電飾

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  毎年この季節になると電飾で庭を飾る家を見かけるものです。

 忘年会会場の居酒屋を探していましたが、周囲の民家の電飾のほうが賑やかで、居酒屋の渋い裸電球の看板を見落として何度もその前を通り過ぎてしまいました。
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 居酒屋の窓から民家の電飾を眺めながら、この夏他界してしまった友人のことを思い出しました。

 元々は大阪の人ですが、毎年夏は京都の大文字焼き、冬は神戸のルミナリエに行くことを年中行事にしていた人で、この夏も「体調が悪いけれど、今年も大文字焼きに行きまっせ」と電話で話しました。

 8月初旬に単身赴任先の名古屋のアパートで病死しているのを発見され、大文字焼きの頃に息子さんからその知らせを受けました。

 神戸のルミナリエは阪神淡路大震災で打撃を受けた神戸復興の願いをこめて催されたイベントと聞いていましたが、当初はちゃらちゃらした電飾飾って、何が「願い」だと冷ややかに考えていました。

 「こんな電気の無駄遣いを毎年眺めにいってどうするのだ?私なんか空を見上げれば冬の星座が煌々と輝いている。都会に住んでいると見られないでしょ。不憫だね!」とからかったものですが、三途の河を渡ってしまってはどうにもなりません。

 昨年末、心のよりどころにしていた大先輩が忘年会の一次会からに次回に移動する路で自動車にはねられて亡くなってしまい、この一年、大切な友人やペットのネコが亡くなる、喪失の多い一年だった感じがします。

 今年は、電飾の明かりがやけに心を慰めてくれる思いがしています。なんとなく、ルミナリエの「願い」がわかってきたような思いもします。いつか、この季節に神戸に行く機会があったら、いろいろな思いをこめてこの巨大な電飾を眺めて見たいと思います。
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女性と感情

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 国籍や人種に関係なく「女性は感情的」であることにかわりはないようです。感情的になって的確な判断ができるわけもなく、むしろ逆の判断をしがちですが、ここで振り返ることなく開き直って「なんなのさ」と悔いることなく意地を張れる。女性の強さ?

 田舎なれども我が村にはスポーツクラブや文化クラブがたくさんありますが、決め手となるのは最後は人間関係。「あの人がいるからもう行かない!自分勝手!」”お互い様だろう”と思いつつも、毎回楽しんで上達していたのに、よくあっさりと断ち切れるものだとその潔さと意地っ張りにため息。

 結果的に似たようなクラブやサークルが複数存在することになり、本家と元祖を巡って無言の争いをしているのも「女の意地」。

 そういえば、日本の政界ってどうなってるの?世界不況のムードが漂う中、支持率が云々、漢字が読めない、なんてゴタゴタしている時ではないのでは?「俺が変えてやる!」と名乗りを上げる猛者もなく、ただ足の引っ張り愛しているだけ。議員も烏合の衆ならリストラして人数減らしてもいいのではなかろうか?

 ソビエト末期、演説する壇上のゴルバチョフソビエト大統領を押しのけて、酔っ払いのエリツィンロシア大統領がマイクを奪ったとき、とんでもない大場かがいたもんだとあきれたものですが、ソビエト崩壊後もエリツィンはロシアの大統領。ゴルバチョフは人々から忘れ去られる存在。
 ”こりゃ、もうロシアはだめだ”と艱難辛苦はあったものの、今日に至っているのですから、平凡な天災よりも非凡な狂人。

 「このヤドロクが、男どもは引っ込んでいろ!」と日本の女性議員たちが立ち上がり結集して、総理の椅子を奪ってしまったら、案外いい結果が出るかもしれません。
 男性のように常識やしきたりに縛られませんから、目的が定まっていれば党派を越えて結集するでしょうし、法や慣例など「だったらなんなのよ!」と蹴散らして国作りをするでしょう。安泰になれば女性の常で「好き・嫌い」でいつのまにか分裂していることでしょうが、故に乱世には強いかも?
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温泉の話

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 この季節になると「湯冷め」について考えることが多くなります。

 風呂から上がってどのくらい温かいままでいられるのか?寒い季節には重要です。これから本格的に寒くなって、風呂から上がって外に出れば髪の毛やタオルが凍るものの、体だけは暖かくて湯気を放つ。温泉地に住んでいると、これもまた快感です。

 我が家の周辺はあちこちに温泉がありますが、「湯冷め」をテーマに風呂めぐりしてみると温度や泉質などそれぞれ違いがあって、これもまた面白いものです。
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 温泉と言っても、竹下内閣の無駄遣いで各市町村がボーリングして掘り当てた温泉と、元々岩の隙間から湧き出ていた温泉では違いがあるように感じます。あちこちの温泉センターめぐりをしましたが「湯ざめが早い」。どちらかと言うと「温泉」と言うよりも、「ヘルスセンター」として設備を楽しむことにしています。

