昨日の浅間の小噴火。こちらでは何の影響もありませんでしたが、高崎方面に出向いたら火山灰を被った自動車を見かけました。
日本ではこんな意埃をかぶったベンツは珍しいけれど、ウラジオストクに行くと珍しくありません。これからの季節中国からの黄砂の影響もあり、自動車が埃と泥で真っ白になります。

火山灰がまだ俟っていたのか?心持ち空気も埃っぽく感じました。
それにしても、ネコの間の抜けた行動は面白いもので、たぶん自動車のボンネットの上に飛び乗ったのでしょうが、滑って腹をついたような後がありました。
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節分は季節の変わる前の日、翌日は立春で暦の上では春になります。季節は春夏秋冬と四つあるので、実は節分も四回ありますが、特に祝い事をするのは冬から春への変わり目だけです。昔は四季の変わり目の節分も祝ったようですが、そんな悠長な時代でもありません。
そういえば、先月末に同級生にあったら「娘が厄年なので節分にお寺で厄除けのお札でももらってこようと思っている。」と、およそ若かりし頃の炎のロックンローラーだとは思えないことを言い出したのでびっくりしました。
「それにしても人様の子供が育つのは早いもんだね。ついこの間まで高校生だと思っていたら、もう32歳か?」と皮肉ると、「まだ高校生だよ!女はかぞえ19で厄年があるんだ。だいたい、あれが32になったら俺たち何歳になると思ってんだ。」 言われて見るとそのとおりで、32-19はおよそ13なので、我々もだいたい13歳年を食っていることになる。好ましいことではない。
老け込んでいられない友の活躍。
昨年、役場が中心になって新治村史の本を発刊する予定で、私も予約しておいたのですが、昨年末に”年明けになる”と回覧板が届き、年が明けたのにまだ届かないので、教育委員会に電話をしたら”年度末までには出来上がると思います”。
3月には”年内に”なんて事になるのでは?と、いやな予想を立てていますが、中学、高校の同級生の見城悌治君(千葉大の歴史学の助教授)が編集に携わっているので、楽しみにしています。
思想と経済についての歴史の目線から研究をしているようで、昨年末渋沢栄一についての本を上梓しています。渋沢栄一に興味ある人は是非読んでください。2625円もしますが。
渋沢栄一が築いた日本の銀行が、USAの金融破たんのあおりでぐらついた時に、皮肉なタイミングで発刊された本です。
見城君は二宮尊徳の「報徳思想」についての論文も発表しており、私が別のアングルから二宮尊徳を調べていて、同級生の論文に出くわした時は嬉しかったです。
それにしても学者ってどうして物事を堅苦しく難しく考える(表現する)のだろうか?それを面白おかしく噛み砕いて下世話にしてしまうのが私の悪い性分ですが、どちらにしても行き着く先は「自己満足」?

お次は高校の同級生の須田郡司君が昨年末に発刊した「日本 石巡礼」。
世界各地の巨石を巡ってさまよっている写真家で、今回はエッセイの本を出しました。
たぶん当人は意識していないだろうけど、石の民俗学者とすれば世界でも稀有な存在になると思います。そこは語り部、わかりやすく紹介しています。
須田君はワゴン車に寝泊りしながら日本中を飛び回って公演や写真展を開いて放浪しています。およそ今日の彼の生活を予想できないほど、高校時代は真面目で堅実な人物でしたが、興味深い生活をしています。
3年ほど前のメルマガでは唐津で愛車(たぶんデリカだと思う)の中で寝ようとしていたら、不審な群馬ナンバーの自動車が停まっていると警察官に職務質問されたエピソードを紹介していました。
私の場合、冬になると石仏を探ったり、畑の傍らに捨てられている石ころから石器を見つけたり、要は金のかからない道楽を楽しんでいますが、なぜ冬か?と言われると、雑草が枯れて探しやすいからで、休耕中の冬季の田畑ならうろうろしていても農作物泥棒と疑われる事も少ないから。
石にこめられた古の人たちの思いを探るのも、時空を越えての駆け引きがあるようで面白いです。
石ー竹ー紙ーフロッピーーディスクーメモリースティック。近年記録媒体がやたら増えたので何が新しいのかよくわかりませんが、記録しやすいほど記録が消えやすいものです。これだけ書き込まれたHPだって、停電一発どこかにすっ飛んでしまうのですから、脆いものです現代文明。