最近よく感じることですが、「大丈夫」には曖昧に「何とかなるさ」の意味が大量に含まれているような気がします。「大丈夫だから」と言われて大丈夫であったためしがない人もいる。
荷物を運ぶために2tトラックを借りたところ、妙に右に傾いているので、持ち主に”これはおかしい”と電話を入れたら「大丈夫!そういうもんだトラックなんて。俺の思想が右に傾いているからトラックも右に傾いたのさ。大丈夫だって。」持ち主の思想がトラックに影響を与えるもんなのか?と思いつつしばらく乗ってみると、やはり妙に右に傾くので、降りてタイヤを見たところ、右後輪のダブルタイヤの内側がパンクしていました。
大仕事になるぞとタイヤをはずしてスペアタイヤに履き替えたら、これまた空気が入っていない。だましだましスタンドまで走行して空気を入れて何とか使えるようになりました。
トラックを帰す時に”大仕事でしたよ”と言うと「な、大丈夫だったろう。パンクなんて長い人生の一瞬でしかない。その気になれば治るんだ。人間、やろうと思えばなんだってできるんだよね。ケ・セラセラだよ。」
なんだか、説教強盗のようなオヤジだなと思いつつも、この絶望的なおおらかさが幸いしているのか?この不況にもかかわらず仕事には事欠いていないようです。何を聞いても「大丈夫!何とかなる」しか言わない人ですが、不思議と何とかなるから、何とかなるもんです。これもまたロジックで、”どうにもなら無い”結果でも「どうにもならないと言う形になったから、何とかなったのさぁ。」ですから、難しいことを考えるのはやめた。
これだけおおらかだから胃潰瘍や胃がんになどなろうはずも無い人ですが、「医者が言うには宝くじに当るより珍しい病気らしいぜ。」と当人が語る病気を患っているようで、「宝くじに当る確立より少ない病気」と言われても”そりゃ良かったですね。”と答えるべきか?”大変なことになりましたね”と答えるべきか?当人の口癖を真似て”大丈夫!”と答えるべきか?即座に判断つかなかったので、沈黙のままでした。
ちなみに中国では「丈夫」とは「夫」を意味するので「大丈夫」は「大きな夫」?全身のことだろうか?部部的なことだろうか?
シリア人と仕事をしているとアラビアの「IBM」にたびたび出くわします。「I」インシャッラー・「B」ブクラ・「M」マレシ。
インシャッラーは「神の思し召し」、ブクラは「明日」、マレシは「しかたない」に近い意味で、例えば”本当にできるの?”と聞けば、気にするな何とかなると言う意味合いで、「インシャッラー」。”いつできるの?”なら明日になるだろうと「ブクラ」で、翌日になってもどうにもなっていないのでまた「ブクラ」。いつまで待っても「ブクラ」。結果的に駄目だったじゃないかとなると、気にする事は無いとばかりに「マレシ!」。
先のことを憂いていないので、不思議なことにこれはこれで道は開けるものです。
そういえば先述の親父さんが口にした「ケ・セラ・セラ」。たぶんスペイン語かラテン系の言葉が語源だと思いますが、ドミニカ人のミア君(こいうつもまたいい加減な男)がよく「ロ・ケ・セラ・セラ」と口にしていました。
どうにもならないときにケ・セラ・セラでもインシャッラーでもハングルのケンチャナヨでも自分を許せる言葉があることは幸いだと思います。日本人の場合、笑っています。どん詰まりに行くほど笑ってしまうんです。ジャパニーズスマイルは意味が深いです。エ・ヘラ・ヘラです。
When I was just a little girl, 私がまだ小さな子どものころ
I asked my mother : What will I be? 母親に訊いた「私は何になるの?」と
Will I be pretty? Will I be rich? 綺麗になるの?お金持ちになるの?
Here's What she said to me : そして母はこういった
Que sera sera. ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be. 結局はなるようになる
The future's not ours tosee. 未来は人間にはわからない
Que sera sera . ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be. なるようになる
When I grew up and fell in love, 大きくなって恋をした私は
I asked my sweetheart :What lies ahead? 恋人に訊いた「この先何があるの?」と
Will we have rainbows day after day? 2人で毎日虹を見るの?
Here's what my sweetheart said : 恋人はこう答えた
Que sera sera. ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be. 結局はなるようになる
The future's not ours to see. 未来は人間にはわからない
Que sera sera .ケ・セラ・セラ
Now I have children of my own. 今や子供の親となった私
They ask their mother :What will be? 子供が母親に訊く「僕は何になるの?」と
Will I be handsome? Will I be rich? ハンサムになるの?お金持ちになるの?
I tell them tenderly : 私はやさしくこう言ってやる
Que sera sera. ケ・セラ・セラ
Whatever will be, will be. 結局はなるようになる
The future's not ours to see.未来は人間にはわからない
Que sera sera . ケ・セラ・セラ
ケ・セラ・セラを英訳すると「Whatever will be, will be.」になるようです。
その昔、ドリス・デイが唄って世に広め、日本ではペギー葉山や江利ちえみが唄っていました。先月台湾に行った時に「世事多變化」と言う題名でこの歌が流れていました。「變」は昨年を「象徴する文字、「変」の旧字体ですから「「世事多変化」ですね。
こんな時代に似つかわしい歌でしょうか?