 天然の温泉は「温泉ブーム」が起きる前から、先人達がそれぞれの症状に応じて利用してきたので、保健所の張り紙の効能よりも口コミのほうが的を得ています。

 我が家のある湯宿温泉のお湯は、熱くて長湯できないこともあり、「湯冷め」に関しては中の上かな?とにらんでいますが、夜、布団に入ってから家庭の沸かし湯とは随分違うと感じています。布団にもぐってから腰痛や筋肉痛の部位が温かくなっているのを感じますし、きり傷擦り傷の跡がわりときれいに治ります。

 湯冷めに関しては圧倒的に優れているのは猿ヶ京温泉。風呂から上がって一段落していると、そこからどかっと汗が出てきます。夕方はいると夜中まで素足でいられます。擦り傷などの跡がぬるっと白い皮膜に覆われるので、この分野は優れていないと思いますが、全身暖房としては秀でています。夜中にトイレに行くことの多いお年寄りには、湯冷めをしない効果が大きいと思います。

 一頃、山ヒルに血を吸われた跡が膿んでよく治らないので、草津温泉に何度か通いましたが、意外なことに湯冷めは早い。ドカっと汗をかいて、湯上り後はわりと早く湯冷めをするものの、疲れもドカッと出てくる。私の場合、何回も入っているとリンパ腺に沿って吹き出物のようなものが出てきます。基本的に希硫酸に入っているようなものなので、肌がつるつるになる人もいるようですが、筋肉痛などにはこちらの風呂ほど効果が無いかな?と感じました。

 昔は、春から秋まで体を酷使して、冬は当時をしながら体のメンテナンスをしていたのでしょうが、今は365日、24時間働ける時代です。体のメンテナンスと言っても健康診断で半日あちこちいじりまくられて「治療を要する肥満」とかかれた診断書が送られてくるだけで、行政的に「役目は終わりました。後はご自由に」です。

 せっかく各地にできた温泉もブーム終焉で閉鎖される施設が多いようです。レジャーランド化したために本来の意味を取り違えた結果だと思いますが、自分の体や症状にあう風呂を探すことが重要なのではなかろうか?
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アフロな話。

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 最近やり取りしているナイジェリア人バイヤーは18日から台湾に来ると言っていましたが、今日香港から台北に入ったようで電話がかかってきました。
 せっかく台湾まで来たのだから日本まで来いと言うと、日本はビザを取るのが大変で遠い国なんだそうです。
 10日早ければ台湾で会うことができましたが、これも奇妙な縁です。
 香港で食べるものが口にあわず苦労したようですが、香港でダメなら台湾でもダメでしょう。
 日本に来たときに味噌ラーメンを食べて、これが思いのほかおいしかったそうで、先月、味噌味のカップめんを一箱送ってやりました。香港で日本の味噌ラーメンを探したけど見つからなかったそうです。
 「ミサラーメン」と発音するので、「ミサ」「アーメン」と解釈して、「アイ・ラブ・ミサラーメン」で、キリスト教のミサがすきなのか?と勘違いしましたが、何のことは無い、味噌ラーメンのことでした。台北は日本風のラーメン店がたくさんあるので、大好物にありつけることでしょう。

 昼間、ジンバブエ出身のビジネスマンに会いました。コレラが蔓延して死者が千人も出ていると聞いていたので、祖国は大変なことになっているねというと、「もう何年も帰っていません。僕は納豆が大好きです。もう、身も心も日本人になってしまいました。」と、流暢な日本語を喋ります。心はともかく身は誰が見てもアフリカ人です。

 貨物船の船員だったウラジオストクの友人のお父さんが始めてアフリカ系の人たちを見たのが横浜の港。
 それと、オカマをはじめてみたのも横浜の港だったそうで、横浜と聞いて真っ先に思い出すのはオカマとアフリカ人だそうです。
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Не уходи

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 11月の中頃にウガンダに送ったEMSが昨日到着したようで、夕方ウガンダから電話が来ました。追跡調査を見ると私が送った翌々日には日本から出発していたのですが、どこをどうさまよってたどり着いたのやら?
 素晴らしい!と感心したのは、彼らは日本の郵便事情が悪いから到着が遅れたと主張していることで、日本国内に人があふれていて、道路が渋滞してEMSが運ばれないんだと申しております。2日目には日本から飛び立っているのに。
 
 90年代ロシアの女性と付き合い始めた当初は手紙のやり取りでした。郵便事情が良くないことは今も変わりませんが、片道2週間以上。うっかりすると追加で出した手紙のほうだ先についてしまうこともあり、時間感覚の違いもあってギクシャクして自滅してしまった感がありました。

 なかなか思うようにならなくてイライラばかりが募ってしまった感もありますが、「こんなものさ」と「妥協できるようになるまでまだまだ修行が必要でした。筋書き通りに行かないのが人間関係の悲しさでもあり面白さでもあります。

 近年、アフリカや中東と仕事のやり取りが多くなって振り返れば、ロシア人は几帳面で律儀だったと気付くことが多くなりました。
 
 1980年にジャンナ・ビチェフスカヤが、ロマンスの名曲”Не уходи”(旅立たないで、とか離れないでという意味)を歌っている映像。聞き入っている80年代初頭の市民の姿も興味深いです。28年も前の光景ですね。

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美人薄命

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 15世紀フィレンツェの画家サンドロ・ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」
 中学生の頃図書館の片隅にダサい男子生徒が集まり名作の鑑賞をしたものです。特に、長い髪で格下左手の奥はどうなっているのだろう?と想像力を働かせたものですが、近年は想像力も枯れ果て「素晴らしい絵だなあ」と眺められるようになってしまいました。

 海で生まれたヴィーナスが成長して貝殻に乗って陸に上がってくる光景を描いた絵だといわれています。
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 この名画のモデルとなったといわれる薄幸の美女がいます。シモネッタ・ヴェスプッチという15世紀の美女で、彼女が23歳の若さでなくなったとき、フェレンツェ市民はその死を嘆き悲しんだといわれています。
 妙になじみのあるこの名前。シモネッタですか?
 それはさておき、この薄幸の美女は親の借金のため政略結婚をしヴェスプッチを名乗りますが、アメリカ大陸の名前の元になったアメリゴ・ベスプッチの親戚に当たる家系といわれています。

 「23歳で死んだから美人でいられたんですよ。イタリア人は歳をとるとひどい容姿になります。」とロシア人が言っても五十歩百歩だと思いますが。

 フィレンツェの名門メディチ家のジュリアーノが彼女の恋人ではなかったのか?と伝えられていますが、結婚していても恋人は別というのがヨーロッパの恐ろしいところ。キリスト教が2000年もかけて一夫一妻制を説いているのに。
 このジュリアーノも恋の清算だったのか?シモネッタの死後2年後に暗殺されています。

 恋に命をたずぬれば、名を惜しむかな男子ゆえと歌ったのは与謝野鉄幹ですが、ヨーロッパ貴族など女の取り合いで決闘して殺しあうプリミティブな肉体派。きれいごと並べたってそれだけじゃ女性はついてこない?
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 美しくいられる時期が短いから美人薄命なのか?死を間際にして妖艶さがかもし出す美しさゆえの美人薄命なのか?美人は不幸せであるからして愛おしいもので、何もかも手にした美人など「絶対不幸になる!」と願ってしまいます。
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兵役

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 イラク駐留の自衛隊が撤収。こういうことは乗り込むときよりも引き上げるときのほうが難しいものだと思いますが、とりあえずは自衛隊員に被害なく終えられて良かったです。

 戦争で家族を失うことが60年以上も前の話と思っていられるのは日本人の幸せなところで、いつ戦場にお呼びがかかるかわからない国はたくさんあります。

 外国人と接していると徴兵のことが話題になることも多々ありますが、こちらから持ち掛けないのもマナーです。

 私が高校生の頃「日本にも徴兵制度を」と問題になったことがありました。冗談じゃねえ!と腹が立ったものですが、こういうことを言う政治家がおよそ徴兵しても使い物にならないご老体。昔兵役に行ってきたかどうかが問題じゃなく、今自分が実践して模範を示してみろ!と言いたかったです。

 徴兵制度は無いまでも、田舎に住んでいると消防団やらなんやらがあって、これもまた足抜けするまでは厄介です。鉄砲の使い方はわからなくても消化栓の使い方は勉強できるので、あながち悪いことでもなさそうですが、人間関係人付き合いが本当に厄介です。

 友人の日露カップルは結婚後にご亭主が消防団に引っ張られました。日本の事情を知らないロシア人の奥様は、夫がどこか遠くに赴任させられるのではないかと不安だったそうです。地域の役割ということがようやくわかってくるようになると、気になるのは練習や会議のたびに酔っ払って帰ってくる夫のこと。「ロシア人と変わらないじゃないか?」と不満の種だったそうです。

 彼女はこのところ日本の教育にかなり不満を持っているようで、日ロ双方の国籍を持つ子供はロシアで勉強させたいと言っていますが、もし子供がロシア国籍を選ぶといったら「絶対反対します。息子を軍隊に入れたくない!」とヒステリックなまでに拒絶反応を示しています。
 兵役に行っておかしくなって帰ってくる若者もいるそうで、おかしくなっても帰ってくればまだマシ。兵役中のイジメで自殺してしまう若者も多くいます。
 徴兵制度はあっても抜け道も多いロシアですが、コネを使って徴兵逃れできても、万が一ということもありえます。

 兵役が終わっても35歳まではいつまた徴兵があるかわからないロシア。友人の医師が言うには彼の同僚は「何歳まで予備役が残っているの?」と軍に問い合わせたところ、「ちょうど軍医が不足していた」と半年チェチェン紛争に行かされた例があります。

 日本にいれば兵役は問題ない?この先どうなるかわからないですよ。
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From Russia With Love

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 NHKの大河ドラマ「篤姫」が最終回でした。幕末から明治にかけての激動の時代に活躍した人物に注目しながら見てきたドラマでした。
 武士の時代から市民の時代への大転換期なので、幕末の人たちがどうやって未体験ゾーンの新しい時代を模索していったのか?とても興味がありました。
 特に大久保利通と西郷隆盛については、どこでどう歯車が狂ってしまったのか注目しながら見てきました。

 現在の官僚制度の元を作ったのは大久保利通で、暗殺後日本は日清日露戦争に突入し、やがて初期の官僚たちがいなくなり、明治維新を知らない世代が官僚をになうようになると、歯車はさらに「官」による統制に傾き、最後は第二次世界大戦に突き進んでしまいました。
 安定と混沌は常に繰り返し時代を支配しているもので、少なくも現在私たちは「混沌」の中にいると思います。

 幸いなことに私は80年代と90年代にロシアを旅することができましたが、まだブレジネフが生きていた1982年初期のロシア(ソビエト)は恐ろしいほど統制が取れた「安定」の時代でした。市民はいてもそれは見えない壁で隔てられた人形のようなもので、私たち外国人と会話をすることさえ許されていなかった時代でした。

 90年代中頃までは「国が死んだ」「混沌」の時代。市場で荷物運びをして働く7−8歳の少年、電車の中に新聞を売りに来る同じくらいの子供。駅でオレンジやジャガイモなどの食材を売る子供。私たち日本人がバブル景気を向かえた昭和末期に生まれた世代の子供達でした。今20代前半。行く先を見失って戸惑う大人たちを、子供達が支えているようなきもしました。

 戦後の日本だって「靴磨きの少年」が街中にいた時代がありましたが、自分の親の世代が目にしてきた光景と同じものを見た重いでした。同時に、こうした経験をしてきた子供達はたくましくなるぞと、警戒感を感じました。

 明治維新にしてもソビエト崩壊にしても、模倣する手本が無い時代の転換期には今まで成功体験を持たない、図太く上を見て生きられる人たちが強いのが世の常。嘆いている人たちにはそれなりの崩壊しか待っていません。
 諦めないであがいているうちチャンスは巡って来るものです。

 かつてソビエトが君臨していた頃、007の強敵はロシア人でしたが、今や敵は国ではなくテロリスト。007だって食い扶持求めて苦労しているのかもしれません。

 そういえば007に”From Russia With Love(ロシアより愛を込めて)”というシリーズもありましたが、その部隊はほとんどトルコでした。
 映画としてはあまり面白くなかった思いもしますが、テーマソングは名曲でした。
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看板

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 今回は時間がなくて面白い光景を写真に収めることができなかった、というより、「まとも」な光景が多かった?メディアで報道されている以上に親日的なのか、日本語の入った看板を多く見かけました。

 台北で見かけた佐野ラーメン。

 バイクの修理屋さんの看板。「修理」はわかりますが「保養」とは?
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 マッサージの分野は素晴らしい日本語の集約する世界です。「名人アッサージ」?足裏とマッサージが混ざった言葉なのだろうか?
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 「まのさーじ」なんなんでしょうね。左側の「削」は足裏の皮を削る写真からわからなくもありませんが。その下の日本語、どう解釈するんでしょうね。
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 全身マッサーヅ。左下の看板は「マッサージ」なのに。
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 2Fはハンサム フィットネス ストア。 1F「蓮戀」これで「れんげ」って読むのでしょうか?ちなみに「戀」は「恋」の旧字体。心の上は乱れるを意味するので、心が乱れて恋になるんです。
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 なぜか日本語の振り仮名がある看板も多かったです。
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 マッサージは何に効くんでしょうね?
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 たぶん「千曲ちくま」と表現したかったんでしょうが、なんと読めばよいのか戸惑う表現。この界隈、台湾在住の日本人ビジネスマン達が集うのか?日本料理屋なども多かったです。
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遅延

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 シベリア内陸の町から来た奥さん、年末に里帰りするのにウズベキスタン経由で帰るのだそうです。その理由は?ロシア国内線の料金の高さと、時間のいい加減さ。
 国内線が遅れるのはもはや常識化しているロシアですが、その遅れ方が半端ではない時もあり、数時間遅れるなんてことが頻繁にあるそうです。

 彼女の場合ウズベキスタンのタシケントからエカテリンブルグに向かう国際線(かつては同じ国だったけど)に乗り換え、エカテリンブルグから家族の自動車に乗って数時間の生まれ故郷に帰るのだそうです。迎えに来る家族だって飛行機が遅れて何時間も待たされるのではたまりません。それよりも時間が計算瀬切る国際線のほうが安心?
 飛行機でひとっとび1時間半のウラジオストクなんかと比べると大移動です。

 実は、私も台湾で「国内線は遅れる」を実体験してきました。花連から台北へ向かう国内線。フライト時間は30分程度。
 小型のプロペラ機で、乗客が少ないこともありましたが、フライト時間の10分前にようやく搭乗手続きが始まり、時間前の搭乗手続きに来ているのは日本人観光客だけ。とっくにフライとしている時間なのにのんびりと台湾人客がやってきて搭乗手続き。そんなもんですから、予定ではとっくに台北について時間になってようやく機内に乗り込みました。

 台北では友人が出迎えがてら来てくれる約束になっていたので、待たせて申し訳ないと思いながら着ないでやきもきしていましたが、台北についてみると友人の姿が無い。まさか待ち疲れて帰ったのでは?と電話をすると「これから家を出るところ。早くついたんだね。」なるほど、こういう社会なんだ。
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メタボ

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 メタボリック対策にプーアールチャを買ってきて、体脂肪を浄化するために飲み始めました。どうせ結果は毎度おなじみの結果になることうけあいでしょう。

 ヨーロッパにしてはロシア料理は野菜が多く、日本人にも対応しやすい料理だと思いますが、やはり肉類が多いし、バターもたっぷり使います。
 私など最近は肉より魚、それより野菜が口にあうようになったのも年齢のせいでしょうが、肉類やしつこい食事を食べるのも体力が必要かもしれません。

 一頃ウラジオストクでは中国のジャスミン茶がダイエットに効くとはやったことがありましたが、その前に食生活を改めろといいたくなるような食事なので、効果はどうだったのか?最近は中国のお茶は何が入っているかわからないから危険だという声も耳にします。

 ロシア人と同じ食事を取っていたら間違いなく日本人は太ります。逆に考えれば、日本食ばかりでロシア人は体力を保てるのだろうか?

 大酒のみのアレクサンドル氏はビールとベビーラーメンがあれば生きていけると断言しています。祖国ではおとなしく控えていますが、日本に来れば家族の目も届かないので飲み放題。ビールのためにあるようなご馳走と、ベビースターラーメンをおかずにメタボな流動食生活をしていました。

 そういえば、中国人に「楊貴妃は100kgを越える太った女だった。」と聞いたことがあります。
 時代が変われば太っていても・・・????
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烈士

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 朝、中烈士祠に行きました。「台湾の靖国神社」と説明してくれたのはガイドの宗さん。戦没者の例を守る警備兵が1時間ごとに交代するので、その交代の儀式を見に行きました。

 宗さんは私と同世代ですが、徴兵制度がある国なので、2年間の徴兵の経験があります。
 昨日再会した劉さんは海軍に3年勤めてきましたが、宗さんは陸軍。

 事前審査から半年後、ある日突然、しかも自分の誕生日に徴兵の郵便が送られ、2週間後に予備訓練の訓練場に呼び寄せられ、そこからいきなり訓練がはじまり、訓練終了後2週間の休暇の後に配属先が決まるのだそうです。

 訓練生が一番嫌がるのが中隊国境のにらみ合いが続く金門島。
 配属先はくじ引きで、宗さんはいきなり金門島を引き当て顔面蒼白。「でも、他の訓練生にとって、誰かが海南島を引けば自分に当たる可能性が低くなります。みんな拍手するんですよ。一緒に厳しい訓練受けて、一番仲の良かった友達まで拍手していました。あの光景は今でも忘れられません。」
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 金門島は敵国と一番地理的に近い場所でもありますが、人民中国側も訓練の一環で、こっそり海を渡って台湾側に上陸し、台湾兵を殺害して耳を切り取って持ち帰る訓練があるようで、彼が赴任中にも仲間が殺される事件が何回もあったそうです。
 「幸いなことに私は中国兵と遭遇する機会はありませんでしたが、夜の見張り番のときなど、いつ襲われるかびくびくしながらすごしたものです。」

 昨日再会した劉さんは国境近くの海の上で中国海軍とにらみ合いになり、お互いスピーカーでののしりあいで終わったものの、いつ銃撃戦が始まるのか?もう帰れないのだろうなと覚悟を決めたにらみ合いを経験しています。二人とも「今での夢でうなされることがあります」と、そのときの恐怖を語っていました。
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 中烈士祠に配属される兵士は、陸海空兵士の中でも容姿端麗で有能な者が選ばれるそうです。
 「いい男だわねえぇ。」と日本のおばさまがたの声があちこちに飛び交っていました。
 立ち番の兵士は身動き一つしてはいけないため、メンインブラックのような黒い背広姿の兵士が護衛して、日本のおば様から兵士を守っています。
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 日本の靖国神社だったら目くじら立てそうなおば様方も、美形の青年兵がいる他国の慰霊施設には寛容みたいです。
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大理石

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 花連二日目は大理石の太魯閣(タロコ)渓谷へ出かけました。山脈一つが大理石でできたような、豪快な渓谷。20代の頃でしたら岩登りに夢中になったかもしれません。
 岩乗られ目から突然水が湧き出していたかと思うと、忽然と川の水が姿を消す。岩山の不思議な光景です。きっと鍾乳洞のような水路があるのでしょう。このお堂の滝も突然岩から水が噴出した場所のようです。

 太魯閣は日本統治時代の1937年に国立公園に指定されたのだそうです。日本から解放された後は一時何の指定もなくなったものの、現在は国家公園になっています。そのため、石ころの持ち出しもご法度。

 この道路を作るために200名を越える犠牲者が出たそうです。
 どことなく新潟の糸魚川沿いを思い浮かべますが、あの川も大理石にゆかりある川。
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 新潟の明星山も煮たような雰囲気がありますが、石灰石の山は谷が深くも明るく感じます。
 岩の裂け目に根を張った樹木がやっとこ張り付いているような環境です。
 これだけ大規模な代理関の山は台湾とイタリアにあるだけだそうです。
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 大理石村に行きました。ヒスイの彫刻などもありましたが、値札を見るだけで「ご苦労様」と何も買う気になれません。
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 禁煙がこのご時世の常識ですが、この店は喫煙OK。その理由は、「大理石は燃えません」。なんだかわからないけれど、自信のあらわれ?

 自信といえば明け方4時ごろ、震度4強の地震があり目が覚めました。慌ててテレビをつけ、地震速報が出ないものか?と眺めていましたが、前夜から観ていたNHKの国際BS放送。台湾の地震の震度など出るはずも無い。
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 午後、国内線で台北に戻りました。
 バナナの花が咲いていました。子供の頃、台湾バナナは手の届かない高嶺の花でした。
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 台北では数年ぶりに古い友人の劉さんと再会しました。2年前に脳閉塞で倒れたと噂が届き、実は、脳閉塞ではなく腸閉塞でした。どこでどう話が歪曲したのか、私の元に噂が届いたときには「脳閉塞でもう再起不能」まで話が進んでいました。脳と腸では随分話が違います。
 出張先の上海で腹痛に見舞われ、緊急手術になったのだそうで、おへその下から15cmほど縦に大きな手術跡が残っていました。
 「台湾や日本での手術だったらこんな大きな傷にはならなかったと思いますが、不運にも倒れたのが上海でした。だからこんなに大きな傷になってしまいました。」

 街中にあふれんばかりのスクーター。流行しているようです。
 自動車の間をチョコマカ割り込んでくるので、危なくて運転も大変だと思いますが、「こんなマナーだから、事故も頻繁に起きているんですよ。」
 厳しい取り締で、ようやく最近になってヘルメットが定着したそうです。割り込みなどのマナーについてどうやって取り締まるのか?取締りで良くなるのか?政府も思案中。
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食い倒れ

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 台湾の花連に来ました。ホテルでは結婚式が催されていました。いたるところに新郎新婦のツーショットの写真が飾られていましたが、来客は普段着にちょっと気取った程度のいでたちでした。
 最近、人民中国の結婚式も派手になってきましたが、それより地味ではあるものの、台湾もおおむね雰囲気は近いものがあります。

 受付では寄せ書きとケーキの配布。
 花連は台湾の東北部。民族的には先住民のアミ族が多い土地柄ですが、どことなく沖縄の人たちに近い顔つきが多く見受けられました。
 一応、ここはまだ受付の場所。
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 新婦の友達たちによる手作りのケーキだそうです。どれが新婦の友人?で、どれが親戚?さらにどれが通りすがりの人?なんだかよくわからないまま人の数だけは多かったのですが、新婦の一行様は大型観光バスをチャーターして3時間かけてやってきたのだそうです。
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 嵐の前の静けさをたたえる披露宴会場。
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 「新婦」ではなく「新娘」と表現するようです。
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 人生の縮図というわけではないけど、幸せだったのは結婚式まで?

 花連は海辺の街。海といえば魚!と単純に考える群馬県人なので、夜はホテルの洗い場のおばちゃんの案内で「ここでしか食べられない」料理を食べに出かけました。
 いやな予感がしたので、本当は行きたくなかったんです。部屋で日本のBS放送の篤姫を観たかったんですが、「中国語がわかるのはお前しかいないだろう!」と連れ出されてしまいました。
 洗い場のおばちゃんが「まかせとけ」とバンバン注文するのですが、中国語がわからないほうが幸せな名前がいっぱい出てきました。
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 カエルでしょ、鶏のキンタ○でしょ、その隣に皮をむかれたヘビ、その他もろもろ。見ない方が幸せな食材がたっぷり並んでいました。
 医食同源。健康に良い食べ物だそうですが、不健康でも十分幸せと思える瞬間でした。洗い場のおばちゃんが右腕をグイっと突き出して「奥さん幸せ!」。絶対余計なことだと思う。人の家庭のことなんて首を突っ込まないで欲しいと思う。
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 ちなみに写真の料理は鶏のキンタ○にイカや豚のレバーを炒めて58度のお酒にトウガラシをたっぷり入れた料理。その他、犬の照り焼きやら、カエルと豚のチンチンを具に入れたヘビのスープや、ネズミの子供のから揚げを紹興酒で煮込んだような一品が出てきました。
 なんか、話が違うんじゃねえのか?と、皆目が点になったまま出てきた料理を半ばやけになって食べていましたが、洗い場のおばちゃんが料理の素材と効能を説明してくれるのですが、「頼むから、いい話だけ訳してくれ。」
 台湾名物のカラスミだよ!と言い聞かせて食べさせたのは山羊のキンタ○の紹興酒煮。
 こんなものどこから輸入したのだ?と首を傾げてしまいつつも、エビの一種だよ!食べさせたのがサソリの唐揚げ。
 店のおばちゃんはここぞとばかりに隣近所の店から食材かき集めてきて、それを料理しているのが中学生ぐらいの子供。「本当に大丈夫なのか?」ときかれても、さいは投げられたとルビコン川を渡るばかり。みんな強い酒で味付けしているので、酒のせいなのか食材の効能なのか?食べているうちにろれつが回らなくなってきました。
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 これで中って倒れでもしたら文字通り食い倒れで、絶対この世に悔いを残すに違いない。
 ホテルに戻ってベッドに寝ているとゲップの臭いから食べたものがわかる。犬が雨に濡れた時などに発するあの独特の臭いが胃の中から甦ってくる。
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ロシアのアニメ

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 日本の総理大臣がたびたび漢字の読み間違いをするので、「マンガばかり読んでいるから漢字が読めない」と言われています。

 私の場合、少年マガジンやサンデー、少年画報や冒険王などのマンガ雑誌で随分漢字をおぼえました。こうしたマンガ雑誌の漢字にはおおむねふりがながふってあったものです。

 マンガやアニメはサブカルチャーで、メジャーな文化とは一線を引かれているようですが、その発想力を思えば馬鹿にしたものでもありません。

 手の込んだアニメといえばロシアが得意とするところで、採算度外視の手間隙かけたアニメは多数存在します。

 子供向けのアニメなど、かける予算の違いや文化の違いも在るのでしょうが、色彩の使い方が違います。

 まだカラーテレビが普及する前の日本のアニメを見ているようなノスタルジックな雰囲気も感じられます。
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冬だってあります。

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 「悪化が良貨を駆逐する」という言葉がありますが、このところ叫ばれている世界同時不況にはそんな気配が感じられます。
 この混乱は経済学よりも社会心理学のほうが近いような気もします。

 90年代の東側諸国を見てきたこともありますが、超インフレだったロシアなど、国が「死ぬ」ということはこういうことなのか?としみじみ思ったものです。
 情報が市民を目覚めさせ共産主義をはかさせたと言われますが、情報が多すぎて足元が見えなくなり振り回されるのも問題です。

 突然11月一杯で「ご苦労さん」と会社から出されてしまった友人にあってきました。怪しいなという気配は夏ごろからあったようですが、サブプライム問題で世情がくらついた途端に経営者の心中もおかしくなり、保身のために大幅にリストラをやらかしたようですが、「ここまでノウハウを持ったスタッフを減らすと、経済が安定しても立て直すことができないだろう。」と、冷ややかに見ています。

 こんな時にどう活躍するのか?労働監督省。どうでも良い時には口を出しても肝心の時に「貝になりた」では意味が無い。手腕が問われると思うのですが、ここで役に立たなければ存在意義も怪しくなります。

 夏もあれば冬もある。じっと我慢の冬だってあります。
 冬支度は済ませたし、春に向けての準備も冬の仕事です。
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ネアカ

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 ウラジオストクは大雪が降ったようです。自家用車での通勤を諦めて、いつもより早くバスで出勤した女性スタッフ。そのバスも遅れていつもより2時間送れて到着しました。
 渋滞を予想して、思い切りゆっくり、お昼近くになって家を出た男性スタッフ「大きな混雑もなく普通に到着しました。」
 誰が見ても仕事を怠けているように見えますが、こういうことを前向きな解釈でやらかすから、得な性格なのかもしれません。

 ネクラかネアカか?文字通り明暗を分けることはしばしばあるものです。笑う角には福来る、しかめっ面をしていると目の前を通りかかった「幸せ」を見逃してしまうもので、明るいところに「福」は寄ってくるものです。

 私の周囲にも「前向きなバカ」とののしられる陽気な人はたくさんいますが、失敗することも含めていろいろトライして楽しんでいます。
 「ソビエト時代は失敗は許されなかったが、ロシアは失敗しながら新しいことができる。」と多様な失敗を繰り返しながら、皿に同じ失敗を繰り返すところが素晴らしい人たちです。

 「失敗したらもうこれまでだから」と圧力がかかると、慎重なあまり萎縮して好機を逸するもので、だいたい世の中、自分の描いた通りに事が進むことなんてありゃしない。あっちにぶつかり、こちらにひっかかり、産みの苦しみはつき物です。それで身につくことのなんと多いことか。

 こんなご時世せめて気持ちだけでも明るくありたいものです。
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耳に残る君の歌声

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 夕方、三日月と金星、木星が並ぶ光景を見ました、昨日は雲がありよく見えませんでしたが、今日は良く見えました。
 実は、夕方ウラジオストクの友人から電話があり、金星と木星がよく見えるというので、電話の子機をもって外に飛び出して眺めました。「どちらが木星かわかりますか?」というので、天体としては木星のほうがはるかに大きいのですが、そこは距離感のイタズラ。「明るいほうが金星です。」

 昼間、警察の取り締まりレーダーの話題があり、知人がユピテルというメーカーの探知機を愛車に取り付けている話になりました。赤外線はおろか、GPSなどを駆使して取り締まり地点を教えてくれる優れものだとかで、液晶の画面はカーナビ並みにいろいろな情報が出るのだとか。
 このことが頭にあったので、ウラジオストクからの電話で勘違いをしました。
 ロシア語で金星は「Венера」、木星は「Юпитер」。「ビェニェラー」 と 「ユピテル」と聞こえたので、レーダー探知機のユピテルの製品のことか?ロシアで使えるのか?と、しばらく話がかみ合いませんでした。

 それにしても時差1時間。同じ月を眺めながら電話で会話。国境を越えた風流かもしれません。

 30年ちょっと昔、プログレッシブ・ロックというジャンルがあり、まだクロスオーバーとかフュージョンなんて言葉が広まる前の時代でした。多様な音源を再現できるシンセサイザーがようやく世に出る時代、前衛的ミュージシャンはあれやこれやと工夫して新しい音を作り出していました。ギター、ベース、ドラムが中心だったロックに鍵盤楽器を取り入れたのが斬新に思えたものです。
 主に英国を中心にイエスやピンク・フロイドやELPなんてグループが活躍しておりました。

 ピンクフロイドの重要メンバーにデイブ・ギルモアというギタリストがおり、後にケイト・ブッシュを育て上げるプロデューサーとしても活躍しています。

 かつては前衛的なスタイルをしていましたが、今は普通のおじさん。とは言え、さすが、プログレッシブの先駆者。ビゼーの歌曲”Les Pecheurs de Perles”(邦題 「真珠採り」)のアリア、”Je crois entendre encore”「耳に残る君の歌声」を思いもつかないスタイルで歌っています。

 真珠採りといえばコンチネンタルタンゴの代表曲として知られています。戦中、外国の音楽が禁止された時代でもコンチネンタルタンゴは同盟国ドイツの音楽音楽として聴くことが許されていたそうで、「バラのタンゴ」「碧空」「夜のタンゴ」などと並び、「真珠採りのタンゴ」も演奏されていました。アルフレッド・ハウゼ楽団など有名です。

 この「真珠採り」元々はビゼーのオペラで、舞台はセイロン。真珠を採る事を生業としている島に、その安全を祈祷するレイラという尼僧がやってきます。この美しい尼僧をめぐって二人の男が争う物語。
 
 広く知られている「真珠採り」はこの歌曲の中のアリアで「耳に残る君の歌声」という題名です。元々は8分の6拍子だった曲をタンゴのリズムに乗せかえて広く世界に知られる名曲となりましたが、ビゼー生存中このオペラは失敗作とされ、死後評価されるに至ったと聞いています。

 高校生の頃、NHKのFM放送だったと思いますが、このストーリーを聞いた記憶が残っています。
 このときは北欧のテノール歌手ニコライ・ゲッダが歌う「耳に残る君の歌声」が流され、今でもテープに保存してあります。

 オペラとしての「真珠採り」を観劇して見たいと思いつつも長年かなうことがありませんでした。実は、ウラジオストクの劇場でこのオペラを観劇したのが初めてで、それも、「今週はオペラをやっているぞ!」と、ロシア語の邦題なんて気にもせず何のオペラか知らずに入ったら、憧れの名作。
 観劇は初めてでも繰り返しレコードで聞いていたのでストーリーも展開もわかります。嬉しくなって、「ここからこうなる」と進行を説明しては「うるさいから黙っていろ!」と怒られました。
 耳に残る君の怒鳴り声。
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КРАСНЫЙ САРАФАН

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 20歳頃、中学校の同級生の女の子に会うと、「随分きれいになったなぁ。いじめなければ良かった。」と思ったものでした。50近くになると誰も皆強烈なオバサンになっているので「ちょっかい出さなくて良かった!」
 20歳ごろが一番輝いているのかな?と振り返ってみますが、ロシア人の場合、もう少し早く17歳ごろがピークのような気がします。

 ロシア人は国内パスポートを持っており、これは身分証明書のみならず、日本で言う戸籍のような役割も持っていますが、17歳の時の写真が貼られています。
 写真の撮りかたもあるのでしょうが、あなた、こんなに美しい時代があったの?この時代に会いたかった!と、驚くことは毎度のこと。
 母親を見ると人生の縮図がわかりますが、年々母親に近くなって追いつき追い越せの人生。本当に花の命は短い。

 「КРАСНЫЙ САРАФАН」日本では赤いサラファンとして親しまれているソビエト歌謡。
 青春真っ只中の娘に、母親が「いつまでも気楽なことをしていないで、早くお嫁に行っておくれ。やがてお前の美しさも衰えてしまうもの」と言えば、娘は「今が一番楽しいの。だから嫁入りのサラファンなんか編まないで。」と反論。母親はサラファンを編みながら「私にもそんな時代があったっけ」と、掛け合いのうた。

 かつてのロシアは20歳前後で結婚する例が普通でした。かれこれ32歳になる未婚女性の友人はお母さんに「私が20歳の時にはもうお前が生まれていたんだ。」と説教されること頻繁ですが、25歳頃までは「早くいい相手を見つけて結婚しなければ」とあせっていたそうです。もう今は「結婚ばかりが人生ではない」と、じっくり腰をすえて仕事に専念しているようです。

 映画「李香蘭」の中で上戸彩さんが歌う赤いサラファン。


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